第35話 暁の写真
図書館からの帰り道、沈みかけた夕日が背に掛かると茹だるような暑さは和らぎ始めていた。バイクから見えて来た岩楠家別邸の縁側には2人の人物が腰を下ろしている姿。矢鱈に派手な色合いはの服は家元。そして、もうひとりの赤い袴姿は真咲だ。
「あっ! センパイ、 カノジョさんと大ババですよ、おーいっ!」
叫びながら手を振って見せる岩楠香澄は何故か得意げだ。
「見ればわかるよ」
「もうっ! センパイは本当に無愛想さんですね。手くらい振りましょうよ」
相変わらず楽しげに手を振り続ける岩楠香澄。
「運転中だから無理だよ」
視界は同じなのだ見ればわかる。おそらくそれは向こう側にいる真咲も同じだろう。何となくバツの悪さを覚えた柊悟は広い庭の一番隅、縁側から最も離れた所に他のバイクと並ぶようにウラルを停めた。
「何もこんな奥に停めなくても‥‥‥ 」
「並べて泊めるのがマナーだろ? 俺たち以外のお客さんも来てるみたいだし」
言い訳半分に言葉を並べ、図書館に行く前には停まっていなかったワンボックスカーを視線で示す。
「父の車ですよ。手伝いに来たんです。あとで挨拶してくださいね」
「‥‥‥ ああ」
泊めて貰う訳だから挨拶は当たり前なのだが、香澄の言葉はどうにも訳ありげに聞こえる。
「たっだいまぁ! あー楽しかったぁー」
側車から飛び出すように降りた香澄は被っていたヘルメットを小脇に抱えたまま小走りに縁側へと走ってゆく。
「おかえり。随分遅かったじゃないか香澄」
柊悟には笑顔を湛えるその家元の声がやけに楽しげに聞えた。
「センパイとツーリングしてたからねぇ~ 大ババこそ、何か良い事でもあったの?」
驚いたような表情を浮かべ質問する香澄。どうやら同じことを感じたらしい。
「良い事尽くしさ。あの阿部とかいう娘の裁縫の腕は確かで、あっという間に衣装の裾上げをちまうし、この娘はこの娘であっさり『
「えっ? そんなやる気出さなくても‥‥‥ 」
よこっこらせとばかりに腰を上げる家元を慌てて止める香澄。明らかに練習をしたくはなさそうだ。
「いいから来な! 香澄」
グイと首で促すような老婆の迫力に負けた香澄は大きくため息をする。
「はぁー…… わかりましたぁ」
面倒くさい気ではあったが香澄は脇に抱えていたヘルメットを真咲に手渡すと、何事か耳打ちをした後、家元と共に襖の向こう側へと姿を消してしまった。
吹き抜ける一陣の風。
ふたりきりになった縁側に流れる微妙な沈黙。息をつき、柊悟が見上げた夕焼け空には鳶らしき鳥が弧を描き飛んでいた。
「何だかんだで、アイツは真面目で素直なんだよ。サッカー部のマネージャーでも結構いい仕事するしさ」
場を繋ぐ言葉。いや、柊悟にとってはきっかけを求める言葉だった。
「‥‥‥ 」
ヘルメットを膝の上に乗せ、俯いたままの真咲からは言葉が返ってこない。
「『
「‥‥‥ うん」
何か苦しそうな気さえする真咲の返事。頭の中で必死に何かを思い出し、それを整理している。そんな表情だった。
「『話せばわかる』ってよく言うけどさ、アレって一方的だし半分嘘だよな」
「えっ? 」
自嘲的な笑顔を浮かべると真咲の隣に腰を下ろし、柊悟はひとつ息をつく。
「理解は理性じゃなくて、感情が優先されるって事さ」
柊悟は少し驚いた様な表情を浮かべる真咲に視線だけで微笑みかけ、言葉を続けた。
「
唐突な話にも関わらず、真咲はただ静かに頷いていた。
「準決勝で当たったのが優勝候補筆頭の「日海大付属」だった」
「ショッピングモールの本屋で会った人の高校?」
真咲の問いに柊悟は首を縦に振る。
「全員が超高校級プレイヤーだったよ。いざ試合をしてみたらスゴイのなんの。俺がマッチアップしなきゃいけない右ウイングも上手さと速さを兼ね備えたとんでもない選手だったよ」
スピード、パワー、テクニックどれもが叶わぬ相手だった。
「試合は相手に先制されたものの、1-0のまま。流れ的にも悪くなくてさ、こっちも点が取れる予感はあった。後半勝負になる。それはみんな分かっていたと思う。だから、オレはキーだった右サイドを消耗させるため、かなり前目にポジションにとり、マークもタイトにいった」
格上の相手に対しての対抗手段。それは『走り負けない事』。その行為で相手を消耗させ体力を奪い、プレーの精度や集中力を奪う。旧態全としているが、有効な策であるのは間違いが無かった。
「ガンガン走ったよ。ペース配分もクソもなかった。後半30分過ぎぐらいになると足が攣り始めてさ。でも、それは相手も同じで…… いや、俺の目には相手の方が消耗しているように見えたんだ。だから加勢に出た。上がりまくって、切り込み続けて、そして、終了直前に俺があげたクロスを先輩が頭で合わして押し込んでくれた」
サッカー選手はひと試合12,3キロの距離を走る。むろん全ての距離を全力疾走している訳ではないが、十分心身を消耗する距離。まだ身体が出来上がっていない高校生ともなれば、それは試合の後半に顕著に出る。
「同点って事? 」
「ああ。PK戦に入った時には勝てると思ったよ。流れ的にも追いついた側の
「柊悟‥‥‥ 」
顔をあげた真咲の鳶色の瞳は夕日に震えていた。
「結局、俺の失敗が響いてその試合は負け。誰一人責めてくれなかったよ。『借りは冬の大会で返さばいい』って。だけど、その帰り道に『UFEA東京』の人が唐突に声を掛けて来て、俺だけに名刺を渡した」
露骨なスカウト。何か意図もあったのかもしれないが、それが皆の誤解を生んだ。
『スカウトがいるのに気が付いてワンマンなプレーをした』
『アピールの為、ペース配分を考えなかった』
『チームより自分を優先した』
無論、全てが誤解ではあったが、柊悟は言い訳が出来なかった。そして、日を追うごとにその声は大きくなり、『UFEA東京』のスカウトが度々学校に来る様になると柊悟は集中力を欠き練習でもミスを連発するようになり、気が付くと部にも顔を出せないようになっていた。
「四葉やじいちゃんに『言葉が足りない』って言われるけどさ‥‥‥ 俺は安易に話しをする事で自分の行動に対する免罪符を得るの嫌なんだ…… いや、それだとカッコよく言い過ぎだな」
ひとつ乾いた笑いをいれた柊悟は縁側から立ち上がり、
「多分、俺は自分の気持ちを整理するのが遅いんだ…… だけど、いや、だから、人が気持ちを整理するのを待つのは苦手じゃない」
真咲が自身の何かに気が付いている事は分かっていた。それを当人が既に受け止めつつある事も。あとは真咲の気持ちに整理が着くのを待っていればいい。
「…… ありがと」
「このツーリングは最後まで付き合うって、約束だからな」
振り返りつつ、見つめた巫女装束姿の真咲とその揺れる瞳に捉まりそうになった柊悟は慌てて視線を逸らす。
「そ、そう言えば、メットを返す時、岩楠が何か言っていたみたいだど、何て言っていたんだ? 」
「ナイショよ 」
縁側からポンっと飛び出すように歩を進め、柊悟の横に並ぶ真咲。
「ナイショか」
「そ、内緒」
見つめる真咲が浮かべた屈託のない笑顔に柊悟も思わず表情が緩む。
「おーい、おふたりさんっ! こっち向いてくれ」
暁の中、不意に聞こえたミヤケンの声。その声の方向に顔を向けると聞こえたシャッター音。
「ミヤケンさんっ! 盗撮なんて趣味悪い!」
「人聞き悪い事言うなよっ! 試し撮りだよ、試し撮りっ! 」
ミヤケンに詰め寄り、顔を赤めながら抗議する真咲。柊悟はそんな姿を見ながら彼女との旅の終わりが近い事を感じていた。
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