第20話 母の挨拶
「『
静八は写真に映し出された文字を読みながら呆れたような声をあげた。
「何かの暗号ですかね?」
柊悟は未だ顔色が優れない真咲を気にしつつ、そう質問をする。
「一部、虫食いのように消えてしまっている部分があるから、何とも言えないけど、こりゃぁ、僕の管轄外だなぁ」
眉間に皺を寄せつつ、そう返す法被姿の准教授・桧垣静八は苦笑いを浮かべていた。
「‥‥‥ 管轄外‥‥‥っスか」
ぼそり、と漏れ聞こえた助手さんの声。そのトーンは、どことなく怒っている様な気配がある。
「いや、僕も興味はあるけど、鳥飼クンらは急いでいるだろうから、暗号のダイアグラムに詳しい教授か、漢字の専門の人に見て貰う方が早道だと思っただけだよ‥‥‥ 七種クン、何か怒ってない? 」
やはり助手の七種さんからは怒っているオーラを出ている様だ。
「別に怒ってないっスよ‥‥‥ あそこにいるポンコツ准教授に代わり自分がお教えするっス」
「七種さんは、この文字が読めるんですか?」
驚きの声を上げる真咲の声に七種さんは静かに頷いた。
「鳥飼サン、月野サン、おふたりは日本にある『仮名』の種類って幾つあるかご存じッスか? 」
「あっ!‥‥‥ 」
柊悟には意味不明の質問だったが、静八は何か分かったらしく、声を上げバツが悪そうに頭を掻いていた。
「『ふりがな』や『おくりがな』の『かな』ですか?」
椅子に腰かけ俯いていた真咲が静かに答える。
「それも間違いじゃないっスけど、他にもあるッスよね」
いまだ不機嫌そうな七種さんは静八の方に敢えて視線を向けていないように思えた。
「あとは『ひらがな』『カタカナ』くらいしかしりません 」
柊悟は自身の記憶を探ったがそれ以上のものは出てこない。
「‥‥‥ それと
そう小さな声で呟いたのは真咲。
「ハイ、その通りっス。一般的に日本の文字の大別として認識されている『仮名』は『ひらがな』『カタカナ』そして『万葉仮名』なんっス」
「そう言えば、現国か古文で習ったような気がするな」
「気がするって、柊悟、授業中に何しているの? 」
「いや、その…… 集中出来ない時間帯や科目もあると言うか……」
元々、成績にムラっ気がある柊悟は関心のある事は熱心に聞くが、興味のない事は聞き流すのが常だった。
「‥‥‥ まさか、寝てるんじゃないでしょうね?」
お嬢様学校にいっていることから、学校での態度は真面目であろう真咲の視線が痛い。
「ウチの高校は食後に現国・古文が多いだよ」
「なにそれ、なんの自慢? 」
顔色が戻りつつある真咲からツッコミが入る。
そんな真咲を見ながら、柊悟は万葉仮名に関する記憶を探る。確か古事記や日本書紀、万葉集が書かれた時代に使われた日本語を表記するために表音文字として用いた漢字と教えられた記憶がある。
「七種さんはどう見ても理系の方なのに詳しいですね」
何となく出た質問。
「詳しいわけじゃないっス。ただ、自分フルネームで『
自身の名前が万葉仮名を用いたモノだから、自然と万葉仮名に興味を持ち、読める様になったと言う事なのだろう。
七種未英也さんの解説が続いた。
「四角い箱の方は『
文字が擦れ、虫食い状態の部分は読めないものの、真咲が持っていた装飾品を入れた箱には『り のあ ま』、音治郎から譲り受けた鈴の様なモノを入れた箱には『 い たま 』と書かれている事になる。
まだ不明な点も多い為、暗号の域を出ていないが、かすかな光が差したことには間違いがないだろう。
「うーん、これはどう言う意味なんだろう? 七種クン」
今まで沈黙していた静八が不意に言葉を挟む。
「‥‥‥ 知らないッスよ」
「別に拗ねなくても‥‥‥ 」
「管轄外っスから」
「いや、あれは‥‥‥ね。 頼むから、分かる事教えてくれない? 鳥飼君たちも困ってるから‥‥‥ 」
どちらが准教授でどちらが助手か分からないやり取りだった。
「分からないものは管轄外っス」
「そんなに拗ねないで、許してよ。ね」
何故か手を合わせ謝りはじめた静八。一方、七種さんは何故か涙目だ。真咲は何か気が付いたのか、口元に手を当てて驚いている様子だ。
「拗ねてなんかいないっ‥‥‥ ス!」
「どう見ても拗ねているじゃないか。だから教えてくれないんだろ」
何かふたりの様子がおかしい。
「拗ねてもいないわ! 本当に分からないだけよ!」
突然、声高に叫び声をあげた七種さん。興奮している為か、語尾の『っス』を付け忘れている。
彼女の主張は続いた。
「だいたい自分の恋人の名前が2文字も使われていているのに、管轄外とは何事よ!」
唐突なカミングアウト。
「その‥‥‥七種クン、人前だよ? 出来るだけ、内緒にしておきたいって言ってのキミだよ?」
「ここまで来て、今更、人前も江戸前もないでしょ! 今日は良い機会だから、いつ、ご両親に紹介して貰えるのかとか、人の名前を管轄外とか言った事とか色々、ハッキリさせてもらうわ! ‥‥‥ ふたりは少し遠いけど、ここに行ってみなさい。私の母なら何か分かると思うわ」
そう言うと先程プリントアウトした木箱の写真2枚と一緒に一枚の名刺を差し出した。そこには『古書酔夢庵 店主・七種ふみ』の文字と神奈川のほぼ中央にある新興住宅街・海老名の住所が記されていた。
「ありがとうございます」
「お安い御用っスよ。あとで何か分かる事が出てくるかもしれないんで、こっちにも定期的に連絡をくれると嬉しいっス」
深く頭を下げる柊悟たちに七種さんは以前の口調を照れくさそうに使う。
「はい! 」
まだ木箱の正体と中身の謎を解く手伝いをしてくれると言う事なのだろう。ありがたい限りの申し出に二人は再び頭を下げた。
「お昼も過ぎてしまったッスね。貴方たちは直ぐにでもこの部屋を出た方が良いと思うッス。此処はこれから少し荒れるっス」
七種未英也さんは顔を引きつらせる静八の法被の襟首を摑みながら、最後にとびっきりの笑顔を見せてくれた。
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静八の研究室を後にし、大学の中庭にある木陰でベンチに座り、柊悟は真咲と共に大学内にある売店で買った弁当を口にしていた。
真咲の体調はかなり回復した様子で、かまぼこ弁当をしっかりと口に運んでいる。
そんな様子を横目で見ながら、柊悟は七種さんの実家に行く前に、真咲が寄りたいと言っていた場所に向かう事をどう切り出すかを考えていた。
そこはどの様な場所なのだろう。
そこで真咲からどんな話が聞けるのだろう。
そんな思いを抱きながら、おかずのコロッケを口にしていた柊悟の前に人影が差す。
影の主。それは白衣姿の女性。
「柊悟! やっぱりあなたなのね」
久しぶりに聞く、その声。
「東棟の廊下を歩いていたら中庭にあなたによく似た男の子の姿が見えたものだから、もしやと思って来てみたのよ」
強い日差しの中、そう腰に手を当て柊悟を見下ろす女性の胸には『藤原』のネームプレート。
視界の隅に戸惑い気味の真咲の姿が映る。
「…… 」
「勉強はしっかりしている?」
その女性の挨拶は、感傷とは無縁の言葉だった。
『こっちは会いたくなかった』柊悟は辛うじてその言葉を呑み込む。
「久しぶりだね。母さん」
柊悟は余所行き用の声で、実の母と一年半ぶりに挨拶を交わした。
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