第34話 舞の口伝  

「センパイ‥‥‥ 鳥飼センパイ!」

 身体を揺すられる振動に気が付き柊悟は、我に返った。見つめた先には後輩の姿。

「岩楠か‥‥‥ どうした? 」

 思考を中断され少し腹も立ったが、口を尖らせている後輩に向かい、柊悟は務めて穏やかに声を返す。


「どうしたじゃないですよ。本ばかり読んでいて、私の相手何もしてくれないじゃないですか」

「ああ、ごめんな」

 図書館は静かにしているもの。そんな言葉も浮かんだが出たのは動揺を隠すための優しい言葉。


「かなり熱心に読んでましたねぇ。スマホでメモまで取って。何を読んでいたんですか?」

 そう返しながら、柊悟と肩を並べるように椅子を動かした岩楠香澄が本を覗き見る。


「『竹取物語』? 古文の勉強ですかぁ? でもセンパイ、確か選択理系ですよね」

 続いてスマホに目を落とし、言葉を続ける彼女。


「えーっと、多治…比…嶋?は【鉢】、藤原は【枝】 ‥‥‥大伴は【珠】に、阿部は【衣】? で、石上は【貝】?? 何の暗号ですか、コレ? 」

「何でもない、ちょっとした走り書きだ」

 小声とは言え、いきなり重要な部分を読まれた柊悟は慌ててスマホのホームボタンを押しメモの内容を隠す。


「あー、ひどい! 隠した」

「人のスマホ画面を覗く方が酷いだろ?」

「はーい、今後気を付けまーす」

 少し先輩としての威厳を込めて注意をしたが、当の本人に響いているかは怪しい間延びした返事。


「先輩の読んでいた『竹取物語』って、確か五人のイケメンにコクられたからって調子コイて、レアなプレゼントを要求し破滅に追い込んだにも拘らず、自分は『迎えが来たから帰るわ』って、全員ブッチした性格の黒いサイテー女の話ですよね」

「‥‥‥ああ」

 かなり抜粋されているうえ、解釈が独特な気もしたが、話の概要は間違っていないため、柊悟は頷いて見せた。


「こっちは絵本じゃないですかぁ。センパイって、結構カワイイ趣味あるんですねぇ」

 机に頬杖をつきながら、パラパラとページをめくって行く岩楠。


「『竹取物語』の概要を思い出す為には、手っ取り早いと思ってさ」

 図書館の空調が利き過ぎなのか、岩楠香澄は腕のあたりに鳥肌が立っており、それをさすりながら、柊悟が持って来た残り一冊の本を手に取り、ページを捲りはじめた。


「へー‥‥‥ コッチは難しそうな本ですねぇ。『月について』って、なんか面白味も捻りも無いタイトル‥‥‥ 著者は鳥飼七菜香? あれっ? 苗字がセンパイと同じですね」

「‥‥‥ああ」

 同じはず。著者は母なのだ。まだ教授になる遥か前、柊悟が中学に進学したばかりの時に発表し、それなりに話題となった本。


「へぇー‥‥‥ なになに、月と地球って元々はひとつだったんですって、センパイ、知ってました? 」

「あぁ。地球の自転、あるいは何らかの衝撃により、地球の一部が引き剥がされ、それが月となったって説がある」

 月がどのように生まれたのかは諸説あるが、母・七菜香が唱えていたのは、外部からの衝撃による地球からの分離説だった。


「――― 月までって地球から38万キロもあるんですかぁ。でも、数字が大きすぎてイマイチ、ピンときませんね」


「24時間365日休みなく歩き続けて11年掛かる距離だよ。公転軌道上で地球から一番離れている時は更に2万キロ距離が増すから12年と考えれば間違いが無いな」

「センパイ、計算早っ! 」

 計算をしたのではない。当時は母が本を出した事が誇らしくて、それを暗記する程読んでいたに過ぎない。ここに本を持って来たものの、やはり開く必要はない程覚えていた。


 岩楠は好奇心が刺激されたのか、更にページを捲っていく。


「‥‥‥ 樹海で見つけることの出来る希少土類と月の岩石には類似性が見られ、また、富士山の活動と月震の活動周期には共鳴とも取れる同一性があるって…… コレって、月の石と樹海の土の一部が似てるって事ですよね? すごーい! でも月震って、何ですかね? 」

「月で起こる地揺れ。地球で言う地震の事だよ」

 澱みなく小声で読みあげながらも、内容を言語化し、不明な点があれば質問することが出来るのは、本の内容を頭で組み立てている証だ。柊悟はそんな香澄に驚きつつ、問いにそう答えた。


「月でも地震が起こるんですか? 」

「起きている。アメリカがアポロ計画の一環で、月面に震度計をおいて、約9年間月の揺れを観測したんだよ」


 柊悟の記憶によれば、この本の別の章に補足として、『アポロ計画の中で計測できた揺れは約12,600回。大気も水も無く、また隕石が落ちやすい事からも地球で起きる地震のメカニズムとは大きく違い不明な点も多い』と書かれていた筈だった


「うわー、なんかスケールが壮大ですねぇ‥‥‥ でもセンパイ、詳し過ぎ! ひょっとして月オタクとか!」

「そんなオタク、初めて聞くよ」

 少し引き気味な香澄の言葉を柊悟は流したものの、あながちその指摘は間違っていないと思っていた。


「えーっと、続きは‥‥‥ 太平洋の容積は月の容積と等しい事からも、もともと月は現在の東アジアから太平洋全域にあった陸地・岩盤等が地球を分離し生まれた可能性がって‥‥‥ うわっ、マジ? これって、とどのつまり、お月様は元々この辺りにあったって事ですよね」

「あぁ。説のひとつだけどな」

 他にも地球の引力が月を引き寄せ留まらせた『捕獲説』。地球と同時に誕生した『姉妹(兄弟)説』。マグマの海の天体が月となった『マグマの海説』など、月の誕生には幾つもの学説がある。


 「‥‥‥うーん、こんな風に説明されちゃうと、大ババ家元が言う『赫夜かぐやの舞』の言い伝えも、まんざら『オカルト』だって、馬鹿にでき無くなっちちゃいますね」

 あごに手を当て、眉間に皺を寄せる香澄。そのリアクションの素直さや表情の多さ、そして頭の回転の速さを知り、柊悟は今まで自分がこの後輩の表面だけにしか関心が無かった事を思い知らされた。


「言い伝えって何なんだ? 」

「岩楠家以外の人には言ってはいけない決まりですけど、ここまで言っといて、話さないのは性格が悪いですからね‥‥‥ センパイになら話してもいいです。他の人には内緒でお願いしますよ」

 意味ありげな視線を自分に向けて来る香澄。

「言わない。約束する」

 自分に対する好意を利用している自覚はあった。それ故、約束は守らなければならない。


「代々、口伝くでんで伝えてられて来ていて、詳しくは天野玉桂流・家元『石上千代子』の名を継ぐ時じゃないと教えて貰えないらしいんですケド、大ババ家元は、『赫夜かぐやの舞』は『人が月へと還る』ための舞だって言ってました」

 還るは、帰る。つまりは元に戻ると言う事だ。


「何となく、この『月について』って本に書かれている事と一致すると思いません?」

 背中に暑さでは無い汗をかき始めた柊悟は静かに頷いてみせる。


「それでも、はじめて『赫夜かぐやの舞』を舞った人の話は眉唾ですけどねぇ。さすがにアレはないでしょう」

「誰なんだ、その人は」

 察しは付いていたものの、柊悟は敢えて尋ねた。


「この女ですよ。さっき話した性格の黒いお姫様」


 そう香澄が指さした先には一冊の絵本。令和の時代の子供たちでも読みやすいようにと合わせた為だろう、細かい線と鮮やかな色彩で十二単を纏う女性のイラスト描かれ、その上には明朝体でその人物名を冠するタイトルが書かれていた。


 ―――――― 『かぐや姫』と。

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