第18話 男の条件

 外が白み始めた。

 昨晩、いや、正確に言えば今日の未明から柊悟は殆ど眠る事が出来ずにいた。


 ――― もう少し‥‥‥ このまま手を握っていてくれる?


 真咲にそう頼まれた柊悟は、どこに視線を保てばいいのか、どのくらいの強さで手を握り続ければよいのか、そんな事に迷い続け、気が付いたら周りが明るくなり始めていた。


 時が経つごとに鮮明になってゆく真咲の姿。それをどのくらい見つめていただろう。不意にその当人が寝返りをうった。


 正面、しかも近距離にある真咲の寝顔と胸元。


『ヤベッ‼ 』

 決して疚しい事はしていなかったのだが、反射的にうつ伏せ気味の姿勢で柊悟は寝たふりをする。手を握ったまま―――



 静寂の中、真咲が起きる気配。


「 ——— ありがとう。ずっと、握っていてくれたんだね 」

 自身の心臓の音だけを意識する中、聞こえて来た真咲の呟きと頬に感じる彼女の指先。

 それに声を上げずにいられたのは奇跡に近い。狸寝入りに気が付いていないのはありがたいが、この状況はある意味拷問だ。


「ごめんね。変な事に巻き込んで…… 疲れてるよね」

 指先の感触が消えると共に肩にふわりと布団が掛けられた。その布団はすこし前まで真咲が掛けていた為か、温もりと何処か甘さのある香りが残っており、柊悟は自身の耳のあたりが熱を持つのを感じた。


「…… ん」

 軽く息を吐きつつ、布団にくるまるようにウソの寝返りを打ち、真咲との距離をとる。


「…… 私、静さんのお手伝いしてくるから」

 時間的に朝食を作り始めている静さんの手伝いをすると言う意味なのだろう。

 それからは、少しの間、ガサゴソと控えめに着替える音のみが背中越しに聞こえ、それが済むとゆっくりと襖が閉まる音。柊悟はその音を聞いた後、ゆっくりと五十を数えてから目を開けた。


 畳に座り込みつつ、天井を見つめ大きく息をつく。


「まだ、サッカーの試合前の方がリラックスできてたな」

 自然と出たボヤキと共に何気なく自分の太ももを眺める。

「少し、細くなっちまったな…… 」

 柊悟はもう一度だけ、そうひとり言をつぶやくと身体を起こし着替えをはじめた。




 着替えを終え、廊下に出ると縁側で文七が腕組みをしなら外を眺めている姿が目に止まった。


「おはようございます」

「応! 起きたか寝坊助。嬢ちゃんは静と飯の支度をしてくれてるぞ。なかなかいい娘じゃねーかよ、この果報モン」

「‥‥‥ はぁ、どうも」

 照れ。

 そんなモノから、柊悟の返事は間の抜けたモノとなっていた。


 廊下から見える空は青く、今日も夏日になる事を告げており、そんな空を睨むように文七は煙管を咥えながらこう告げた。



「‥‥‥ ところでよ、あの嬢ちゃん、何モンだ? 」


「 ‼ 」

 思わず息が詰まり、背筋に鳥肌が立つ。


「そのつらや今までのやり取りを見る限り、あんちゃんも細けぇ事は分かっていないってヤツか」

 理由は分からない。だが、文七に全てを見抜かれている。

 柊悟は首を縦に振るしかなかった。


「助けられておきながら、騙すような真似をして申し訳ありません」

「騙されたとは思っちゃいねーよ。まぁ、見抜けたのは年の功ってやつだ。   ……それにな、儂が兄ちゃんたちを助けたのは、儂が助けたいから助けただけだ。まぁ、所謂お節介ってやつだから気にせんでいい」

 深く頭を下げる柊悟に語り掛ける文七の言葉は続いた。


「お節介ついでにもうひとつ言っておくぜ。あの理の向こう側にある木箱を持っている事に加え、儂に肩を外されても声のひとつもあげないような連中に追われてる嬢ちゃん。あまり納まりの良い話だとは思えねぇ。それはあんちゃんも分かってるんだな?」

「…… はい」

 柊悟は即答をした。


 謎の木箱、そしてその中身の正体はまだ何も分からない。だが、何か秘密が在るのは間違いないだろう。そして、八王子バイパスでの尾行、音治郎の家で襲撃、ローリーの言葉、そして文七宅前での再度の襲撃。こんなマネをしてきた連中がマトモでないのも明らかだ。


「それを知ったうえで、嬢ちゃんに付き合っているって訳か」

「はい」

 柊悟が確かな頷きを見せると、廊下に静さんと真咲が作っているであろう味噌汁の匂いが流れて来た。


「わかった! おめえが分かってんなら、もう何も言わねぇし、聞かねえ。よし! 飯にするべぇ」

 文七はそう言うと膝をひとつ叩いた。

「はい!」

 竹を割った性格の文七の言葉に影響でもされたのか、柊悟の三度目の返事は小気味良いものになっていた。


「いい返事じゃねえか。よし! そんなあんちゃんにゃ、儂がいい男の条件ってのをひとつ教えてやるっ」

 いつもの巻き舌気味の江戸弁が飛び出してきた。

「いい男の条件? 」

 思わず鸚鵡返しに尋ねる。


「応よ! よく覚えておけ『惚れた女が作ってくれた朝飯あさめしを”旨いうめぇ”って食って、仕事てめえの戦いの場に飛び出していける』これがいい男の条件ってモンよ!」

 文七は柊悟の肩をひとつ叩くと、ニッと笑ってみせた。



 **************************************


「んじゃ、気ぃ付けて行けよ」

「はい。何から何までありがとうございます」

 午前9時、既に25度を超えているだろう日差しの中、文七は煙管を咥えながら笑っていた。


「なーに、コッチも楽しかったってもんよ」

「またいつでも遊びに来てくださいね」

 頭を下げる柊悟と真咲に対し、老夫婦の息の合った挨拶が返って来た。


「おい、あんちゃん! コイツを持っていきな」

 アウラサイドカーのエンジンをかけたと同時に文七が握手を求めるように柊悟の手に何かを握らせてきた。

 バイク手袋グローブ越しに感じる堅い手触りのソレ目の前に掲げる。


 それは直径3センチ程の真円に加工された木に緋色の組紐が通されているアクセサリーだった。


「かわいい! それネックレスですか? 」

 隣から覗き込む様な姿勢をしていた真咲が声をあげた。


おう! 流石は女の子だ。嬢ちゃんのもあるぞ、ほれ、兄ちゃんが付けてやれ」

 お揃い。女性が付けるには若干地味にも見えるソレを柊悟は震える手で真咲の首にゆっくりと掛けた。


 木で出来た円環のアクセサリー。

 一見地味にも見えるそれが夏の風に煽られ、真咲の胸元で静かに揺れている。


「よく似合ってるわよ真咲さん」

 流石は静さん。言葉が出てこない柊悟の代わりに間を繋いでくれた。

「うわー、かわいいっ! ホントに頂いて良いんですか? 」

 真咲は相当気に入ったのか声が弾んでいる。


「大したモンじゃねえから、遠慮はいらねえよ」

「元々は文さんが町内会のバザー用に作りはじめたんだけど、すごく評判が良くてね。今は予約注文が来る程なのよ」

「よせやい、静! そんな大袈裟なモンじゃねえよ。こいつらのだって、今朝早起きして、チョロとこしらえただけでぃ」

 夫婦漫談のおかげで、真咲の視線は柊悟には向いていなかったのが幸いだった。なにせ、今の柊悟の顔は真っ赤だ。


「大切にします」

 深く頭を下げた真咲は微笑んでいる。

「そろそろ行きなっ! じゃあなっ! 嬢ちゃん、兄ちゃん」

 少しそっけないのは照れ隠しなのだろう。


「本当にありがとうございした」

 手を振る静さんとその隣で腕を組む文七に柊悟は大きく頭を下げると、東城大学のある江戸川区へとウラルサイドカーを進ませた。



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