第21話 月の住処
「会えて良かったわ。柊悟には確認しておきたい事があったのよ」
陽射しが眩しいのか。柊悟の母・七菜香は左手で顔を隠すようなそぶりでそう伝えて来た。
確認
柊悟は相変わらずの物言いとしか感じない自分に感心しつつ、お茶で喉を湿らせる。
「よく知っているとは思うけど、オレは難しい事はしない主義だよ」
碌な内容で無いのは予想が付いた為、少し強がって返す。
「そんな大袈裟な事では無いわ。柊悟、あなた中学生の時に行った、アメリカにいる私のおじいちゃんや又従姉妹にあたる人たちの事を覚えている?」
昔話を喜々とするタイプではない母が意外な事を口にする。
「テキサスで牧場やっている人たちでしょ? 一度、連れて行って貰った事があるからよく覚えているよ」
広大な荒野とたくさんの牛や馬。そして呆れるくらい鮮烈な夕焼け。初めての家族での海外旅行、忘れるはずがない。
「そう。じゃあ、次に家でパスポートを保管してある場所は知っているわね 」
「書斎の金庫じゃなかったけ? 何でそんな事を聞くのさ? 」
答えては貰えない事を承知で返す。
「言ったでしょ、ただの確認よ。じゃあ、次。四葉は元気? 」
柊悟としては真っ先に確認して欲しかった事。
「元気だよ。家の事もよくやってくれている」
母が家を出て行ってから、身長も3センチ以上伸びて、髪も自分で綺麗に結えるようになり、レンジすら使えなかった女の子が、包丁でリンゴの皮を剥けるようにまでなったのだ。見てあげて欲しい。きれいになったと言って欲しかった。
「そう、分かったわ。次にここに来た目的を教えて」
乾いた言葉と表情。それに午後二時の陽差しが柊悟をイラつかせる。
「‥‥‥ 『分かった』だけかよ」
真咲の身体が一瞬強張る。それほど怒気を込めた声。
「もう一度聞くわ、ここに来た目的を教えなさい」
「こっちに答える義理はねえよ」
母親の目を見ずに、溜まった怒りをそう吐き出す。
「あなたは私から生まれた。それは立派な義理ではなくて? 」
「四葉を産んだ母親としての義理はねぇのかよ。小学生のアイツがどんな思いでこの一年を過ごして来たと想ってんだよ」
母に捨てられた。それが幼い女の子にどう響いているか――― 言葉のいい終わりと共に奥歯がひとつ鳴る。
「それについては言い訳するつもりは微塵もないわ」
後ろめたい事は何もしていない。まるでそれを声高に叫ぶような言い草だった。
母の言葉は続く。
「私は問いに対し答えたわ。次はあなたが答えなさい。此処に来た理由は?」
「‥‥‥ 」
沈黙の中、研究棟の壁に停まった油蝉がジージーと鳴きはじめ、不快感を増長させた。たとえ、ココで答えなくても受付でやり取りをしたのだ、少し調べれば目的など知れてしまう事など分かっている。だが、それでも答えるつもりはなかった。
「柊悟さんは私の無茶な頼みで、ここまで来る事になったんです」
真咲が沈黙を割る。
「あなたは?」
今までの中では幾分抑えて訊ね方。
「私は
偽名の月野ではなく、本名の『
「私の息子と、どんな関係か尋ねていいかしら」
口元に手を当て尋ねる
「俺の彼女だよ」
「‥‥‥ 」
母は静かに笑った。少なくとも柊悟にはそう見えた。
「相変わらず、嘘をつくのが下手ね。そこまでの関係でない事はあなたの顔や態度を見ればすぐに分かる」
驚く二人をよそに母の言葉は続いた。
「こんにちわ、真咲さん。私はこの子の母親、藤原七菜香、旧姓・鳥飼七菜香よ。この大学で天文学を研究しているわ」
今更ながらの自己紹介に真咲がコクリと頷く。
「この子、私に似て気難しくて頑固なクセに、変に察しだけは良いから結構面倒よ 」
真咲を見つめながらの母の人物評。
「えっ? あっ‥‥‥ そんな事は‥‥‥」
「‥‥‥ 」
また、母が静かに微笑む。
「あなた、パスポートは持ってる?」
腕時計を眺めつつの七菜香は真咲に訳の分からない事を問う。
「えっ?‥‥‥ あっ、はい! 」
根が素直な為か、それとも気圧された為か真咲は頷いていた。
「そう。良かったわ‥‥‥ じゃあ、柊悟、私は時間だからもう行くわね」
一方的な確認と流された怒りの矛先。そして、どうしても訊ねたかった事。そんなものを全て置き去りにして母・七菜香は強い陽射しが差す中庭の芝生の上をゆっくりと歩きだし、研究棟へと向かい始める。
返す言葉を探したものの、それが見つからない柊悟は、ただ唇をかみしめていた。
そんな柊悟の肩に優しく触れる真咲の手。
「柊悟、そろそろココを出よ。昨日話した通り、私、寄りたい所があるんだ‥‥‥ 環状七号線を南に向かってくれるかな? 」
************************************
「次の交差点を左にお願い」
不意に聞こえた真咲の言葉に従い、柊悟は環七を左折し、清砂大通りを東へと進んで行く。
「その少し先にコンビニと小さな公園が並んでいるから、そこで停めてくれる? 駐車場もあるから‥‥‥ 」
その言葉通り、5分も進むと駐車場のあるコンビニ、そして公園が見えて来た。ウインカーを出し駐車場にアウラを止める。サイドカーが物珍しいのか、店内で立ち読みをしていた女性が背伸びをするようにこちらを覗いている。
「少しだけ待っててくれる? 15分、ううん、10分で良いから」
まだ、暑さの残る午後4時。頷く柊悟を確認すると真咲は小走りに歩を進め、コンビニの手前の道へと姿を消してしまった。
ひとり残され、コンビニで買ったポカリを口にする柊悟の耳に響く、とある音。弾力を感じるその音は、リズムが悪いうえ、4,5秒すると必ず止まる。少し懐かしさを感じた柊悟は音のする方向、公園へと足を運ぶ。
公園の入り口まで来ると、柊悟の足元に黒と白を基調としたオールドデザインのサッカーボールが転がって来た。
柊悟はほとんど無意識にそのボールを左足のインステップで軽く蹴り上げた―――ついで右足のインステップ。そして今度は左足のインサイドから右足のインサイドへと繋ぎ、腿、そしてヘディングへとつないでいき、最後は胸から右足へとに落とし、静かにボールを止めた。
「ちっ、出来ねえオレに対するイヤミかよ‥‥‥ 」
目の前にいる小学3年生程の男の子軽く舌打ちをされて、初めて柊悟は我に返る。
「あ、悪ィ…… 」
少年は柊悟からボールを奪うように持ち去ると再びリフティングの練習を始め出した。
右から左、左から右。それを2回ほど繰り返すとボールは、また在らぬ方へと飛んで行く。
「なに見てんだよ! 」
向こうっ気の強い少年だった。
「肩に力を入れ過ぎだ。あと膝が開き過ぎている」
パッと見てのアドバイス。
「うっせーな! コッチだって一生懸命やってんだ! だいたい膝が開き過ぎてるって意味分かんねーよ! 」
そう言いつつ再びリフティングを始める少年。今度は柊悟を意識してか、2回しかリフテイングは続かず、ボールは柊悟の前へと転がった来てた。
「せっかく、コツを摑みかけてたのに、オマエのせいで台無しじゃんか!」
憎まれ口を叩きつつ、ボール取りに来た少年は涙ぐんでいた。悔し涙だ。陽に焼け赤くなった顔と汗まみれのTシャツ。恐らくはかなり長い時間ボールを蹴り続けていたのだろう。
柊悟はボールを左手に取ると、右手で足元に20センチ程の円を描き、少年にサッカーボールを手渡した。
「手を使って、その円の中心にボールを落とす事は出来るか? 」
柊悟は少年に尋ねた。
「はぁ? 」
「出来ないのか?」
「出来るに決まってるだろ! 簡単だよ、そんなモン」
ヤケになったのか、少年はそのボールを両手で円の上に強く叩きつけ、勢いよく跳ね返って来たボールを
「もう一度だ。ただし、今度は右手で落とした後は左手で叩け、毬つきの要領で2回続けてみろ。軽くだぞ。円の中心にボールを落とす事を忘れんなよ」
「オレ、キーパーじゃねえし、バスケ選手でもねえから」
そう言いつつも少年は素直にソレを実行した。
「リフティングのコツのひとつはソレだよ」
「どれだよ! もっと分かり易く教えろよ」
たぶん少年は根は素直なのだろうなと柊悟は考え始めていた。その証拠に彼の視線は常に真っすぐ自分を見つめている。
「お前はボールを動かしてリフティングをやろうとしているだろ? 」
「そんなの、あたりまえだろ?」
「それが間違いなんだよ」
リフティングでボールをコントロールするには、非常に繊細なタッチを連続して行う事を求められる。無論、そんな事が容易く出来るのであれば苦労はなく、イメージ通りに連続して蹴れなかった場合には、そのズレの分だけボールを取りに身体を動かさねばならなくなる。つまり、結果的にはボールも身体も動かさざるを得なくなる。それがリフティングの難しさだ。
「ボールを常にこの円の真上、膝くらいの高さから動かさない」
柊悟は少年が持っていたボールで再びリフティングを始める。
ライダーブーツであった為、かなり蹴りにくいが、身体は覚えていた。
「蹴ると言うよりは、足でボールを迎えにいく、いや、足をボールに置きにいくカンジかな」
小気味よいボールの弾む音だけがあたりに響き続ける。
「キックというよりはトラップ。ボールが常に円の真上にあるように、そして低い位置にある事を意識する」
ボールを高く上げようとすればする程、ボールを捉える技術は高度なモノが求められてしまう。それらの技術は基本であるボールの中心を正しく捉えることが出来る様になってからでも遅くはないと柊悟は考えていた。
30回以上続くリフティング。
ボールは円の真上、柊悟の膝くらいの高さからボール1個分ほどの上下動を繰り返す。それを見つめる少年の眼差しは真剣そのもの。
「ボールを蹴ろうとするな。コントロールも意識しなくていい。ボールの中央を足で軽く触れ続ける事だけに神経を集中するんだ。視線は常にボールと円に向けていろ」
柊悟はそこまで説明するとリフティングを止め、ボールを少年に手渡した。
「やってみろ。ボールを空中に押し留めるイメージだ」
「何だよ、その変なイメージ‥‥‥ 」
言われてみればその通りで、確かにヘンな例えだと思い柊悟も軽く笑顔を見せた。
「肩の力も抜けよ。お前は力み過ぎだ。リズムも大切だぞ」
「わかってるよ。しつこいな」
そう言いつつもボールを受け取った少年は大きく頷き、再びリフティングを始めた。
ボールを叩く乾いた音。
それが良いリズムを刻み、7回、8回とふたりだけの公園に静かに響く。
「‥‥‥ 14、15、っと、あっっ‼ くそっ!」
少年の悔しそうな叫び声と共にボールは再びあらぬ方へ。
「また、ボールを蹴ろうとしただろ? 」
ボールを脇に抱え戻って来た少年に柊悟が笑いかける。
「してねーよ」
「そうかぁ? まぁいいや。今のカンジだ。あれを繰り返せばボールの中央を正しく捉える感覚が身に着く。そうすれば50回くらいは簡単にできるし、トラップやシュート、パスも各段に上手くなる」
「マジで? 」
「マジだよ 」
瞳を輝かす少年の表情に柊悟は思わず笑顔が零れる。
三度リフティングを始める少年。硬さは抜けないが、コツを掴んだらしく、フォームが各段に安定してきている。
「‥‥‥24、25っと、あっ‼ 」
「また、蹴りにいっただろ? 蹴るのは50回できるようになってからにしろ」
「こまけーコーチだな‥‥‥ 」
カンの悪い子ではない。そんな事を思いつつ柊悟が見つめた少年の視線が公園の後方へと動いた。
「あっ! お姉ちゃんだ」
突然、少年が上げた大きな声。家族の方が迎えにでも来たのだろうと、柊悟がゆっくりと振り返った先。
「真咲お姉ちゃん!」
ボールを抱えたまま真咲に駆け寄る少年。
「宏典? また身長が伸びたんじゃない!」
腰を落とし少年を抱きしめる真咲。その表情は四葉と話していた時に見た暖かなものと同じだ。
「真咲お姉ちゃん、いつ帰って来たの? 」
「少し前よ。宏典こそこんな暑い中何してたの」
どこか甘えるような少年の頭を撫でながら真咲は静かに問いかけていた。
「あの兄ちゃんにサッカー教えて貰ってたんだ。結構上手いぜアノ人。気難しそうに見えるけど、多分、少しだけ親切な人だよ」
宏典と呼ばれた少年の人物評があまりにも的確だったため、柊悟は声をあげて笑う。真咲も余程可笑しいのだろう、目に涙を浮かべ笑っている。
「知り合いなの?」
不思議そうな表情で真咲と柊悟を交互に見つめる宏典。
「うん。お姉ちゃんの知り合い。鳥飼柊悟さん。今日はふたりで園に遊びに来たの」
「やった! オレ、園のみんなに知らせてくる」
余程、嬉しいのだろう。少年はボールを抱えたまま、物凄い勢いで公園を駆け出した。
「あ、宏典っ!…… もうっ! あの子は慌てん坊なんだから‥‥‥ 挨拶は澄ませたから、みんなもう知ってるのに‥‥‥ 」
少年の走り去った方向を見つめつつ、小さなため息をもらす真咲。
柊悟は、ただ真咲の言葉を待っていた。
「柊悟、ついて来てもらっていい? 」
視線を動かさず、そう告げる真咲に対し柊悟は静かに頷き歩き出す。
公園を越え、裏通り出る。位置的にはコンビニの真裏、そこには一軒の古い3階建てのコンクリの建物。
「お姉ちゃんだ!」
「真咲お姉ちゃん!」
「怖そうな男の人もいるよっ!」
建物から次々に飛び出して来た子供たちに真咲はあっという間に囲まれた。
表札代わりのように建物の玄関に掲げられた看板が柊悟の目に止まる。
『社会福祉法人葛飾優育会 児童養護施設 月の
そこにはそう記されていた――――――
「柊悟、ここは私が3年前まで暮らしていた
子供たちに囲まれ、優しく微笑む真咲は柊悟にそう静かに語った。
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