第32話 八の巫女

 落ち着いた佇まいに、清廉な服装、そして丁寧な言葉遣い。

『日本舞踊の家元』と聞けば、そんな人物像が浮かび上がる。だが、岩楠香澄から紹介を受けた『石上千代子』こと『岩楠いわくすフネ』はそれとはかけ離れた人物だった。


「まったく! どいつもこいつも繋がらりゃしない! 何がスマホだよ! 電波障害ごときで繋がらないなら、伝書鳩の方がまだマトモだよ!」

 苛立たしそうにスマホを畳に叩きつけた老婆は不機嫌である事を隠そうともしていない。


「こりゃあ、代役は見つかりそうも無いね。イラつくったらありゃしない。弓子、寄こしな!」

 オレンジに赤、それにグリーンが入り混じったサイケデリックな木綿のシャツに黄色の短パン姿の岩楠いわくすフネは隣にいる別の年配者に向かい右手でジャンケンのチョキのポーズを作って見せた。


「ダメですよ、お母さん。お医者様にも止められてるんですから」

「そうですよ、お婆ちゃん。せっかく禁煙が3も続いているんですから、このままやめましょうよ。代役は私の方でもあたって見ますから」

 代役については分からないが、話の流れからすると、もうひとりの年輩者・弓子さんが岩楠香澄の祖母、その隣にいる女性が母親なのだろう。


「なんだい! 亜矢子まであんな町医者若造の味方をするのかい! コッチはもう半分棺桶に足を突っ込んでる身なんだ、今更健康に気を使ってどうするんだい」

 とても90代とは思えぬハリのある声で子と孫に反撃を見せる岩楠いわくすフネはそう言うと掛けていた紫色の老眼鏡を額に乗せ睨みを利かせた。


「あー‥‥‥ツッコんでいい? 92年も生きている大ババから見れば、みんな若造になると思うんだけど…… それより、さっき話した人たちの事なんだけど、いいかなぁ」

 こんな会話慣れっことばかりに合いの手を挟む岩楠香澄。


「あぁ、香澄の知り合いとか言う連中かい? よくもまぁ、このクソ忙しい時に邪魔しに来てくれたよ」

 嫌味一発。ひ孫の頼みなら聞いてくれるとの話だったが、どうにも雲行きが怪しく見える。


「あの、その、私、月野真咲と申しまして、村中あやめ先生に日舞の基礎を……

 状況を打開する為だろう、怯えつつ、そう告げた真咲の言葉が終わる前に岩楠フネが身を乗り出してきた。

「あやめ? 村中あやめの教え子? するとアンタ、天野玉桂流ウチの門下なのかい!? 」

「は、はい」

 返事を聞いて額に乗せていた老眼鏡をかけ直し、真咲の顔を覗き込む岩楠フネ。


「‥‥‥なかなかの器量良しだね。アンタ、歳は? 」

「じゅ、16です」

「こりゃあ、運が向いて来たねぇ」

 よわい92年、岩楠フネのが皺だらけの口元を歪ませニヤリと笑い、背筋を伸ばした。


「『薫風くんぷう揺さぶえいの月』! 』

「えっ!? 」

 突然、凛とした老婆の声に真咲が驚きの表情を見せる。


「『えっ!?』じゃないよ! 天野玉桂流ウチの基礎八型のひとつだろ? ホラ、愚図愚図せず見せてみな!」

 眼鏡の弦の部分に手を掛け、真咲を睨むようにそう指示を飛ばす。

「は、はい」

 慌てて立ち上がった真咲は、ひと呼吸間を置くと、半身摺り足で三歩程進むと、左手を右肘に添え、斜め上を見上げる様な仕草を見せた。


「‥‥‥ 悪くないね。次、『夏鳥詠う上弦の月』! 」

 二度目の家元の指示に真咲は、再び摺り足でを三歩進め、右手を外側下へと降ろしつつ、小首を傾しがせた。その仕草に艶を感じてしまった柊悟は思わず視線を逸らす。


「最後、『淡雪染めし明けの三日月』!」

 三度の声に顔を両手で隠す様な仕草をしつつ、両膝を軽く折り、息をつく真咲。おそらく息をつくのも動作のひとつなのだろう。その証拠に家元である岩楠フネは納得したように首を縦に振っていた。

「ふんっ、あやめのヤツもそこそこやるじゃないか。弟子の筋は良いみたいだね。よしっ、合格だ。明後日の八の巫女はちのみこで行くよ。弓子と亜矢子は準備をはじめな。あたしはに本番での舞を教えておく」

 ニヤリと笑顔を見せた家元は再びどっかりと腰を降ろし、胡坐を組む。


「え―――‥‥‥ 私、この人と組むのぉ」

「諦めな! 家元としての命令だよ」

「‥‥‥ 」

 不満げな声をあげる岩楠香澄に対し、ピシャリと告げる岩楠フネ。柊悟はイマイチ状況が呑み込めていない。


「あの‥‥‥ 家元、八の巫女はちのみことか、仕込むとか、いったい何の事なのでしょうか? 」

 真咲も柊悟と同様のようで、困り顔だ。


「あんたには明後日、『一鎌箆竹ひとかまのだけ神社』で『赫夜かぐや』を舞ってもらうよ。八人いなきゃいけない舞なのに、八の巫女予定だった娘っ子が乙女じゃないのが分かってね。その代役だよ」

「えっ!」

 唐突な言葉に驚きの声をあげる真咲。


「『えっ!』って、まさかアンタも『実は身重でした』なのかい! そういや、アンタ、男連れてるね」

 おそらく真咲の『えっ!』はいきなりの代役に対しての『えっ!』であり、セクハラまがいの質問に関してのモノでは無いだろう。


「あー‥‥‥ 大おばあちゃん、たぶんソレ、大丈夫だよ。鳥飼センパイ、人並みにエッチだとは思うけど、簡単に女の子に手を出せるタイプじゃないから」

 褒めたのか馬鹿にしたのかは分からない岩楠香澄の言葉で、ようやく家元の質問の意味が分かったのか、真咲は顔を真っ赤に染め俯いてしまう。


「家元、まだ解決できない問題があります」

 言葉を挟んで来たのは、岩楠亜矢子。香澄の母に当たる人物だ。


「何だい、生娘が八人揃ったんだから、問題ないだろ? 」

「そうなんですが、本来、八の巫女予定だった詩織ちゃんと、えーと‥‥‥ 」

「月野真咲さんだよ。ママ、最近忘れっぽい。歳なんだね」

 真咲の名前を忘れた母親に香澄が言葉を添える。


「香澄アンタ、来月からお小遣い減らすからね…… 家元、そこの月野さんと詩織ちゃんでは身長が違い過ぎて、衣装が合わないと思うんです。あの子、背も高かったから丈が余ってしまうかと‥‥‥ 」

 要は真咲が踊るの際に着る装束が無いと言う事なのだろう。


「胸元の生地も余るよねぇ。詩織、長身のうえ巨乳だったしぃ」

 口元に意味ありげな笑みを浮かべる香澄の視線は真咲に向けられていた。

「胸なんて詰め物すれば済む話だろ? 丈も詰めればいい。とにかく、装束はアンタたちで何とかおし!」

「無理ですよ。私たちがお裁縫を出来ない事はお母さん家元が一番ご存じでしょ?」

 親子四代による真剣な会話の筈だか、そのあまりのテンポの良さはコントか寸借詐欺を思わせる。だが装束はどうにもならないのは事実らしく、家元・岩楠フネは眉間に皺を寄せ悩みだした。


 静まり返った10畳程の和室の中、縁側に吊るされている風鈴の音が静かに響く。



「丈を詰める事なら、私が出来るかもしれません」

 突然そう告げたのは、今まで静観をしていた由布子だった。


「ホントかいっ! あんた…… え―――… 誰だっけ? 」

 再びすさまじい勢いで身を乗り出させ尋ねてくる家元・岩楠フネ。その姿は子供のようでこう言っては何だが落ち着きの欠片もない。


「私は阿部由布子と申します。裁縫の真似事で生活してますから、道具さえあれば問題ないかと思います」

 由布子はモデル兼デザイナー。しかも売れっ子。実際には真似ごと所ではないだろう。


「道具ならあるさね。じゃあ、悪いけど頼めるかい?」

「‥‥‥ お引き受けするには条件があります」

 

「条件は金……かい? 」

 由布子を推し測るかのような家元の目。


「いえ、お代はいりません。こちらも本物の神楽衣装を繕うなんて、なかなか出来ない経験をさせてもらう訳ですから‥‥‥ 私からの条件はふたつ。ひとつはこちらの男性が『赫夜かぐやの舞』の写真を撮る事への許可。そしてもうひとつが、こちらの男の子の頼みを聞いて頂ける事です」

 本題をどう切り出すか、それを悩んでいた柊悟にとって由布子の発言は驚きであり、助け舟。それはミヤケンも同様だったようで驚きの表情を浮かべていた。

「写真ぐらいは好きなだけ撮ればいいさ。そこの坊やの頼みってのは何だい? 」


 家元の言葉に柊悟は真咲に視線を送る。


「私たちは家元がこれと同じ紋様の入った木箱を持っていると聞いて、ここまで来ました。出来たらそれをお貸し頂きたいのです」

 リュックからガサゴソとふたつの木箱を取り出す真咲。家元の表情が厳しいものに変る。


「‥‥‥ アンタ、それをどこで手に入れたんだい?」 

「ひとつは私が持っていたもので、もうひとつは柊‥‥‥ 鳥飼君のおじい様が持っていたものです」


「‥‥‥ 中身は、大きさからするとひとつは【枝】、もうひとつは【珠】か【鉢】ってところか」

「えっ‼」

 箱は蓋がされており、中は見えていない。そんな状況での中身への言及に柊悟は思わず驚き声をあげる。


「あー‥‥‥ それ、ウチにもあるやつ? 」

 香澄も事も無げにそう告げる。

「ありゃ、【】のひとつ以外はみんな偽物だよ」

「大ババは、いつも貝って呼ぶけど、あんなのタダの古い下駄じゃん」

 家元は孫の香澄の言葉に大きく息をつく。


「とにかく、裏祭が無事終われば、ウチの【貝】は貸してやるよ。今は時間が惜しい。月野とか言ったね、アンタはまず、衣装を作る! そこの阿部とか言うのも私についてきな。そこの男二人は祭りで使う竹を採って来ておくれ。弓子、亜矢子は藪まで案内して、採り方を教えてやりな」

 祭りに向けての段取りなのだろう。素早く指示を飛ばす岩楠フネ。家長らしくその指示は細かい。


「あ―――… 私は? それと鳥飼センパイを少し借りたいんだケド」

「アンタは残り7人分の衣装の確認したら、好きにおし。坊やも竹取にはそんなに時間は掛からないだろうから、終わったら煮るなり、焼くなり好きにしな」

 柊悟の意志も確認せず、家元はそう言い残すと、真咲と由布子を引き連れるように和室をバタバタと出ていってしまった。

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