第25話 咎の問答

 246号線から市道に分岐する三叉路を左に進むと、前方に駅が見えて来た。少し小さめのそのホームには銀に青色のラインが入った3両編成の電車が止まっている。


「あれって、小田急? 」

「いや、だよ。小田急海老名駅は反対側」

 真咲からの問いかけに視線で南側を示す柊悟。


「がみせん? 」

「JR相模線、略して、七種さんの実家『古書酔夢庵』は、そのガミ線の『社家しゃけ』って駅の少し先にあるみたいなんだ」

 柊悟はそう答えつつ、北へと向かう為、ハンドルを右へと切り始める。反射的に覗いたミラー。そこに映った白い影。


 ――― 白い車


 柊悟の背筋にチリチリと痛みにも似た何かが走る。


「真咲、冷静に聞いてくれ。白のカローラあいつらだ」

 出来るだけ冷静に事実を告げた。

「えっ…… !」

 真咲から表情が消える。


「振り向くなよ。3台後ろだ」

「どうしよう! 」

「考えがある。俺が百円ショップで買ったソースはあるか?」

 身体を強張らせて尋ねてくる真咲に柊悟はゆっくりと語りかける。


「あるわ。私の足元にレジ袋ごと置いたのは柊悟でしょ」

「そうだったな」

 柊悟はそう告げると、深く呼吸しバイクをゆっくりと相模川沿いに進ませた。道幅は徐々に狭くなり始め、幅は4メートル程となる。不安そうに前だけを見つめる真咲は少し震えているようにも見えた。


 掌の汗と口の中の渇きを意識しつつ、さらに北上を続ける。白のカローラは5メートル程うしろに迫って来ている。


 途中、『酔夢庵』と看板の掲げられた矢鱈と大きな木造家屋の前を通り過ぎる。おそろくは目指していた七種さんの実家なのだろう。そして、そのまま更に北上を続け、10メートル程の隧道トンネルを潜り抜けると、車どころか人通りさえも無くなった。


 これを待っていた――― 柊悟はハザードランプを灯し、ゆっくりとバイクの速度を落としてゆく。


「えっ! 柊悟? オートバイ停めちゃうの? 」

 人の歩行速度と殆ど変わらなくなったウラルに驚く真咲。白のカローラはすぐ後ろに迫って来ていた。


「必ず切り抜けてみせるから安心しろ。合図をしたら例のヤツをくれ。それと、少し荒っぽい事をするからシッカリとバーに掴まってろよ」

 ハンドルを握る手が細かく震えているのを悟られぬよう、柊悟はそう笑顔で答える。真咲が頷くのを確認すると柊悟はウラルサイドカーを右側に寄せ、完全に停車させた。ミラーに映るのは真後ろに停まる白のカローラ。



 ――― 勝負


「真咲! 」

 叫ぶと同時に手渡された小さな容器。柊悟は素早くその蓋を外し、プルタブを引くと、その容器を白のカローラのフロントガラス目掛け投げつけた。


 放物線を描き車に当たった容器からはソース液体が溢れ、フロントガラスに黒いシミを広げてゆく。直ぐさま反応を見せる車のワイパー。だが、その行為はフロントガラスをキレイに拭う所か、窓一面に黒い油膜を広げた。


「——— ‼」

 車から聞えた誰かの叫び。


『ワイパーで油が取れる訳ねえだろ! クソ野郎』

 柊悟は心の中でそう声をあげる。

 

 あまり知られていない事だが、ワイパーは粘性の強い液体との相性がすごぶる悪い。

 ワイパーは雨という粘性のない液体をこそぎ落とす事には最適の道具なのだが、油をこそぎ落とすとなると最悪の道具となってしまう。なにせワイパーで油を拭うと、フロントガラスに万遍なく油膜を広げ、視界一面を塞いでしまうのだから。


「よし!」

 勝機を捉えるべく柊悟は左足を素早く動かし、側車のみにブレーキを掛けた。そして、ハンドルを思いっきり左に切りつつ、バイクのスロットルを一気に開放した――――――


「曲がれぇ―‼ 」

 柊悟は叫び声をあげ、身体を側車側に思いっきっり傾ける。エンジンの唸り、そしてタイヤの摩擦が作る旋回音と焼けた匂い。膝と腰、それに腕に感じるのはエンジンの駆動力トルク


 側車を軸とした急旋回アクセルターン。サイドカーのみが可能な究極の荒業。


 それの成功を確信した時、柊悟の視界は180度回転し、真後ろに停まっていた筈の白いカローラを正面に見据えていた―――



「真咲! 平気か?」

 問いかける声に何度も頷く真咲を確認した柊悟は、ブレーキペダルから足を放し、猛スピードで白いカローラの横をすり抜ける。ミラー越しには車を降りてこちらを眺め続けている4人の黒装束の男たち。


 その悔しそうな姿を見た柊悟は、頬の高さで左拳を握りしめる。それはサッカーをやっていた時に柊悟が稀に行うガッツポーズでもあった―――




 ************************************



「いったい何が起きたの? ソース投げつけたり、オートバイが物凄い勢いで180度回転したり…… 」

 ゆっくりとした走行はじめたウラルの側車から真咲が問いかけて来た。もう、あの現場からは2キロは過ぎただろう。


「キック&ゴー、いや、クライフターンも決めたからなぁ。なんて言えば良いんだろ? 」

 まだ心臓が高鳴っている柊悟は、興奮を抑えきれず、つい好きなサッカー選手の名前冠する技を口にする。


「クライフたん? 」

「クライフたんって、アニメのキャラじゃあるまいし‥‥‥ アヤックス、そして元サッカーオランダ代表、伝説の14番ヨハン・クライフの事だよ! クライフターンはその人の代名詞みたいなもんで、ドリブルのテクニック!」

 柊悟はそう答えると笑い声をあげた。


 少しの静寂。


「やっぱり、サッカー好きなんだね」

「‼…… いや、まぁ、‥‥‥な」

 真咲の指摘に興奮が少し冷めた柊悟は言葉を濁す。


「でも、もう少し説明してからやって欲しかったわ。心臓が止まると思った」

 たぶん、言葉が続かなかった柊悟への気遣いだろう。その恨み節は拗ねたような笑い声が混じっていた。

「わりぃ。俺もいっぱい、いっぱいだったから」

 素直に頭を下げ、お詫びの言葉を告げる。


「ホント、四葉ちゃんや音治郎さんが言っていた通り、柊悟は『言葉が少し足りない』わ。人から誤解を受けるタイプの典型よっ!」

「あのなぁ。それ、結構気にしてんだぞ」

 口ぶりにどこか遊び心があった為、柊悟は苦笑いをしつつ、そう返す。


 表情を少しだけ緩めた真咲が言葉を繋げる。


「…… でも、かっこ良かった」

「えっ!? 」

 驚く柊悟は先ほど通り過ぎた隧道に差し掛かる。中は夏の陽射しが途切れただけで、幾分涼しく感じた。少し先には近隣住む人なのだろう、隧道の中を歩く人影が見えた。


「守ってくれてありがとう」

「い、いえ。どういたしまして…… 」

 正面からの言葉に戸惑いを覚え、正面しか見る事の出来なくなった柊悟は、その歩行者の脇を速度を落とし通り抜ける。


 刹那、通行人の男から言葉が飛んできた―――


「貴様、また咎を犯す気か? 」


 その生命感の無い声に柊悟の背筋は凍りつく。真咲から上がる小さな悲鳴。慌てて確認したミラーに写る影。


『アイツだ!』

 柊悟はスピードをあげつつ、心の中でそう呟く。


 ――― 追い越した人物

 それは先程、走れなくなったカローラの横で、走り去る柊悟たちの姿を見つめていた黒装束の男のひとりだった。
































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