第39話 夜の逃走
「…… 岩楠先生、ひとつご質問しても良いでしょうか? 」
話の終わりを待っていたのか、母・七菜香の言葉には少し焦りが窺えた。
「先生は止めとくれ」
「それでは岩楠さん、ひとつご質問しても良いでしょうか?」
話疲れたのか先生と呼ばれたことがこそばゆいのか肩を軽く回す岩楠フネからはポキポキと骨の軋む音が聞こえて来る。
「天野玉桂流はどのくらい前に生まれたのでしょうか? 」
「延暦の終わりの頃に源である八つの型が生まれたと聞いているよ」
今度は左手の小指で耳の中を搔くる岩楠フネ。その仕草はとんでもない歴史を持っっている事に対しての照れ隠しのようにも見える。
「1200年以上の歴史があるのですね」
延暦の終わりの頃。つまり西暦に直せば800年前後。
日本史的には平安京への遷都。奈良時代から平安時代にかけてという事になる。世界史的にはカール大帝が西ローマ帝国を復活させた時代だ。
「あと、あたしがひい婆さんから聞いた話だと、貞観の時代から『赫夜の舞』を毎年奉納するようになり、宝永の終わりに『天野玉桂流』と名を改め、あの神社も建てた。まぁ、戦争や何やらで焼けたりもしたから、あの神社はあたしが昭和になって建て直したんだけどさ」
源流を含め天野玉桂流はとんでもない歴史を持っているのは間違いない。
「延暦、貞観、宝永…… 」
目を細め、何か考え込む様に言葉を漏らす七菜香。
「母さん、年号がどうかしたのかよ」
ふたりのやり取りを見ていた柊悟は静かに尋ねる。
「柊悟、延暦・貞観・宝永に日本で共通するある事が起きているの。あなたは分かる?」
答えを求める前の質問。一緒に住んでいる時にもよくやらされた。答えは想像がついていた。
「富士山の噴火…… だろ?」
「そうよ。これまで富士山の大噴火と呼べるものは802年、864年、1702年に起きている。先程、おばあさまが話してくださった『
だから更に詳しい事を聞きたい。母の視線はそう言っていた。
「流石、学者さんだね。そうさ天野玉桂流は富士山を怒りを鎮める神楽が源流。それがあの話の根幹さ。そして天野玉桂流家元・石上千代子の名を継いだ者は、あの話と同時にこれも受け継ぐ」
語り部だった岩楠フネは、そう語ると腰を重そうにあげ、後ろにある襖を開いた。
そこには箱の上に乗せられた八人分、五つの祭器。。
真咲の持っていた水瑪瑙の珠が付いた首飾り
音治郎がくれた白木の枝に鈴が付いた短い杖
岩楠フネが貝と呼ぶ
それに初めて見る赤い羽織と月を模した銀色の
「これが先程の話しに出たきた月の力を宿す五つの宝物…… 」
それが自然と漏れ出たその言葉が独り言なのか、岩楠フネに対する確認のなのかは柊悟にも分からない。
「そうさこれが竹取物語に出てくる五つの宝物であり、真話・赫夜姫伝で富士の怒りを鎮める為、赫夜の巫女が纏った五つの祭器を模したものさ」
「模したもの? つまりは本物があると」
敢えて強調した様な部分を母・七菜香が訊ねる。
「その通り。ウチが受け継いで来た物は奥の座敷の押し入れの中にある貝ひとつだけさ」
大切な物は保存してあるという事なのだろう。
木箱に書かれた万葉仮名を何と読めば良いかは、七種親子の教えと先程の昔話で察しがついていた。
首飾りが
「しかし、嫌な感じがするよ。石上の名と祭器「貝」を継ぐあたしの元に、月野って娘が祭器を二つも持って現れた。しかもその子は天野玉桂流。おまけに近いうちに富士山が噴火すると…… 色々重なり過ぎだね」
言葉の纏まらない柊悟の気持ちを代弁する岩楠フネの言葉。
――― 重なったのはそれだけじゃない。
柊悟は心の中で呟く。
竹取物語では
同様に貝は竹取物語にも出てくる石上の名を継承している岩楠家が所有ししていた。また、真咲は今、五人の男性のうちのひとり「石作皇子」のモデルと言われている「
偶然では済まないくらいに重なっている。
「予め決まっていたみたいじゃないか」
思わず出た呟き。竹取物語ではかぐや姫は月に帰り、真話・赫夜姫伝では巫女は罪、つまりは『咎』を犯し、罰を受け消滅した―――
柊悟が奥歯を噛みしめ、それがひとつ音を立てたその時、悲鳴にも似た叫びが聞こえて来た。
「真咲ちゃん! 」
「嬢ちゃん、何をするつもりだ! 」
声の主は風子とミヤケン。声は外からだ。ついでバタバタと廊下を走る音と共に襖が開く。そこにいたのは岩楠香澄。
「大おばあちゃん!
岩楠香澄の言葉が結ばれるより早く柊悟は外へと飛び出す。
やけに明るい月あかりの下、そこで柊悟が見たもの。それは三つの木箱を抱え黒装束の男たちと共に白い車に乗り込もうとする女性の姿。
「真咲!」
思わず出た叫び。一瞬、彼女の細い身体が震えるのが見て取れた。急ぎ駆け寄り、その手を摑もうと右手を伸ばす。
「さわらないで! 」
浴びされた拒絶の言葉と止まる柊悟の右手。
「追いかけてこないで」
真咲は最後にそう言い残すと白い車に乗り込み、その姿を隠すように男たちと共に走り去ってしまった。
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