第31話 部の後輩

「どうもです、鳥飼センパイのカノジョさん?  そしてお友達の皆さん。神奈川県立磯代いそしろ高校1年、岩楠いわくす香澄と言います。磯代高校では鳥飼センパイの所属しているサッカー部でマネージャーをしています」

 岩楠香澄は、何故か柊悟の真横に並ぶと恭しく頭を下げ、そう自己紹介を行った。別荘もしくは岩楠家の別宅だと思われる大きめの日本家屋からは、御香でも焚いているのか渋みを含んだ香りが漂って来ており、その場に不思議な緊張感を漂わせた。


「はじめまして。シュウのバイク仲間の阿部由布子よ」

「同じく花宮兼一だ」

 さすが年長者ふたり。卒の無い挨拶で緊張感を躱してゆく。


「はじめまして岩楠さん。高輪女子高等学校2年、月野真咲です」

 ごくありふれた挨拶。無難且つ、普通。受けた岩楠もそよぐ風に薄茶の髪を揺らして笑っているように見えた。

 どこかで鳶でも泣いているのか、カン高い鳥の鳴く声がする。


高女たかじょって、あのスーパーお嬢様学校のですか? すっごーい! 鳥飼センパイっっ! どこで捉まえたんですか? お嬢さまっ」

 大きな瞳をさらに広げ、万歳をするかのようなそのリアクションは、やや過剰気味であり、そしてどこか乾いて聞こえた。


「いや、そのな、岩楠‥‥‥ 」

 経緯があまりにもややこしく、どう説明してよいか分からず言葉に詰り、同時に妙に距離感が近い岩楠にとまどう柊悟は首筋にイヤな汗をかいていた。


「月野! その辺はどうなんです? 」

 女の子が好きそうなネタではあるのは分かるが、妙にグイグイ来る。

「それは‥‥‥」

 おそらくは七種ふみさんから教えて貰った『石上千代子』さん、そしてミヤケンの尋ね人である『岩楠いわくすフネ』さんなる人物に取り次いでもらう事になる。それを分かってか真咲は岩楠香澄との距離感を計りかねている様子だった。


「私の紹介で知り合ったのよ。ねっ? 真咲。まだ初々しいうえ、ふたりともシャイだからの事を聞かれるのに慣れていないの」

「まっ、そういうこった。お嬢ちゃん」

 助け船を出してくれたのは由布子、そしてミヤケンだった。


「えーっ! ホントですかぁ? なんか鳥飼センパイっぽくないなぁ。でも、そうだとしたら磯代ウチの女子で泣く娘、結構いると思いますよぉ。鳥飼センパイ狙いでサッカー部のマネージャーになった子だっているのにぃ」

岩楠いわくすいい加減な事を言うな」

 岩楠に対し、どちらかと言えば控え目な印象を持っていた柊悟はその妙に言葉の距離感が近い事に違和感を覚え、軽めの注意をする。


「いい加減な事じゃないですよ。1年生の女子だってセンパイに声を掛けたいのに、2,3年生の目があるから、遠慮してるんですよぉ。センパイだって、色んな子から差し入れのジュースとか陰で貰ってますよね? センパイ、アレの意味分からない程の鈍感さんじゃないと思うんですケド‥‥‥ 」

 どことなく棘のある暴露。そして、じゃれるようにシャツの袖を引いて来るその圧力は絵画のような美しさのある真咲や由布子とは違う肉感的魅力のある彼女のならではのモノだった。


「1人、2人からは貰った事はあるけど、サッカー部への差し入れは珍しい事じゃないだろ?」

 余計な情報提供をされたのと、圧力に負けた柊悟は身を引きつつ、慌てて言い繕う。バイクブーツが噛んだ砂利が矢鱈に大きく響く。


「ブー! ダウトです。私たちマネージャーはそういう所もチェックしてるんですよぉ。鳥飼センパイはこれまで7人の女の子から差し入れを貰ってまーす。これは部内で佳村部長に次ぐ、2番目の数でーす」

 左の手でピースサインを作り、掲げるその仕草は『平和』や『2番目』を語るものではないだろう。


「その変にしといてくれ、岩楠」

 学校での素直な言葉遣いと異なる、岩楠いわくす香澄のその小悪魔的な物言いと振る舞いにギャップを覚えた柊悟は、どう注意をしてよいか分からなくなった。逃げ場を求めるように彷徨わせた視線の端にミヤケンが困ったように顔を顰めている姿が留まる。


「こういう冗談を言っても声を荒げない所もポイント高いんですよねぇ。鳥飼センパイは成績だって校内トップレベルですし、ご両親が大学のセンセイでお屋敷住まい! 背もそこそこ高いですし、顔だってぼさぼさの髪さえ整えればかなりのイケメンさん。不愛想なのと噂に聞くシスコンぶりはマイナス材料ですケド、トータルすればかなりの優良物件ですから、気にならない女の子なんていないんですよ。ねっ、月野センパイっ!」

 そう語りつつ、真咲に微笑み掛ける岩楠香澄はやはり学校での印象と違う。それは制服でもジャージでもない、ホットパンツにTシャツという私服姿を見たせいなのかも知れない。

 柊悟は自身がある程度、目を引く存在である事は自覚していた。ただ、それはあくまでもサッカーをしている時だけだと思っていた。


 にこやかな笑みを続ける岩楠の発言は続く。


「それにですよぉっ! 何と言っても、あの『UFEAウェファ東京』から声が掛かる程の男の子となれば女の子は目の色を変えますよ!」


「いい加減にしろ岩楠!」

 一番触れられたくなかった事を言葉にされ、柊悟は思わず声を荒げた。当の岩楠は舌を出してお道化ている。

UFEAウェファ東京?」

 真咲が疑問の声をあげる。

「知らないんですかぁ、月野センパイ? 」

 何かを確信したように岩楠は笑みを浮かべていた。


「あっ! 思い出した。UFEAウェファって、あのヨーロッパのサッカーチームでしょ? シュウ、凄いじゃない!」

 そうリアクションを示したのは由布子だった。さすが流行に敏感なモデル。多少情報に間違いがあるものの、あまり一般の人間が知らない事を知っている。


 1年半ほど前に発足された『UFEA《ウェファ》東京』は正確に言えばクラブチームではない。欧州各国の2部以降に属するクラブチームが出資しあい、日本の有望な選手を集め、最新のトレーニングをさせるために作った強化団体だ。出資した各クラブは、これぞと思う選手を自らの下部組織で活躍させて、その選手を他のクラブチームに高く売る。しかも日本企業と言うスポンサー付きで。つまりはどちらかと言うと2部クラブの金策目的の団体。それでも、欧州という地でチャンスを貰えるこの団体の眼鏡にかなうのは大きな事に間違い無かった。


「スゲーんだな、兄ちゃん!」

「‥‥‥ 担当の方の名刺をもらっただけです」

 ミヤケンのリアクションにも伏し目がちで答える。イラつきと、あの日の光景、そしてアノの言葉がよみがえる。


 ―――『裏切り者』


「それって、電話して来いって事よ。すごいチャンスじゃない」

 由布子が語る意味は柊悟も理解していた。


「‥‥‥ 今日は俺のそんな話をするために、ここに来たんじゃない」

 話しを切り替えたい思いと、本来の目的を告げる為、柊悟は静かにそう告げて、会話の流れのベクトルを意識的に変化させた。

「私に会いに来たわけでもなさそうですし、何の用なんです?」

 咳払いと冗談を交え、そう返した岩楠は会話の主導権は自分にあると主張しているようにも見える。


「岩楠。俺たちは『石上千代子』さん。そして『岩楠いわくすフネ』さんの二人に頼み事があって来たんだ。たぶん、ご親族だと思うんだけど、取り次いで貰えないか?  」

 頷く真咲とミヤケン。その表情には少しの緊張が宿っていた。


「んー‥‥‥ 」

 唇に人差し指を当てて、何か考え込むような仕草をしばし見せた岩楠。薄く引いた口紅だけが妙に目を引く。


「来てますけど、ふたりじゃなくひとりですよ。『岩楠いわくすフネ』が本名で『石上千代子』が家元としての名。大叔母は石上の方で呼ばれる事の方が多いんです」

 同一人物。ふたりがひとつに繋がる。またの偶然。柊悟の背中を何かが走る。


「じゃあ、悪いけど取り次いでくれないかい? 岩楠の嬢ちゃん」

 ミヤケンの返しの言葉に岩楠いわくす香澄はニコリと笑う。


「うーん、どうしょうかなぁ。ひ孫である私の事をすっごく可愛がってくれるので、私が頼めば簡単なんですケドぉ。それなりに労力を使うからぁー。ご褒美みたいのがあれば嬉しいですねぇ」

「出来る事と出来ない事があるけど、オレは何をすればいいんだ岩楠?」

 条件がある。と言う事だろう。どのみち避けては通れぬ道、飲むしかない。


「さっすがセンパイ!察しがいい! 簡単ですよ。私をそのオートバイの隣に乗せてください」

 意外と言っては何だがハードルは低い。それに真咲には知られぬよう調べたい事があった柊悟には好都合でもあった。


「構わない。但し、目的地は俺が決める」

目的地は図書館。ネットの繋がらない今、調べ物は図書館が最適だろう。

「目的地はどこでも良いですよぉ。何なら磯代まで行っちゃいますぅ? でもそしたら私、夏休み明けたらイジメの対象になっちゃいますねぇ」

 カラカラと声をあげての合いの手は気持ちの良いものではなかった。


「冗談はそれくらいにしてくれ」

 再び機嫌が悪くなり明らかにムッとしている真咲を横に感じながら、柊悟はそう言葉を部の後輩に返す。


「カノジョさんの横でくだらない事ばかり言ってゴメンナサイ♪ じゃぁ、皆さん大叔母の所に行きましょ。こちらでーす」

 そう大仰に頭を下げた岩楠は、皆を案内するように進んで行き、茅葺屋根の屋敷の三和土で豪快にビニールサンダルを脱ぎ捨てた。


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