第8話 髷の大男
町の名を冠する病院の看板を越えると視界に映る色彩がコンクリートの灰色から樹々の緑へと変わりはじめた。広葉樹が陽に照らされた時に出る匂いはより強くなり、それらが陽射しを少しだけ弱めてくれている気がした。
「東京にもこんな所があるんだね」
月野真咲は余程驚いているのか、しきりに周りを見回している。
「じいちゃんの家はもっと凄い所だよ。狸や蛇を見かけた事だってある」
「へ、ヘビ⁉」
何気なく返した言葉だが、月野が明らかに焦っているのがヘルメット越しにも見て取れた。
「このあたりは毒を持たないシマヘビが殆どだから問題ないよ」
「大問題よ! 毒があろうとなかろうとヘビはヘビじゃない! 」
ゴーグルを上にあげ、手をバタつかせ抗議をする月野。やはり女の子の大半がそうであるように彼女もヘビが苦手なのだろう。
「そりゃあそうだけどさ、毒が無ければ咬まれても平気だし、それに蛇ってよく見るとつぶらな瞳をしているんだぞ。ニョロニョロとした動きだって愛嬌があって可愛らしいし…… 」
「どこがよ! 鳥飼クンの美的感覚絶対おかしいわ! あんなニョロニョロ、ヌメヌメした生き物の何処が可愛いのよ! キモいだけじゃない」
蛇蝎の如く嫌われるとはまさにこの事。
「まぁ、そう毛嫌いせず、今度会った時には目と目を合わせて『コンニチワ』くらい言ってみれば? 」
「ムリ! ぜーーーったい無理! 」
左頬に抗議の視線を感じながら柊悟はひとつ息をつく。見上げた片側一車線の坂道は勾配がキツくなりはじめていた。右へ左へとジグザグに緩やかに弧を描く登坂は重量のあるバイクには些か不向きと言えた。
柊悟はアクセルを少しだけ開き、急ハンドルにならない様、ゆっくりと坂道を登っていく。ミラーで後ろを見る限り、尾けてくる車の気配はない。
「この先の林道を入って暫く行けばじいちゃんの家が見えてくる。四葉が言っていた通り、めちゃくちゃ優しい人だけど、かなりの変わり者だから驚かないでくれよ」
「私、ヘビと高い所以外なら、何を見ても驚かない自信があるわ」
「へぇー」
やけに自信満々にそう語る月野を横目に見ながら、柊悟は祖父を見たら、絶対に驚くであろう彼女をどう揶揄おうかと考えつつ、林道へと向けてハンドルを切った。
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「何、ココ⁉」
目をパチクリさせる月野のリアクションは想定内。
「何って、ココがじいちゃんの家だよ」
バイクを狛犬の横に停めた柊悟は敢えて淡々と答えた。
「それは分かるんだけど、この何て言うのか…… 」
月野の見つめる先には、
「じいちゃん曰く、これも和魂洋才のひとつの形らしい」
「…… なんかB級映画に出てくる日本庭園みたい」
飛び石を跨ぐ月野は灯篭の灯りがLEDである事に驚いている様子だった。
“欧米人の思い描く間違った日本のイメージ”
一言で言えば、それが祖父の邸宅だ。
「じいちゃんにソレだけは言わないでくれよ、マジでイジけるから。 ……それと、ここの飛び石は大股で超えてくれ」
柊悟は、最後からひとつ前の飛び石を大きく跨ぎつつ、後ろに続く月野に注意を促す。
「へっ⁉ 」
だが、時に既に遅し。気の抜けた月野の返事と共に突然カラカラと乾いた音が周りに響き渡った。
「えっ⁉ 何⁉」
何かを踏んだ感触があったのだろう、月野は慌てて右足を上げていた。
やはり、祖父の悪戯心とこの珍妙な仕掛けは昔のままだ。
「鳴子だよ。じいちゃんの
「ト、トラップ? それって、罠って事? 」
「そっ。本人に悪気はないから許してあげてくれ」
ため息交じりに柊悟がそう月野に告げると、奥の方からバタバタと重量感のある足音が聞えて来た。
「シューゴ、待ちくたびれたよォ!」
雄たけびを上げつつ、柊悟に抱き付いて来たのはブラウンの髪を後ろで髷の様に結い上げた青い瞳の大男。
「じいちゃん、重い…… 」
「オー! ソーリー! つい嬉しくって! 話はロクローから聞いてるぞ」
作務衣姿の大男は満面の笑み。
「そこのレディーがロクローの言っていた。マサキクンだね。ボクは藤原・ジョゼフ・音治郎。シューゴとヨツバ、それに日本をこよなく愛する現代の
柊悟を頭を撫でつつ、自己紹介をする祖父の言葉に淀みは無かった。
「ジョゼフ? モノノフ? 」
一方、月野の目は点。
「シューゴ、ユーの姫君、驚いているじゃないか。ちゃんとボクの事、説明しておいてくれないと困るよ。シューゴはナイスガイなのに、いつも少しだけ言葉が足らないネ。それはよくない事よ」
右手の人差し指を立て、チッチッと注意を促すその姿に説教臭さは無く、寧ろ愛嬌すら感じられた。
「お前の姫君って…… まぁ、いいや。月野さん、この人がウチのじいちゃん。藤原・ジョゼフ・音治郎」
「は、はじめまして、月野真咲と申します」
恭しく頭を下げる月野はまだ戸惑っている様子だ。
「グッドなアイサツね。元気なアイサツは人間の基本! 」
年齢は既に60歳を超えているのだが、大きな声とプロレスラー並の体格の所為か、音治郎はいつも10歳は若く見られる。
「ヘビと高いところ以外は驚かないんじゃなかったのか? 」
柊悟は口の端だけで笑みを作り、小声で月野に問いかけた。
「だって、まさか外国の方だなんて思ってもいなかったから…… 」
「ノーね。ボクはれっきとした日本人」
月野の問いに対し、どこから見ても日本かぶれの外国人にしか見えない音治郎が大袈裟なリアクションを起こした。
「じいちゃんは俗に云うハーフなんだ。これでも、日本生まれの日本育ちだよ」
「ハーフ?」
「そ。日本人とアメリカ人のハーフ」
まだ、目をパチクリさせている月野をもう少し揶揄いたいと言う思いもあったが、柊悟は月野に祖父の血脈を簡単に説明をした。
「そうネ。ボクのマザーは清廉な大和撫子。ファザーは誇り高きテキサスのカウボーイ」
何でも、鎌倉を訪れた
だが、その
「取り合えず、ふたりとも屋敷に入りなさーい。
「じいちゃん、月野さんと俺はそんな関係じゃないよ」
柊悟は静かな笑みと共に祖父の言葉を否定する。
「えっ!? ナニ? よく聞こえないネ。まぁ、積もる話は中でしまショー。良い抹茶が手に入ったからご馳走するネ。何より皆んなが待ってるね。では、我が屋敷にレッツ・ゴーよ! 」
都合の良い時に耳が遠くなるのは音治郎の悪い癖。そんな祖父は2人の手をグイグイ引きながら、B級映画も真っ青な武家屋敷へと歩み出した。
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