第26話 名の由来
「今の人はなに! なんであそこにいるの? 」
むろん、言わんとしている事は分かる。
本来なら『車のフロントガラスにソースを掛ける』と言う柊悟の行動により、黒装束のリーダー格であるアノ人物は遥か後ろにいるハズなのだ。それなのにアノ人物は前から歩いて来た。常識的に考えてありえない事だ。
柊悟の脳裏にローリの言葉『彼らは人ではないかもしれない』が
「みんな黒装束なんだ。似たようなヤツがいてもおかしくない」
気休めにもならない言葉である事は分かっていた。
「じゃあ、『咎』って何? 罪の事でしょ? あの言葉は明らかに私に向けられていたわ! あの人たち何なのよ! 人の夢にまで出てきて‥‥‥ 」
「夢? 」
かなり興奮している真咲がつぶやいた意外な言葉に柊悟は思わず聞き返す。
「柊悟、私ね夢を見るの。とても怖い夢。五つの木箱を抱えた私が黒い影に追いかけられる夢を‥‥‥ 」
おそらく真咲が木箱の数が五つと言っていたのは、この『夢』が論拠なのだろう。柊悟は黙って頷き先の言葉を促した。
「それで、息が切れて倒れそうになると、後ろから女の人の声が聞こえて『逃げなさい。決して捕まってはダメ』って‥‥‥ それで、私はその声に向かって叫ぶの『お母さん、助けて!』って‥‥‥」
ミラーに映る車や人の影は見当たらない。柊悟はハザードを灯し、ゆっくりとウラルを停車させた。
「『お母さん』‥‥‥ か。文七さんの家にふたりで泊めて貰った時に、魘されていたみたいだったけど、原因はそれか?」
「うん。あの時は柊悟が手を握ってくれたおかげで悪夢から逃げ出せたんだよ」
正面から見据えられ耳の裏側が熱を帯びると同時に、あの時に見た白い靄のようなモノを思い出す。
少し離れた所から聞えてくるけたたましいバイクのエンジン音。
「‥‥‥ 柊悟?」
おそらく、考え事をしていた事が顔に出たのだろう。真咲が顔を覗き込んで来た。
「いや、ずいぶん喧しいバイクだなぁって思ってさ」
むろん、ごまかし半分の言葉だ。
「暴走族の人たちかな?」
自身が興奮していたのを治めようとしているのだろう、真咲が話に乗っかってきた。
「音の感じからするとそうだと思う。このあたりにも、未だにいるんだな」
「このあたりにもって、柊悟のお家の側にも暴走族っているの?」
「今でも多少はいるんじゃないか。親父の話だと、昔は129号線や16号線は凄かったらしいから。ブラックエンペラーにスペクター、ホワイトナックルに相州連合、
柊悟は小耳に挟んだ暴走族の名をあげてゆく。
「それ、全部暴走族の名前なの? 」
「そうらしい。現存するかは知らないけど」
どれもインパクトがある名前なのは間違いがない。
「でも、なんかいいね」
「良いって、暴走族の
真咲の意外な返答に柊悟は思わず吹き出しそうになる。
「うん。名前。たとえ暴走族でも名前って素敵だよ。名付けた人たちの色んな思いが詰まってるんだもん。私も本当の名前を知らないけど、園長先生が付けて下さった『真咲』って名前気に入っているんだ。『たおやかに咲き誇る花のようにあって欲しい』って意味なんだって」
自身の名の由来を少し照れ臭そうに語る真咲の言葉は続いた。
「『柊悟』って名前にも由来はあるの? 」
微笑みながら尋ねてくる真咲の表情に柊悟は思わずドキリとする。
「母親が欧州の花言葉からあやかってつけたらしい」
小学生の時、同じ課題で作文で書かされた為、親から名の由来は聞いていた。
「あ、なんかスゴそう! どんな意味? 」
「今となっちゃ、母さんへの皮肉だよ。柊の花言葉は『家庭の幸せ』なんだから」
むろん、花言葉は複数あり、真の意味はそちらにあったのだが、今のタイミングでそれを語るのは少し照れ臭かった。
「なんか、誤魔化された気がするなぁ」
「まぁ、どちらにしても大した意味じゃないんだよ」
口を尖らし抗議する真咲に苦笑いで答える柊悟。恐らく母親が絡むことを匂わせたので、真咲もあまり追及せずにいてくれたのだろう。柊悟は再び別の意味での苦笑いをもらす。
「なぁに、その顔? 」
「いいや、別に。そろそろ七種さんのお母さんの所に行こうぜ。黒装束の奴らについても何か分かるかも知れない」
何故か顔が赤い真咲にそう語りかけると柊悟はバイクのエンジンを一度吹かし、『古書・酔夢庵』に向かった。
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意外といっては失礼なのかもしれないが、辿り着いた『古書酔夢庵』は外観こそ古いが、内装はどこか大正時代を思わせるモダンな造りで、古本屋と言うよりは、お洒落な喫茶店のような佇まいをしており、アルバイトらしき人まで使っているかなり繁盛している書店だった。
「あなたたちが
店に入るなりいきなり飛んできた妙に低い声。
おそらく娘である
「ここに名前を書いとくれ」
「名前ですか? 」
「そうだよ。名前をフリガナ付きで頼むよ」
「‥‥‥ 」
突然の意味不明な依頼に言葉を失う柊悟は自然と真咲と視線を合わす。
「借金の保証人にする訳じゃないんだから。安心しておくれ。名前の字面を眺めるのが私の趣味なんだよ」
「はぁ」
万葉仮名に精通している様な人だ、おそらく字に関して何か拘りでもあるのだろう。柊悟はボールペンで自身と真咲の名前を書きあげる。
「『鳥飼柊悟』クンに『月野真咲』さん‥‥‥ ふたりとも良い名前じゃないか」
ニカリと笑うふみさんの視線は何故か 文七がくれた胸元に揺れるふたりのペンダントに向けられていた。お礼の意味だろう、深く頭を下げる真咲。柊悟は少し前の会話を思いだし軽く頭を掻く。
「で、あんたたちもアノ木箱を持ってるんだってね。しかも2つも」
明らかに木箱の事を知っているその言葉に真咲が驚きの表情を見せる。
「おばあさまも、この木箱をご存じなんですか? 」
ガサゴソとリュックから二つの木箱と
「やっぱり、あの木箱と同じモノだねぇ。四角い箱の方は『
あっさりと万葉仮名を読み上げるふみさん。
「七種さんはどちらでコレと同じものを見たんですか? 」
真咲の声は震えていた。
「わたしの踊りのお師匠さんのお家だよ。私が貴女くらいの年齢の時だったかねぇ」
七種ふみさんは年齢的60前後。逆算をすれば45年ほど前に木箱を見たと言う事になる。そう考えるともうかなり昔の話だ。
「本当ですか?」
「嘘を言っても仕方がないだろ? まぁ、年の頃はおおよそだけど、見たのは間違いないよ。なにせ中身の『雀の
雀の小町下駄?
舞台で踊る?
突然の内容に柊悟は少し混乱気味だ。
本屋ではコーヒーが出されているらしく、コーヒーミルで豆を挽く心地よい音が聞こえて来た。
「下駄って、あの履物の下駄の事ですか? 」
「そうだよ。可愛らしい下駄でねぇ。薄茶色をした歯に白い鼻尾。それに踵の所が少し高くなっていて。履いていると不思議な感じがする下駄だったのよ」
眼鏡の奥の視線どこかをどこか遠くに置くふみさん。
「形を聞く限り、小町下駄と言うより、
ふみさんの言葉に柊悟はポツリと言葉をもらす。
柊悟の知識によれば、『高右近下駄』は踵の部分が高くなっており、言うなればヒールの様な下駄だ。普通に考えれば踊る事には適していない形状。むろん、その知識の全ては民俗学者である父からの受け売りではあるのだが‥‥‥
下駄は意外と種類が多い。
使用用途や木の種類、地域などによって名称や形状も様々だが、その発祥は非常に古く弥生時代と言われている。それらは『田下駄』と呼ばれ、農作業時に足を泥濘に取られぬ為に使われたいわば農具なのだ。その木で出来た2枚歯の履物は、泥の中での抵抗を少なくし、人間が移動し易いよう非常に合理的な形状をしている。
形状と言えば、アニメなどで見る事があるどう見ても歩きずらそうな一本歯の下駄。通称『天狗下駄』も山道の急坂を効率的に歩くために造られたもので、実際に急坂で使ってみると傾斜と身体の傾きを利用できる合理性の塊のような形状なのだ。
今の下駄の原型は15~16世紀に流行った『馬下駄』と呼ばれる庭履きに見ることが出来、その木の裏側が六角形にくり抜かれた形状は、多くの人が連想する「下駄」そのままの形をしている。
そこから祭事用に装飾などが施され様になり、花魁が履くぽっくりや成人式などの時に好まれる高右近下駄が生まれた。
合理性から生まれた履物。それが下駄なのだ。
「柊悟、踊りで履物を履くのは自然な事だし、履く事にも意味があるのよ」
真咲も日本舞踊部に属している為か、その知識は豊富らしい。
「あななたち若いのに詳しいわねぇ」
心底驚いた様な声をあげるふみさん。
「僕はたまたまですが、真…… 彼女は日本舞踊部なので…… 」
柊悟の言葉に真咲が少しだけ顔を顰める。どうやら余計な言葉だったらしい。
「あら、今時日舞なんて、珍しい! 月野さんの流派は? 」
「すごくマイナーですし、私なんてまだ駆け出しで……」
明らかに言い淀んでいる真咲。どうやら格式や伝統がモノを言う古典芸能では派閥はややこしいモノらしい。柊悟朗は自分の迂闊さに奥歯を噛んだ。
「私もマイナーな流派よ。知ってるかしら『
眼鏡を取りつつ、そう微笑みかけるふみさん。眼鏡を取ると意外に若く見えるその姿は日舞をやっている事を知った事もあり、気品があるようにも見えるから不思議だ。
「えっ! ほんとですか? 私も『
嬉しそうに飛び上がる真咲。
「ほんと! 先生はどなた? 」
「村中あやめ先生です」
「『あららら? 』が口グセのあやめちゃん? あの子は私の妹弟子なのよ! なら、あなたは私にとっても内孫みたいなモノじゃない! 」
ふみさんも手を叩いて喜んでいる。
「そうですっ! その村中先生です。私もよく『あららら? 月野さん。足の運び方が違うわよ』ってお叱りを受けるんです! 」
孫と叔母と言ってもおかしくないくらいのふたりが、見つめ合い、嬉しそうに話に花を咲かせてゆく。
完全に置いてけぼりを喰った柊悟は、そんな二人を眺めながら、三つ目の木箱との対面が近日である事を確信すると同時に、あまりにも重なる偶然に嫌な予感を感じていた。
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「内孫が困っているとあっては、力にならない訳に行かないわね」
ふたりでたっぷり三十分は話したろうか、七種ふみさんはにこやかに笑うと、レジの引き出しから便箋を取り出し、何やらメモを書きだした。
「ここに行ってみなさい。先生なら、きっと木箱を貸して下さるわ」
書き上げられた便箋には達筆な字で山梨県の住所が記されていた。ここからだと2時間以上は掛かるだろう。
「あの下駄と木箱の持ち主である石上千代子先生は、今年91歳になられるけど、非常にお元気よ。今の時期だと山中湖湖畔の別荘にいる筈だから尋ねてみるといいわ。お付きの人に私の名刺を出せばお会いしてくれるはずだから‥‥‥ こんな可愛い門下の人がいるなんて知ったら先生、大喜びするわよ」
お付きとは、妙に仰々しい気もするが親族の人の事なのだろう。
「ありがとうございます」
真咲と並び深く頭を下げる柊悟は、ふみさんの視線が自身に注がれている事に気が付く。
「それにしても、真咲さんはなかなかの男性を捕まえたわねぇ。私たちがふたりで盛り上がっている時も邪魔をせず、だけど決して離れず、ただ静かに見守っていた。コレって若い子にはなかなか難しい芸当の筈よ」
「いえ、その、自分はただボーっとしていただけで‥‥‥ 」
突然の誉め言葉に柊悟はたじろぐ。
「嘘が下手ねぇ。あなたがそこに立っているのはエアコンの風が直接、真咲さんに当たるのを防ぐためでしょ? 」
「‥‥‥ 」
「それにボーっとしていたなんて言うのも嘘。あなたは常に周りに気を配っていた。お店の邪魔になっていないか、誰かに会話を聞かれていないかって、具合にね。きっと、妹さんか弟さんがいるんでしょうね。まさに『柊悟』の名の通り、『護る』人なのね」
「‥‥‥ 」
自身の行動や考えを見透かされ言葉が出なくなった柊悟は、ただ頭を掻きその場の空気と真咲の視線を緩める。
柊の花言葉のもう一つの意味。そして、母が付けた名の由来。
――― 護る
「真咲さん、この人、結構モテると思うし、このとぼけたカンジはきっと女泣かせだから、シッカリ捕まえておかなきゃダメよ」
「いや、自分たちは‥‥‥」
まるで、人を女たらしの様に表現するふみさんに柊悟は思わず反論する。ふみさんの左眉だけが、ピクと動く。
「‥‥‥ ふたりは出会ってどのくらいなの? 」
「4日目です」
即答する真咲の横で、考えてみればそれくらいしかたっていない事実に気が付く柊悟。
「あら、それは意外ね。息もあっているし、お互いが相手の名前を冠する木のペンダントまで付けているから、もっとベテランさんかと思ったわ」
再び飛び出した意味不明の言葉。
「名前を冠するペンダント‥‥‥? 」
真咲が不思議そうに聞き返した。
「このペンダント、知り合いの職人さんがプレゼントしてくれたものなんですけど、謂れとかは聞いていないんです」
柊悟は文七の顔を思い出しつつ静かにそう告げる。
ふみさんは小さくため息を着いていた。
「その職人さん粋な方なのね。真咲さんあなたのペンダントは『柊』で、柊悟さんのペンダントは『
文七らしい計らいだが、あまりにもロマンチシズムに満ちていている。
「そうなんですか‥‥‥ 文七さんらしいなぁ。今度会ったらお礼言わなきゃ」
―――ミシッ
ペンダントを見つめる真咲から小さな声が聞こえたと同時に、『古書酔夢庵』の壁が震えた。
―――ジャリッ
次にガラスの揺れる音。
積まれた本が小刻みな振動を起こし、小さな咳のような音を立てる。柊悟は咄嗟に真咲の腕を引き自分の方に強引に引き寄せた。
「ヤベッ、地震?」
「大きくない?」
「いや、それよか長いのがマジヤバいって」
「ネットが繋がらないから『ゆれゆれ』で速報も見れないよ。震源どこよ? 」
書店にいた高校生らしきふたりの会話。地震慣れしている日本人とは言え、今の地震は長く感じたのだろう。会話にも焦りが見えた。
「大きかったね」
「ああ」
地震の収まりに大きく息をつく柊悟。
「毎日の異常な暑さに加え、今度は地震かい? まったくイヤになるねぇ。まぁ、悪い事ばかりじゃないみたいだけどね」
どこか呆れたようなふみさんのため息交じりの言葉。
その視線が地震が収まっても、尚、身を寄せ合う自分たちに向けられている事に気が付き、柊悟と真咲は慌てて距離を取った。
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