第9話 縁の贈物

 

「茉莉さん、シューゴが素敵な人恋人を連れて来たヨ。スゴイ美人サンね。名前は月野真咲さん。ボクとロクローの血を引いているせいか、シューゴもスゴイ面食いネ」

 そう優し気に語り掛ける音治郎祖父に柊悟が何も言わずにいたのは、反論する気が失せたわけでも、とぼけられてしまうのが分かっていたからでもなく、音治郎祖父が心から茉莉祖母を愛しているのを知っていたのと、仏前で静かに手を合わすその姿がいつもより小さく見えたからだった。


「さ、シューゴとマサキさんも挨拶してやって下さい」

 笑顔を湛えてそう話す音治郎と位置を代わり、柊悟は前へと進み出て静かに手を合わした。

 仏壇に飾られたマリーゴールドと茉莉花ジャスミンは共に茉莉祖母の名を冠する花だ。仏壇に飾る花にしては些か派手な気もしたが、そんな花たちに囲まれ、写真の中の祖母は静かに笑っていた。


 風鈴が静かに鳴り、仏花の香りに混じり線香の匂いが薄く柊悟の鼻をついた。


「ばあちゃん、遊びに来たよ」


 祖母が癌で亡くなったのは4年前。まだ若かった為か進行が早く、発覚してから亡くなるまでは1年と掛からなかった。音治郎が慰留されたのにも関わらず、大学教授の職を辞したのも茉莉祖母との時間を大切にしたいが為であった事を柊悟は碌朗ちちから聞かされていた。


「綺麗で優しそうな方ですね」

 隣で手を合わせていた月野がポツリと漏らした言葉。


「ハイ。茉莉さんはその名の通り、茉莉花ジャスミンの様に美しく、マリーゴールドの様に朗らかで優しい女性でした」

「そう言える男性に巡り合えた奥様は幸せだと思います」

 月野の返答に一瞬、音治郎は驚いた様な表情を浮かべたが、すぐににこやかな笑みを見せた。


「アリガトウございます…… サっ、湿っぽくなる前に、客間に行きましょう! みんな二人に会うのを楽しみにしているヨ! 」

「みんな? 」

 手を軽く叩き、ついて来るように促す音治郎に月野はまた困惑気味な顔を見せた。


「ねぇ、『みんな』って誰かいるの? 」

「あぁ」

 小声で尋ねてくる月野に柊悟は目を合わさず頷き、そこにいるであろう阿部由布子にどんな顔をして会えばよいのであろうと考えていた。



 *************************************


 白銀に近い色をした襖が開くと、そこからは真新しい井草の香りとクラッシックのピアノ曲が聞こえて来た。


 10畳ほどの広さの和室の中央には楕円形をした大きな卓袱台が設置されており、そこには、歓迎の印なのか大皿に乗ったピザと寿司が大量に置かれていた。その脇では何ともアンバランスな二人組の男性がグラスや飲み物を並べている。


「おおっ! 準備は万端デスね。しかも今日の曲はドビュッシーの『月の光』デスカ! 洒落が利いてますね」

「そりゃあ、あの柊悟君が女の子を連れて来るって聞いたんですから、張り切りもしますよ。よっ、嬢ちゃん、オレは橘翼たちばなたつき。フリーターみたいなことやってるよ」

 そう名乗り白い歯を見せたのは、長身細身でスキンヘッドの男性。


「こんにちは、柊悟君。そして、はじめまして月野さん。私はローリー・ローレンス。駅前で英語の教師をしています。ローリーと呼んでください。イギリスのリバプール生まれの31歳です」

 イントネイションから言葉遣いに至るまで、一切の淀みが無い日本語で自己紹介をしたのは、音治郎と同等以上の体格を持つ黒人男性。襟のついた半袖のポロシャツから見える二の腕は女性の太腿ほど肉厚がある。


たつきさん、ローリー! 久しぶり」

「そんな久しぶりだっけかぁ?」

「去年の10月の連休以来になるね。だが、修悟君、まずは女性を紹介するのがマナーだよ」

 喜ぶ修悟に軽い口調で話す日本人男性と穏やかな口調で諭す外国人男性。


「あっ、すいません。こちら月野真咲さん。えーと…… ちょっとした知り合いです」

 どう説明してよいか分からず、柊悟は濁した説明をした。


「月野真咲です」

 あらためて自己紹介をする月野は状況が分からないと言う顔をしていた。


「タツキもローリーもボクの友人ね。この屋敷広すぎるから、シェアしてマス」

 間借り。ココに住んでいる音治郎以外の3の人間は家賃の安さと家主の人柄に惹かれ住んでいる所謂、店子たなこだ。


「ユフコの姿が見えないようデスガ、どうかしたんですか? 」

 音治郎の言葉に柊悟は思わずドキリとする。


「ワインを買いに外に出ています。時期に戻るかと」

「では、ユフコが戻ったら宴にしまショウ! その前にボクはロクロウから頼まれた事を済ませます」

 どうせなら、今回だけは由布子に会わずいたいと言うのが柊悟の本音だった。


「んじゃ、先生、オレたち台所で残りの料理作っちまうからよ。行こうぜローリー」

「そうですね」

 翼とローリーはそう告げると襖を開け、客間を後にした。

 卓袱台には、もう並べるべき隙間がない程の料理が並んでいる。おそらく二人は気を使ってくれたのだろう。


 音治郎はそんな二人にありがとうの意味も込めたのか、ひとつ咳払いをするとゆっくりと口を開いた。

「探し物をしていると聞いたケド、どんなものを探しているのデスカ? 」

 

 音治郎の言葉に促される様に月野はリュックから例の箱を取り出す。


「コチラについて分かる事があれば、教えて頂きたいんです」

 目の前に木箱を静かに置いての月野の言葉。箱に目を落とした音治郎の身体が一瞬だけ薄く揺れた。


「父さんはじいちゃんなら何か分かるハズだって、言っていたんだけど……」

 柊悟の言葉に小さく頷く音治郎。


「コレが碌朗の言っていた品…… 流石は私の一番弟子ですね。『矛盾する民具』とは良い見立です」

 箱を慎重に開けた音治郎の第一声。


「『矛盾する民具』? じいちゃん、それってどういう意味」

 真剣な眼差しで、月野の民具を眺める音治郎に柊悟は尋ねた。


「この装飾品とおぼしき民具は、特殊な工法で作られた事が推測できます。真球の水瑪瑙、ましてや同等の大きさのモノが8つもあるなんて驚きです」

 学問の話の時のみインチキ外国人が鳴りを潜める音治郎の言葉には不思議な重みがある。


「今の説明を聞く限り、矛盾している部分は無いと思うのですが…… 」

 月野の言葉には真剣さと同時に何処か棘が感じられた。


「矛盾点は、内容物と容器の製造年代の違いにあります。この色の水瑪瑙は16世紀以降、殆ど採れなくなり、当然、加工する事も無くなったと幾つかの文献にも書かれています。つまり、この装飾品は16世紀以前のモノと考えるのが自然です。しかしながら、この月齢図、八葉になぞらえた図案が使用されたのは江戸時代中期以降、そこに矛盾が見られます」

 つまりは中身水瑪瑙容れ物木箱の作られた年代がかけ離れていると言いたいのだろう。


「容器と中身の作られた年代が違うなんて、普通にありそうだけどな」

 柊悟は素朴な疑問を口にした。


「的確な指摘です。ですが、シューゴ、鉱物をここまでの真球に加工出来るようになったのは明治以降なのです。そう考えると、採出、加工、仕上げ等々、全ての時間軸があまりにもバラバラなのです」

 紛い物バッタ物、あるいはオーパーツ。

 そんな言葉が柊悟の脳裏をよぎる。


「…… 別の形をしていた水瑪瑙を近代になって加工し、元の箱に戻したと考えるのが自然なのではないでしょうか? 」

 返す月野の言葉には、やはり何処か反り返る様な棘が見え隠れしている。


「そう考えるのが妥当だと思いますが…… ボクにはそれだけでは無いと思える論拠があるんです。…… もしかしたら、これが茉莉さんが良く言っていたえにしと言うモノなのかも知れませんね…… ふたりとも少し待っていてくれますか?」

 含みを持たせた言葉を残し、音治郎は懐かしいモノを見るように小さく笑うと客間を出て行ってしまった。



 矢鱈に広い客間には、客分である二人がポツリ。


「ねぇ、鳥飼クン、音治郎さんの言っていた『えにし』って何の事? 」

「俺にも分かんねえょ」

 そう答えたものの、柊悟は先程、音治郎が見せた表情に覚えがあった。


 四年前のあの日。

 祖母の葬儀が終わったあの日も祖父はさっきと同じ顔をしていた。


「待たせたね」

 襖を開け、再び現れた音治郎の手にはひとつの箱。

 それは30センチほどの長さのある細長い形状をした木製の箱。TV等で見かける掛け軸が入っている箱にそれはよく似ていた。


「真咲クン、これをキミに贈ろう。ボクからのプレゼントだ」

「プレゼント……? 」

 あっけにとられる月野を置いてけぼりにする様に音治郎は箱を彼女の手に乗せ、微笑みをひとつ見せた。


「!!!!!」

 月野があげた声にならない驚き。その視線は木箱の上蓋に注がれている。

 彼女が受け取った木箱の上蓋。


 そこに描かれていたものは例の月齢図だった。


「じいちゃんが何で月野さんと同じモノを持ってるんだよ⁉ 」

 柊悟も驚きを隠せない。


「コレは茉莉さんが大切にしていたモノのひとつなんデス。藤原家で代々受け継いで来た物と聞いています」


 つまりは形見という事になる。


「そんな大切な物を頂くわけにはいきません!」

 月野は慌てて箱を音治郎につき返す。


「縁と伝えたハズです。 何より受け取ってくれないとボクが茉莉さんに叱られてしまいマス。……それと、シューゴ、アナタはこのメモにある所に真咲ク……」

 箱をゆっくりと月野の手元に戻しつつ、音治郎が1枚のメモを柊悟に渡したその瞬間、客間にカラカラと乾いた音が響いた。


 鳴子の音。


「鳥飼君、この音、例のトラップ? 」

「そうだと思うけど、さっきと音が少し違う気がしないか? 」

 心なしか、先程の鳴子より音が少しだけ高い。


「この音は裏庭に仕掛けた鳴子の音ネ」

 そう呟いた音治郎は再び腰を上げた。


「由布子さんが帰って来たとか? 」

「ユフコはトラップを踏むような迂闊さはありませんし、今まで裏庭から入って来た事もありまセン」

「じゃあ、蛇か狸? 」

「蛇も狸も暑さを嫌いマスから、こんな陽の高いうちに動く事は、まず無いでしょう」

 音治郎と柊悟がやり取りをしていると奥からバタバタとたくさんの足音。


 そして、ふいに開かれた襖。

 そこには黒いフード付きのジャンバーを羽織り、マスクにサングラスを掛けた3人の男。


「この暑さの中、その恰好はツラくないデスカ? 」

 柊悟と月野を庇う様に3人の前に立ちはだかる音治郎。


「…… 」

 男たちからの返答はない。


「キミたちを宴に招いた記憶はないだがネ」

「…… 」

 相変わらずの沈黙だが、奴らの視線が月野と彼女が持つ2つの箱に注がれているのは明らかだった。



 背筋を冷たい汗が一筋流れ、柊悟は思わず息を飲んだ。



「土足とはずいぶん、失礼なヤツらだなぁ」

「この辺りも物騒になったものです」

 突然響いた声。

 その声の方向に目を向けると、そこには翼とローリーの姿。


「柊悟君、ここは人生のパイセンに任せてくれるかなぁ」

「キミは彼女を守りつつ、ここを離れた方が良い。安心しなさい、警察には今、連絡を入れた」

 ふたりの年長者は安心しろとばかりに笑顔を見せている。


「俺も…… 」

「ダメね。シューゴは月野さんとメモに書いてある場所に行きなさい」

「でも…… 」

 柊悟がもう一度反論をしようとしたその時、男のひとりが月野、いや、月野の抱えていた箱を目掛けて飛びかかって来た。


 刹那、柊悟の耳元に響いた風切り音。そして木材が弾けたような高い音。


 音の方向に目を向けると、そこには拳を突き出したローリーと、それを受け踏鞴たたらを踏む謎の男。


「ホラ、行きな!」

 翼は身体を左右に揺らしながら、男のひとりに牽制を仕掛けている。


「シューゴ、マサキさんを守りなさい」

 大きな叫び声と共に、音治郎の太い腕が唸りを揚げ、続けて飛びかかって来た別の男の頬を打ち据えた。


「いくぞ!」

 柊悟は月野の手を握り駆け出した。


「でも、おじい様たちが‼」

「じいちゃんたちなら大丈夫だ」

 自分自身に言い聞かせるような叫び声をあげ、柊悟は月野の手を引きつつバイクの停めてある表門へと向かい走りだす。


 心拍が尋常じゃない唸りをあげているのが自分自身で分かっていた。後ろからはガンガンと何かが打ち付けるような音が聞こえて来る。


 飛び石を越え、門を駆け抜けるとバイクが見えて来た。だが不思議な事に景色は薄ぼんやりとしか感じ取れない。


 どこか意識リアリティが脆弱だ。

 100メートルと走っていない筈なのに既に息も上がっていた。

 『しっかりしろ! 』

 音治郎、翼、ローリー。3人の背中を思い出し、柊悟は自身に激を飛ばす。


 ようやく辿り着いた門。柊悟は狛犬の脇に停めてあるバイクを覗き込んだ。幸いイジられた様子はない。


「乗れ! 飛ばすから覚悟してくれ」

「おじい様まで巻き込んで、ごめんなさい」

「謝るのは後だ。メットを早く被れ! 」

 柊悟はキーを回し、ペダルを蹴る。倒れ込むようにバイクに乗り込む月野を確認したうえ、ヘルメットを被った柊悟はエンジンを大きく空ぶかしさせる。あたり一面に響くSR400ウラルの咆哮。


 走り出した途端、砂砂利すなじゃりを噛む嫌な感触がハンドル越しに感じ取れた。焦りからか、アクセルが上手くコントロールできていない証拠だった。体重を乗せ車体を押し付けるように前へ前とバイクを走らせる。


 駆け出した林道の日はまだ高い。


 後ろから四輪特有の乾いたエンジン音。

 ミラー越しで確認すると後ろから一台の車が追いかけて来るのが見て取れた。


 白のカローラ。


「鳥飼くん!」

 悲鳴にも近い月野の叫び。


『シューゴ、マサキさんを守りなさい』

 柊悟の脳裏で音治郎祖父の言葉が蘇る。


「君は俺が必ず守る」

 柊悟はそう月野に呼びかけ、バイクを更に加速させた。


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