第36話 姉の恩人
「ミヤケンさん、布団は敷いておきました。それと、そろそろ自分らの風呂の時間です」
夜。柊悟はあてがわれた部屋の押入れに向かいそう声を掛ける。かなり大きな屋敷とは言え風呂はひとつで、入浴時間は厳密に決められていた。と言っても男性は女性の後が決まりとの事で、柊悟たちは一番最後。
呼ぶ声に呼応したのかガサゴソと音がなり、程なく格子柄をした押入れの戸が開き、大きな身体を丸めたミヤケンが額に汗を浮かべながら顔を覗かす。
「済まねえな。布団用意させちまってよ‥‥‥ しっかし、やっぱ暗室代わりとはいえ、押し入れの中は暑ィな」
陽は完全に沈んだとはいえ、風通しの悪い押し入れの中はかなり蒸すのだろう。Tシャツに短パン、額にはバンダナを巻いたミヤケンは汗まみれのまま伸びをする。彼はツーリングがてら写真を撮る為、常に簡易ではあるが現像を行える道具一式をバイクに積んでいるとの事だった。
「だけどよ、おかげでいい写真が仕上がったぜ。掛け値無しでオレの最高傑作だ」
右手に嵌めた白い手袋のうえに雛鳥を持つが如く、そっと写真を載せているミヤケンの表情はどこか得意気だ。
「どんな写真なんです?」
「‥‥‥ おっと、今はダメだ。一般公開はまだ少し先の予定なんでな」
覗き見ようとした柊悟から写真を遠ざけるミヤケンは笑い声混じり。最高傑作と言うだけにどうにも気になる。
「見せてくれてもいいじゃないですか‥‥‥ 」
軽く不服を伝えつつ、柊悟はデイバッグから着替えを取り出し風呂の準備を始めた。
「近日公開! 乞うご期待! って事でよろしく」
そう笑いながら同じく風呂の用意を始めたミヤケンの鞄から、先程とは違う写真が一枚、はらりと零れ落ちる。。
畳の上にそっと落ちたその写真には、ふたりの人物が写っていた。ひとりは『
「ミヤケンさん、落ちましたよ」
イヤな予感を感じつつ、写真を拾い上げた柊悟は出来るだけ表面に触れぬよう、それをミヤケンに手渡す。
「‥‥‥ ‼」
「綺麗な人ですね」
焦りを見せたミヤケンをフォローするつもりの言葉だったが、写真を受け取ったミヤケンは失敗したとばかりに頭を掻いている。
「…… やっちまったな。まぁ、どのみち兄ちゃんには話そうと思っていたしな。 頃合いってヤツか」
大きく息をつき、ゆっくりと腰を下ろしたミヤケンは目線で柊悟にも腰を下ろす事を促す。重く、大事な話になるとの意味なのだろう。柊悟はそれに従いミヤケンを見つめた。
ミヤケンはゆっくりと口を開いた。
「そのベッドに腰かけているのはオレの姉貴『花宮沙織』。そして、その隣は姉貴の担当医だった『
開口一番の告白は驚き以外の何者でもなかった。
「えっ! 真咲の! それって、どう言う‥‥‥
思わず語気を荒げた柊悟に対し、ミヤケンは右手の人差し指を口元に当てつつ、鋭い視線を飛ばす。
「声を荒げるな。ひとつ向こうは嬢ちゃんたちの部屋なのを忘れたのか?」
和室をひとつ挟んだ向こう。そこが真咲と風子がいる部屋である事を思い出した柊悟は慌てて口に手を当てる。
「まぁ、『驚くな』って言う方が無理があるよな‥‥‥ 兄ちゃん、オレにはな5つ上に姉貴がいた」
あの写真に写っている古風な感じ女性がミヤケンの姉である事は間違いないだろう。ただ、語り口は過去形だ。
ミヤケンの言葉は続く。
「姉貴は生まれつき身体が弱くてな。俺が物心ついた時から入退院の繰り返し、外に出るのもままならないようなカンジでよ。その一方、オレは生まれつきガタイもよく、絵に描いたような健康体でな。だからよ、姉貴が元気になったら出かけてみたいって言っていた場所‥‥‥『原風景が見れる場所』に出向いちゃ写真を撮り、それを姉貴に見せながらその場所の情景を語って聞かせたんだ『いつか一緒に行こう』ってな」
姉の映った写真を眺めながら、淡々と語るミヤケンに柊悟は視線だけで頷いてみせた。
「オレの拙い写真と話しをよ、いつも嬉しそうに見たり聞いたりしてくれる姉貴が見たくてな、オレはあちこちを廻ったよ。高校に入りバイクの免許が取ってからは日本全国を駆け回った。TVや雑誌で姉貴が興味を示した場所があれば、翌日には飛び出した。長野に青森、仙台に岩手、富山に新潟、広島や大分‥‥‥ 結構、好奇心の強い姉貴でな、リクエストに応える為によ、一日で東京大阪間を往復した事もあったんだぜ? 」
そう小さな苦笑いを見せたミヤケンの目線は、柊悟ではなく、その向こうのはるか遠くに向けられていた。
「姉貴は医者にも恵まれてな。最期の一年は本人の望み通り日本のあちこちを‥‥‥ 本人が見たがっていた『原風景』ってヤツを見て回ることが出来た。だからこそ、最期はあんな穏やかな顔で逝けたんだとオレは思っている。そして、そんな姉貴の我儘とも取れる無茶に応えてくれた、時には旅先まで同行までしてくれた『
――― 静寂
灯りに誘われたのか、羽虫が二羽飛んでいた。煩わしい目線の高さで舞うその虫たちを柊悟は何故か払う気が起きなかった。
「…… ずっと俺たちを尾けていたんですか?」
それは不服というよりは、重なり過ぎる偶然の紐を解く為の確認。
「ああ。先生から『娘の願いを陰から支援して欲しい』って頼まれていたからな。だから、あの白いカローラの連中の事を兄ちゃんたちに知らせたり、陰で先生の奥様である『
見知らぬ所で様々な人間の思惑が動いていたという事なのだろう。その一言一言がやけに鼓膜に焼けついて来る。
緊張を解そうと軽く回した柊悟の肩が小さな音をたてた。
「偶然にしてはタイミングが良すぎると思いましたよ」
「そう思うのが自然だな。嬢ちゃんは気がづいているか? 」
「真咲は気が付いていないと思います」
そう答え、柊悟はミヤケンの視線を正面に捉える。ミヤケンの視線も真っすぐ柊悟を捉えていた。
「ミヤケンさんが、もう少し出しゃばっていたらバレていたと思いますよ‥‥‥ 真咲は結構、カン良いから」
笑みを浮かべ、嫌味と共に視線を返す柊悟。
「チッ、言ってくれるねぇ。オレが助けなきゃ、やばい場面も結構あった筈だけど?」
さらに返すミヤケンも嫌味混じり。だが、その表情には笑みが浮かんで……———
『‥‥‥ません! どなたかいませんか? 』
談笑の中、ふいに聞こえて来た焦りのある声とエンジン音。どちらにも聞き覚えがある。
「何だ? こんな時間に客か? 」
反射的にか或いは、外に一番近い部屋だと言う自覚があってか、立ち上がったミヤケンが襖を開ける。
「CB400…… しかもスーパーボルドールかよ」
小声でそうひとり言を洩らすミヤケンの見つめる先にはひとりの女性。それにエンジンを掛けたままの一台の銀色のバイク。CB400 スーパーボルドール。
「‥‥‥ 母さん !」
見覚えのあるバイクと立姿に柊悟は声をあげた。
「柊悟っ‥‥‥ やっと見つけた! まったく、あなたって子は‥‥‥ 」
明らかに焦りを見せている母の言葉は続いた。
「柊悟、あなたは早く四葉を連れてアメリカに逃げなさい! 」
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