第19話 謎の漢字
東城大学の東棟1階にある総務課窓口は、納品物の検収作業や郵便物の受付、それに来客の対応までを行っているらしく、かなりの混み具合。
窓口にいる30代であろう赤茶頭の女性はそれらの作業に追われており、かなりのピリピリモード。
そんな中、柊悟と真咲は長椅子に座り順番待ちをしていた。
『納品数が違いますっ!』
『勝手にそこの書類イジらないで下さいっ!』
『退館予定時刻は正確に書いてって、いつも言ってますよねっ!』
スーツ姿の営業マン相手に金切り声で次々に指示を飛ばしてゆくその様は中々の迫力だ。
「やだなぁ、あの人に対応してもらうの?」
小声の真咲は眉間に皺を寄せ困り顔。
「そうみたいだな」
総務課受付の窓口からは電話の呼び出し音がひっきりなしに漏れてくる。聞こえてくる会話の断片を繋いでみる限り、どうやら未だに戻らないネット回線の対応に追われているらしい。
『ニトロ興産さんっ! 勝手に面会札を取らないでっ!』
赤茶頭の女性の叫びが再度あたりに響き渡る。
「何もあんな怒鳴らなくてもいいのに」
「そうだな」
一日の大半を忙しそうにピリピリして過ごす。そんな女性を柊悟はひとりよく知っている。
「忙しいのは分かるけど、言い方に問題があると思わない? 」
文七がくれたネックレスを指先でいじりながら柊悟に尋ねてくる真咲。
「まぁ、予定時刻を正確に書くなんて事は出来ねーよな。分かんないから予定なんだし」
少し投げやりな理屈をつけた。
「そこじゃなくて…… ねぇ、柊悟、大学に来てから少し機嫌悪くなってない? 」
「そんな事ねーよ」
「なら、良いんだけど‥‥‥ 」
かなり鋭い指摘にドキリとする。
会いたくなく人物に会う可能性がある。それが気持ちを焦らせていたのは事実だった。
「はいっ! 次の方ぁ」
例のピリついた女性から声が掛かる。前に進み出ると、彼女は柊悟たちに訝しげな視線を投げて来た。
「鳥飼柊悟と申します。10時に工学部の桧垣さんとお会いする約束をしているのですが…… 」
極力シンプルに要件を告げる。
「桧垣准教授ですか?」
受付の女性の瞳が少し広がったのが分かった。
「…… はい」
准教授とは聞いていなかったがおそらくは間違いないだろう。
どうやら文七と静さんの息子は職人をやりながら大学に行っているのではなく、大学に行きながら職人をしていると言うのが正解らしい。
「あなたたちみたいな若い子が、どういった用件なのかしら?」
受付の女性は柊悟に問いかけつつも、その視線を真咲に向けていた。
「届け物‥‥‥ みたいなものです」
女性の視線を切るように真咲の前に立ち答える柊悟。
「‥‥‥ 少しお待ちください」
視線を落とし内線を操作しだす女性。その姿はどこか嬉しそうに見える。
「あ、総務の仲野あゆみです。桧垣先生ですか…… はい。そうですお客様ですぅ~。男の子とまだ中学生くらいの女の子です。お知り合いですかぁ?……あーぁ、そうなんですかぁ。それじゃあ、お通ししますねぇ」
今までと180度異なる可愛らしい声にその場にいた全員の目が点になる。
「鳥飼さんとそこのお嬢ちゃんっ、このプレートを付けて、突き当りにあるエントランスで待っててくれる?」
そう示した方向には吹き抜けらしき広間の一角。どういう訳か真咲は既に大股で歩きはじめており、柊悟は軽くお辞儀をするとその後を追った。
天窓から光が漏れてくる広間。
その白を基調とした空間が夏の日差しを反射し、視界の空気をユラユラと影法師のように揺らしている。そんなエントランスにある椅子のひとつに真咲はどっかりと腰を降ろしていた。
「ねえ柊悟! あの受付の人、分かり易すぎだと思わないっ? 」
あきらかに不機嫌だと分かる声で真咲が話しかけて来た。言葉的には疑問形なのだが、その表情は感嘆符を付けたくなるほど怒っている。
「分かり易い?」
真咲の隣に腰を降ろしつつ、そう答える。
問いかけの意味が分からない訳ではなかったが、迫力に押され思わずの鸚鵡返し。
「だって、あの変り様よ? あの人絶対、文七さんたちの息子さんに気があるんだよ!」
「あー‥‥‥ 」
なにが『あー』かは分からないが、今はこの万能な『あー』で肯定の意思を示す。
「気が付かなかったの? 絶対そうだよ。あんなピリピリしてたのに電話する事になった途端、あの声色よ!」
確かに気持ち悪い程の変わりようだった。感情の波が激しいタイプなのだろう。脳裏にフワリと浮き上がりかかった一人の女性の姿を柊悟は慌ててかき消した。
「まぁ、文七さんも静さんも凄い魅力的な人だったから、息子さんも人を惹きつける人なんじゃないか?」
エントランスを通り過ぎていく人を見ながら、これから会う予定のふたりの息子が好人物である事を確信した柊悟は小さく息をつく。
「私が言いたいのは文七さんたちの息子さんの事じゃなくて、あの女の人の事よ! 態度は悪いし、まわりに当たり散らすし、酷かったでしょ? それに人の事をジロジロ見たうえ、中学生呼ばわりするし、失礼よ‥‥‥ 柊悟、人の話ちゃんと聞いてる? 」
宜しくない流れ。
小さく息をついたのが拙かったのかもしれない。このままだと流れ弾に当たる事になるだろう。
「聞いてるよ。俺も腹が立ったな」
「でしょ? だいたいね――――――
流れ弾はそれた。
真咲の受付の女性に対する主張は続いていた。
確かにあの女性の対応は何だが、こちらに対する一連の行動は真咲を子ども扱いしたのではなく、逆に真咲を女性として意識した事の現れだろうと柊悟は考えていた。そして、真咲はそんな気持ちを起こさせる程の女の子なんだ―― と。
「盛り上がってる中、割り込むけど、ちょいとイイかな? ふたりが鳥飼柊悟クンと月野真咲サン? 」
不意に快活な声が聞こえて来た。
どことなく覚えのある言葉の並べ方に柊悟は声の方向に目を向け、腰を上げる。
そこには丸に桧の字の法被を羽織った若い男性が立っていた。
小さめだが意志の強そうな口元は明らかに文七似。丸眼鏡の奥にある垂れ下がった目は静さんに瓜二つだ。身長が柊悟より高いのは隔世遺伝というヤツなのだろう。
「桧垣先生‥‥‥ ですか? 」
柊悟のその声に真咲が慌てて立ち上がる。
「そうだよ。僕が桧垣指物店5代目にして東城大学工学部の桧垣
そう柊悟を見つめる静八は何か思い出したようにそこで言葉を止め、突然歩き出す。
「いかん、いかん! せっかく忙しい中、来てもらったんだ。要件を進めよう! 確か親父でも判別出来ない指物を持っているんだよね。 もう放射性炭素年代測定やその他諸々の予約は入れてあるから、研究室に向かおうか! よしっ!」
段取りはしてあるとばかりに、ふたりを置いてけぼりにしたまま、歩き出した静八。少しせっかちなのも遺伝なのだろう。
柊悟と真咲は、既に階段を登り始めている法被姿の准教授の背中を追い走り出した。
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「こりゃあ、面白い‼ うん、面白いゾ! 」
諸々の機器でひと通りの測定終了後、桧垣静八准教授は興奮した面持ちで、その解析データを眺め続けている。隣には助手らしき女性の姿。
「通信環境が直れば、もっと色々できるのになぁ。
「イヤっす。 そんな勝手な事したら他の教授に睨まれます」
「じゃあ、知り合いにAMS年代測定器を持っている人とかいない? 」
「いるわけないっス。アレが幾らすると思ってるんス?」
「じゃあ、志公館大学に知り合いは? あそこは確か通信環境も独立したものを敷いていた筈だし、AMS年代測定器も持っていたよね」
「桧垣センセイがあちらの教授と喧嘩さえしなきゃ、今でも行き来できたはずっス」
「キミも昔の事をよく覚えているねー」
「ひと月前の事は昔じゃないと思うんっスけど」
コントのように矢継ぎ早に繰り返される会話。はっきりいって柊悟と真咲は置いてぼりだ。
「困ったなぁ〜」
法被姿の准教授は顎に手を当て困り顔。
「困ってるのは、センセーじゃなくて、お客様じゃないですか?
白衣の袖を何回も折らなければならない程の小さな身体の助手さんが気の毒そうに柊悟たちを見つめる。
「あっ、そうだった! いかん、いかん! えーと、この木箱の何が知りたいんだっけ?」
夢中になると目的を忘れる。学者の悪い所だ。
「分かる事なら何でも良いんです。私たちはその木箱と同じ模様が入ったものを後、3つ探しているんです」
分かりやすい真咲の説明。
「それらを探すヒントになるような事を知りたいんです」
柊悟は真咲の言葉に違和感を覚えたもののフォローを入れる。
「うーん、分かる事、ヒントっスかぁ~。それは困りましたねぇ、センセ―」
「何も困る事はないだろ七種クン、測定結果は出たじゃないか! 例え論文を白紙で出したとしても、工夫と考察を凝らした結果なら立派な成果であり、収穫だよ」
「それ、収穫と言えるんっスか? 」
「大収穫だよ。まだまだ色々と工夫し、調べ、考察する事が出来るんだから」
職人と学者のハイブリッドらしい言葉。哲学的とも言える言葉のやりとりだが、柊悟は嫌な予感しかしなかった。
静八はひとつ咳ばらいをし、説明を始めた。
「鳥飼クンに月野クン、このふたつを様々な機器で分析をした結果、凄い事が判明したんだ。なんと、この木箱、そしてその中身の装飾品及び鈴らしき物、それらが測定出来ないと言う事が判明したんだ。どうだ凄いだろ!」
つまりは何もわからなかったと言う事なのだろうか? 真咲も沈んだ顔をしている。
「センセー、それ現状を照らし合わせた説明になっていないっス。えーとですね、木箱もそして、その中身も、大学にあるどんな機械を使っても、答えはエラーなんっスよ。どんな機材で何回測定しても該当するものが無い所か、測定を受け付けてくれないんっス」
測定結果が分からないのではなく、測定ができない。
助手さんの解説はそう言っていた。柊悟は自分の背中に鳥肌が立つのを感じた。
「おお、七種クンいい解説だ。流石だねぇ」
合いの手のような静八の言葉、このあたりは静さんのタイミングに似ていた。
「センセイが雑なんっすよ。分析するって事は、光線、振動、そして薬品等で刺激を与え反応させ、過去にその反応と同質な結果を起こしたモノを膨大なデータから拾い上げていくって作業なんっス。もっと別の機材やデータベースを使えば測定ができる可能性はあるッスけど、通信障害が起きている今の状況じゃあ、メーカーのデータセンターや他の大学と協力する事も出来ないんで、申し訳けないんスが、事実上お手上げってヤツっス」
助手さんはポリポリと頭を掻きながら、そう説明を終えると、いつの間にか静八が淹れたコーヒーをひと口啜った。
「キミらも飲むといい。暖かい飲み物は心を落ち着かせる効果とリフレッシュ効果があるんだ。冷房も切った方が良さそうだね」
そう語りつつ、コーヒーを差出した静八が見つめる視線の先、それに気が付いた柊悟は思わず声をあげた。
「真咲!」
顔色をなくし、心無しか震えているようにさえ見える。部屋の隅の方では助手さんが資料が散乱した机からエアコンのリモコンを見つけ出し操作している。
「少しエアコンの風に当たり過ぎただけだから平気よ」
それにしては顔色が悪すぎる。そんな言葉を柊悟は呑み込んだ。
「月野クン、横になるかい? 」
今までにない静八のその声。
「センセイ! ちょっと、これ見てください! 」
エアコンのリモコンを操作していた助手の七種さんが2枚のL版写真を持って走ってきた。
「紫外線撮影機で撮ったL版写真かい? 何も映ってなかった筈だけどな」
助手さんの声に緊迫感があった為だろう、静八さんの声には今までの茶目っ気がない。
「それは近紫外線で撮影したものです。コッチはセンセイがふざけて極端紫外線で撮影して中山先生に怒られたヤツです」
そう言いつつ掲げたL版写真には、真咲が持っていた木箱、そして音治郎から譲り受けた細長い木箱の裏蓋が写っていた。
そこには、それぞれ不鮮明な部分もあったが、こう文字が刻まれていた。
「隣 廼英 末」
「 為 侈末 」と。
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