第6話 月の妖光

「しかし、本当に変わった紋様だね。ボクの方でも少し調べてみるか…… シュウは分かっていると思うけど、月野クンを日の出のお義父さんの所に連れて行ってくれ。先生お義父さんなら瑪瑙について何か分かるハズだ」

 そう言いつつ、立ち上がった碌朗はリビングの奥に向かい歩き出した。


「はぁ? なんだよそれ!」

 やはり予感は的中した。


「言葉通りの道案内だよ。お前なら藤原の家までの道は分かるだろ? 」 

 碌朗はさも当然のような表情で、一瞬だけ柊悟を見つめたが、すぐにリビングで何やら探し物をしはじめた。


「そりゃあ、分かるけどさ…… 」

「なら何が問題なんだ? めんどくさい奴だな。そもそも、あんな凄い山奥まで、女の子ひとりで行かせるわけにはイカンだろ? あそこじゃあ、交通手段だって限られるし…… あれぇ、どこに置いたかなぁ? 」

 探し物は見つからないらしく、碌朗はガサゴソとリビング備え付けの棚を漁っている。


「あの…… 日の出とか、藤原って? 」

 月野も困惑しているのか、その瞳は泳いでいた。


「真咲さん、日の出のおじいちゃんって言うのは、私たちのおじいちゃん。お母さんアノ人のお父さんで、お父さんのセンセイなんだ。変わってるけどすっごく良い人で物知りなんだよ」

 分かるようで分からない四葉の説明。


 お義父さん、または日の出のおじいちゃんとは、東京都にある日の出町の山奥に住む柊悟と四葉の祖父で、一年前に家を出た七菜香の父親、藤原音治郎ふじわらおとじろうの事を指す。国立大学の元教授でもあると同時に、父・碌朗の恩師でもある。ついでを言えば、ゼミに通っていた碌朗をえらく気に入ったこの元教授が、自身の娘と引き合わせた為、ふたりは結婚にまで至ったのだ。

 離婚騒ぎの際にも、この変わり者の老人は碌朗の全面的な味方に立ち、ついには実の娘を勘当までしている。


 四葉の言葉は続いた。


「真咲さん、おじいちゃんなら、きっとその箱についても何か知っているから安心していいと思いますよ! 」

「うん。ボクの知る範囲の学者で、お義父さんより博識な人はいないから、月野クンの探し物についても何らかの光明が見えると思うんだ…… おっ! あった、あった! ほれ、シュウ」

 そう言って碌朗が柊悟に投げてよこしたのは、バイクのキー。


「これ、SR400ウラルサイドカーのキーじゃん! 」

「おまえの単車じゃ、二人乗りはしんどいだろ? 特別に貸してやる」

 

 バイク乗りは自身の単車を人に預ける事を極端に嫌う。たとえそれが親子であっても。裏を返せば、それを貸すのはそれなりの意味があると言う事だ。


「お義父さんにはボクからも連絡を入れておくよ。出発は明日の早朝にすれば暑さも避けられるだろ。月野クンは取り合えず今日はゆっくりして行きなさい。ボクは、もうひと眠りするから、お昼になったら起こしてくれ」

 碌朗はわざとらしく欠伸をしながら、腰を上げるとダイニングリビングを出て行ってしまった。

 言葉を荒げる事など、まずない碌朗であったが、逆に何かとぼけたような動作をする時には決して引いてくれない事を柊悟は知っていた。


「鳥飼クン、ごめんなさい。せっかくの夏休みなのに」

 申し訳なさそうに頭を下げる月野。


「いいんですよ、月野さん。どうせ暇なんですから、ねっ! シューゴちゃん」

「まぁ、暇っていやぁ暇だけどさ…… 」

 月野が泊まる事を嬉しそうに笑う四葉を横目で眺めながら、柊悟は曖昧に頷いてみせた。


 ************************************


 夜。


 月野と四葉の二人が作った餃子とソーメンと言う何とも微妙な組み合わせの夕食が済むと、すっかり仲良くなった二人は一緒にお風呂に向かってしまった。

 リビングには父と息子のふたりのみ。


「いいのかよ、父さん」

 焼きのりをつまみ代わりに、ビールを飲みはじめた父に柊悟は静かに語り掛けた。


「バイクなら構わんぞ? それに夕食の時に話した通り、明日からしばらくの間、八重子と怜美ちゃんたちが泊まりに来てくれるから四葉も心配いらん」

「叔母さんトコの子たちが来てくれるのは助かるんだけどさ…… 」


 母・七菜香が家を出て行って以来、柊悟はこの広い家に四葉を長時間ひとりさせておくことを出来るだけ避けて来ていた。それは、安全を考えての事でもあるが、それ以上にこの広い家でひとりでいる孤独感を少しでも和らげるのが一番の目的だった。


「シュウ、お前がいつも四葉の事を気に掛けてくれるのはありがたいが、お前自身、もう少し我儘でいいんだぞ。部活だって…… 」

「部活の事は前も話した通りだよ。それに十分、好き勝手もしているし…… それより、あの子の事なんだけどさ…… 」

 本人と四葉がいない今、父には話しておくべきだと思った。


「わかってるよ。あの子が偽名を使っている可能性があるって言いたいんだろ? そもそも月野姓は鹿児島や宮崎、大阪に見られる苗字だ。だけど、あの子の話し方には、西日本の方言やイントネイションは見られない。神奈川にも月野と言う苗字の方は40世帯130人くらいはいるが、さっき八重子に聞いたかぎり、遠縁でも『真咲』なんて名前の女の子はいないとさ」

 やはり気が付いていたらしい。


 民俗学において、苗字のルーツや地域分布は大切な知識のひとつ。おまけに明日から泊りに来る碌朗の実妹・八重子は、その神奈川に数少ない月野家に嫁いでいる。


「それを知ったうえで、なんで助けるのさ? 俺だけでなく、父さんや四葉まで騙しているんだぜ? 」

「別に良いんじゃないか? 騙されても」

 少し呆れ気味に尋ねる柊悟にむかい、碌朗は軽く笑いかけ言葉を続けた。


「学術や研究、そして誰かを貶める為の嘘は確かに許されるものではない。でも、あの子の場合は、その手の嘘じゃない事くらいは、シュウにも分かるだろ? 」


「 ……でもさ」

 主張は分かるがイマイチ釈然としない。


「お前は嘘を見破った事を誇りでもしたいのか? あるいは、嘘をついた相手を問い詰めたいとか…… そんな薄っぺらい正義感は、マスコミや政治家にでも任せておけばいい」

 それは珍しく説教じみた物言いだった。


 碌朗の言葉は続いた。


「偽りを見抜く冷静さと洞察力、そして知識があるのなら、相手が何故、真実を語れないのか、何を望み偽っているのかまでを考えてみるんだ」


「…… 」

 ビールを呷る父の心の内は分からない。それでも、今、その脳裏には母・七菜香がいるのは、表情で察しがついた。


「とにかく今回は、騙されついでに助けてやれ。最後までな」

 そう言うと父は話はこれで終わりだとばかりに、リビングのTVをつけ、天気予報を見始めてしまった。

 アナウンサーはこの所のお約束の『異常気象』を口にしている。


「これだけ異常な暑さが続くと、フィールドワークの多い母さんは、大変だろうな」

 ひとりごとのように出た元妻に対する心配。TVを見始めたその姿に柊悟はため息をひとつつく。


「あー! ヤバイ、もう、こんな時間! お父さんCSにして貰っていい? サッカー見たいの。真咲さん、一緒に見ましょ! 青いユニフォ-ムの14番、めちゃくちゃイケメンなんですよ」

 リビングに四葉の声が響くと同時に、TVのチャンネルが変わる。


「どんなカンジのイケメンなの? 」

「少し昭和入ってるんですけど、ワイルドで良いんですよ」

「あー、それって私好みかも」

 髪をバスタオルでこすりながら四葉と共に月野も風呂から上がって来た。


 その濡れた髪の深い藍み、湯上りでほんのり赤味を帯びた肌、そして自分が貸した黒いTシャツと綿パンを着る月野真咲の姿に柊悟は思わず視線を逸らす。


「四葉、昭和入ってるってなんだ?」

「お父さんもダメだなぁ、昭和入っているって言うのはね、あごが尖って無くて、フェミっぽくなくてぇ、髪型とかも気にしないカンジの事だよ」

「そのどこがイケメンなんだ? ボクは昭和生まれだけど、ぜんぜん分からんぞ? 」

 楽しげな四葉と父の会話をどこか遠くで聞きながら、柊悟は明日、走らねばならない日の出町までのルートを思い浮かべつつ、残りがわずかとなった父のグラスにビールを注いだ。



 *************************************


 深夜、部屋を照らす月明かりの眩しさに柊悟は目を覚ました。

 スマホが示す時刻は午前2時。


「餃子を喰い過ぎたな」

 喉の渇きを覚えた柊悟は、ダイニングで冷たい麦茶でも飲もうと部屋を出る。無駄に家が大きいと、こんな時にもそれなりにの距離を歩かなくてはならない。

 納戸を過ぎ、昔、母の使っていた部屋の前を曲がり、階段の手前まで来ると、そこには人の姿がった。


 月野真咲だ。


「ごめんなさい、勝手にお家の中をうろついて」

 気配に気が付いたのか、振り向いた月野は静かな笑みを見せる。


「人の家だと、寝付けないよな」

「うん」

 そう静かに答えた月野真咲は階段手前にある南側の大窓から、外を眺めていたようだ。少し不安そうなその表情は、はじめて出会った時のある種の危うさや、四葉と会話をしている時の優しさとも違う別の顔に見えた。


「喉が乾いたなら、麦茶を入れるけど」

「ありがとう、でも喉は乾いていないから大丈夫。それより、明日はごめんなさい。せっかくの夏休みなのに…… 」

 日の出町までの道案内の事を言っているのだろう。


「別にいいよ。ツーリングと思えば、それなりに楽しめる」

『騙されついでに助けてやれ』柊悟は昼間父が言っていた言葉を思い出していた。


「そう言ってもらえると助かるわ。じゃあ、明日はお願いね」

「こちらこそ。明日は早いし、3時間は走るから、よく寝ていた方がいいよ」

 神奈川の南の端から東京の北の端まで。距離的には2県を跨ぐのと変わりはなかった。ましてや、サイドカーの狭い側車に乗るのだ。体調が良いのに越した事は無い。


「うん、そうするわ。おやすみなさい」

 そう静かに笑い、部屋に引き上げていく月野。柊悟は彼女の去った大窓の前で、ひとり彼女が眺めていた外を見つめた。


「月か…… そういや、今日は満月だよな」

 柊悟が覗いた窓の外には、月の顔のひとつ、満月が薄く、そして妖しく光を放っていた。




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