第41話 夜の高速

 新清水ジャンクションを越えても渋滞の列は一向に動き出す気配がなかった。遥か先まで続く赤いテールランプの波がせわしなく点滅を繰り返しているのは、ドライバーたちがれているからだろう。

ウラルサイドカーで出てたら、渋滞の餌食だったな」

 柊悟はそう呟きながら、車と車の合間を潜り抜けるようにCB400を進ませていた。ここまでの道のりでかなりの数の四輪自動車を抜いて来たが、その中に真咲の乗った白のカローラはなかったと柊悟は断言が出来る。そして、真咲が向かっているであろう場所が『駿河国総社 静岡浅間神社』である事も。


 緩やかに下る右カーブを越え、道路標識が新静岡インターチェンジまで残りの距離を3kmである事を告げるとおもむろに渋滞の列が終わりを告げ、車が一斉に流れ出す。それと共に柊悟の目に留まる遥か先の中央車線を進む一台の車。


 「真咲!」


 夜の暗がりの中でもそれに絶対の自信のあった柊悟は、怪しまれぬよう徐々にバイクの速度を上げ、軽トラと濃紺のセダンを挟んだ2台後ろにバイクを尾けた。その距離200メートル弱。


 ―― このまま駿河国総社 静岡浅間神社に向かうとすれば、御殿場インターチェンジを降り国道一号線を使う筈。

 逸る気持ちを押さえルートを思い浮かべていた柊悟が、ふと確認したミラーに凄まじい速さで迫る一台の車が映る。明らかに法定速度越えの鬼気迫る走り。


 黒のハイエース。

 おそらくは真咲の義理の母に当たる人物の秘書、末次が乗っているのだろう。


「やめろっ! 尾行に気づかれるっ!」

 柊悟があげた怒号の横をすり抜けるかのように凄まじい速さでCB400を追い抜く黒のハイエース。その圧迫感のある走りに気が付いたのだろう、例の白のカローラが一気にスピードをあげた。


「クソっ‼ 」

 柊悟は体重をやや右に寄せ、濃紺のセダンを躱すとCB400のスロットルを一気に開けた。腹の底に響き始める低いエンジンの音。


 光が雨のように落ちて来る。

 それが規則的なのは光の正体が等間隔で並ぶ道路照明だからだ。速度への興奮からか背筋にチリチリとした痺れにも似た鳥肌が走った。視界に捉え続けている白のカローラと黒のハイエースはカーチェイスさながらの走り合いを続けている。


 CB400との距離がひらき始めた。


 ――― 信号も無く、大きなカーブが存在しない無い高速道路ではどうしても排気量の大きい四輪が有利。柊悟も車を一台、また一台と躱しながら、バイクを更に加速させる。


「逃がすかよ、コッチは只のCB400じゃねーんだ! SBスーパーボルドールだぜ!」


 ボルドール――― フランス語で『金杯』の名を冠するこのバイクは、歴代スポーツネイキッドバイクの中で最も完成度が高いとまで評され、操作性・加速・最高速度・スタイリング全てにおいて隙がない。乗り手次第では十分四輪とも勝負出来る。


 柊悟はCB400を抱き寄せるように身体をバイクに密着させ、更に速度を上げた。


 ―――― ッッン


 耳鳴りを感じると同時にズシリとした質量のある風の重さが全身を包む。低いエンジン音に混ざり、絞り出したような甲高い金属音が響きだしたのはCB400のギアが5速に入った証だ。


 車線の幅を示す区画線白いラインが数珠繋ぎとなり、嘘のような速さで迫って来る。グリップを握る手から伝わって来る振動と下腹に感じるエンジンの放熱。そして、喉の奥と鼻腔に少しの乾きを覚えた次の瞬間、柊悟の聴覚から音が消えた。



 「———— !!!! 」



 無音の世界で柊悟が見たモノ。

 それは、中央分離帯に捨てられた飲みかけのペットボトル、反対車線を走る車のナンバー、高速道路に掛かる橋を歩く人、柊悟はそれらすべてをまるで静止しているかのように鮮明に捉えることが出来た。


 ――― クロノスタシス


 それはバイク乗りなら、誰もが一度は経験する不思議な現象。

 眼球の筋肉の動きであるサッカード運動。その動きと脳の認識にズレが生じたときに生まれる時間が延長したかのような錯覚。刹那の時を何秒にも感じる現象。それが「クロノスタシス」


 柊悟がその時が止まった世界に驚いたその瞬間、白のカローラと黒のハイエース、それにCB400の3台が横並びとなった。

 修悟の視界に白のカローラから外に向かい何かを必死に叫んでいる真咲の姿と黒のハイエースを必死に運転するの姿が映る。


『あの人は……‼ 』


 その人物の名を柊悟が思い出した時、CB400は二台の車を追い抜いた―――


 クロノスタシスが終わりを告げ、時の感覚が戻ると共に聞こえて来た金属音。車と車が擦れ合う嫌な音。それに驚いた柊悟がCB400の速度を落とすと、その脇を白のカローラが駆け抜けて行った。


 ――― お義母かあさま!


 車の窓に一瞬見えた真咲は、確かにそう叫んでいた。

 そして、柊悟がCB400のサイドミラーから見たモノ。それは車の側面をぶつけられ弾かれたことにより、路肩の壁に衝突してしまった黒のハイエースの無残な姿だった









 

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