第42話 私の戦場
――― お
悲痛な表情でそう叫んだ真咲の表情が脳裏に焼き付いてしまった柊悟は、歯噛みする思いで路肩にCB400を停め、壁にめり込む様に停止している黒のハイエースに駆け寄った。
車のフロントガラスは割れ、車体の助手席側はヤスリ掛けでもしたかのようにひしゃげていたが、運転席側は幸いにもその形を留めている。車体の下を覗き込み、ガソリンが漏れていない事確認した柊悟は運転席のドアを開けた。
「大丈夫ですかっ!」
そう声を掛けた女性はハンドルにもたれ掛る様に突っ伏している。
「……ま…さ……き、待って…ね。必ず…… 助……け」
そう声を漏らす女性の額からは血が流れており、右手は曲がってはいけない方向を向いていた。ポスターで受ける印象よりも線は細く、髪は白いモノが多い。黒のハイエースを運転していたのは、今度の衆議院選で立候補を表明している
「ま……さき…… 」
殆どないであろう意識の中で何度も、義理の娘の名を呼んでいる。
「待っていてください。今、シートベルトを外します! 」
大きな声でそう叫び、既にパンクしている運転席側の前輪に足を掛け、柊悟は車の奥に手を伸ばし、シートベルトの解除ボタンに手を掛けた。
「シートベルトを外すなっ! 」
男性の声が響くと同時に柊悟の肩に手が掛かる。振り返り見つめた先にいたのは見覚えのある男性。
「事故などの時に圧迫されていた所をいきなり緩めると血圧が急激に下がり、ショック死する事がある」
末次は慣れた手つきで完全に気を失った
「まさか、後ろについていたオートバイのライダーがキミだとはな……」
真咲の乗った白のカローラを見つけた時、目隠し代わりに利用していた濃紺のセダン。その車に乗っていたのは自分たちだという意味なのだろう。
「アンタこそ、なぜココにいる?」
強い物言いに対し、馬鹿な事を聞くなとばかりの末次の視線が返って来る。
「秘書が代議士の側にいるのは当たり前だ。だが、今回は私の失策だ。先生にケガを負わせるなど、秘書にあってはならない事だ」
自分自身の不甲斐無さに対する怒り。そんなギリギリと歯ぎしりが聞こえてきそうな物言いに柊悟は末次の性格の一端を見た気がした。そんな表情に気が付いたのだろう、末次は締めていたネクタイの左手で軽く緩め、顔を斜に逃した。
「先生はここ一年程…… 正確に言えば、お嬢様を養子に迎える話が出てから脅されていてな」
何も告げずに始まった独白。だが、末次の言葉には「覚悟をして聞け」との意志が込められているのを感じた。
「やつらは『娘に危害を加えられたくなかったら『仏の御石の鉢』と『竜の顎の珠』を渡せ』と言っていたらしい。先生はあんな危険なモノを人を脅す様な輩に渡す訳にはいかないと、相手を牽制しつつ、お住まいのセキュリティを強化し、私たちにはお嬢様の護衛を命じた」
真咲が言っていた監視カメラ等の話の発端。だが、柊悟にはそれ以上に気になる言葉があった。
末次の言葉は続いた。
「だが、今回のキミとお嬢様の行動で状況に危機感を覚えた先生は、奴らに『竜の顎の珠』を譲る事を条件にお嬢様から手を引かせようと単独で動かれた」
この事故の遠因はお前らにある。そうとも取れるモノ言いだった。
「申し訳ありません」
頭を下げる柊悟に対し、末次は軽く鼻を鳴らす。
事故現場が目立つためであろう。通り過ぎて行く車のライトが目に入込み、それが柊悟と末次の間の緊張を和らげた。
「やはり五つの祭器は、ただの品ではないんですね」
覚悟をもって柊悟が訊ねた問いに末次が一瞬驚いたような表情を見せる。
「流石は学者一家の子と言ったところだな。その通りだ。昨年亡くなった先々代・
―― 運・武・縁・魅・智
岩楠フネが話してくれた『真話・赫夜姫伝』。それに登場する人物たちの通り名と同じ力を持つ祭器。確かにそれらを呼び込めるとしたら、それはもはや人知を超えた力を持っていると言えるだろう。柊悟は静かに頷き、先の言葉を促した。
「実際に私は【運】を呼び込み祭器を持つ先生の政敵がスキャンダルなどで失脚していく姿を何度も目にして来た。まあ、アレは運を呼び込むというより、他者の運を喰らっていると言った方が正しいがな。事実、アレを渡してしまった先生はこの有様だ」
乾いた声でそう語る末次の視線の向こうに何が見えるのかは柊悟には想像すら出来ない。だが、これまでの話で全ての発端が五つの祭器にある事だけはハッキリとした。
遠くから聞えて来た救急車のサイレンの音。それに気がついた末次がネクタイを締め直す。
「もうじき、ここは救急車だけじゃなく、警察やマスコミも来て、
高名な政治家が事故を起こしたのだ、末次の言葉通り只では済まないだろう。
「当然、私はそこに立たなければならない」
「…… 」
言葉の重さに柊悟の返しが一瞬遅れた。
「分からないのか? ここは私の
”ここは任せて早く行け”
そう語る末次の真っすぐな視線を受け、柊悟は深く頭を下げた。そんな柊悟にひとつ鼻を鳴らす末次。
「奴らの向かっている先は…… 」
「富士の麓にある浅間神社」
「奴らは…… 」
「縁の宝具を受け継ぐ、大伴家の子孫。恐らくは真咲の実の親」
「…… 」
ここまでの旅で柊悟がたどり着いた結論。末次も政治家の秘書であれば様々な手段を用い調べる事も可能だったのだろう。
「相変わらず可愛げが無いな。キミは本当に嫌な子供だ」
「自覚はしています」
大きくなってきた救急車サイレンの音。揺れる赤色灯を確認した末次の表情に厳しさが戻る。人を護る為の仮面。柊悟の脳裏にこの旅で出会って来た様々な大人たちの表情が思い浮かぶ。
「大人って、色々大変ですね」
「ああ。キミみたいな生意気な子供と関わると特にな」
皮肉とも冗談とも取れるその言葉に柊悟は口の端だけで笑って答える。
「末次さん、知っていたら教えてください」
「何だ?」
ヘルメットを被りつつの柊悟に背を向けたままの末次の声。
「何故、あいつらは真咲と祭器を捨てるような真似をしたんですか?」
「いくら調べてもそれだけは分からなかった」
まだ謎は残る。だが、かなり状況は掴めた。
「そうですか。ありがとうございます」
再び頭を下げた後、柊悟はCB400SBにエンジンを掛ける。
「お嬢様を頼む」
相変わらず背を向けたままのその声に柊悟は頷いて見せると、エンジンを大きく吹かし、自身の戦場、決戦の地になるであろう浅間神社へとバイクを走らせた。
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