第16話 匠の矜持


 身体の熱、更にはその奥にある緊張をやさしく解すような懐かしい匂いがした。おそらくは店内に並ぶ木材や指物からのモノだろう。

 そんな香りに包まれていた為か、柊悟は桧垣指物店の工場こうば内にある事務室兼客間で、真咲の素性は隠しつつ、これまでの経緯を説明することが出来た。


「ほぉう、って事は、喧嘩の弱いあんちゃんは、あの『日の出町の音治郎』と茉莉さんの孫って事か? そう言われりゃあ、奴に目元辺りが似てなくもねぇな」

「『日の出町の音治郎』?」

 渾名のようなモノである事は察しは付いたが、聞き慣れぬ文七の言葉に柊悟は思わず声を上げた。


 よくぞ聞いてくれたとばかりに文七が膝をピシャリと叩く。


おうよっ! 『日の出町の音治郎』と言ゃあ、儂らの学生せいがくの時分はかなりの名よ。腕っぷしも確かなモンだが、何より度量がでかくてな。そのうえ頭も切れる。だからよ、東京の北側うえで起こる問題は、大概アイツに相談すれば片付くってな。結構な顔役かおだったんだぜェ。まぁ、儂も身体なり小さいこまいが、腕には覚えがあったからよぉ『大島の文七』って呼ばれててな、南側したの揉め事はよく仲裁しておさめてたモンよ。そんな折に東京のうえしたを二分する抗争が学生せいがくの間で起きてだな、そん時に‥‥‥ 


 おそらくは今まで何度も話した事がある話なのだろう。構成がしっかりされており、まるで『講談・次郎長三国志』だ。‥‥‥が、着地点がまるで見えない。

 早く本題である、木箱を見せたい所だったが、助けて貰った恩があるうえに、気持ち良さそうに話し続ける文七の話の腰を折る事は気が引けた。



「あらあら、文さん、随分可愛らしいお客さん達じゃあないですか」

 お茶の香りと共に聞こえて来たゆったりとした女性の声。


「おうっ! しず、聞いて驚くなよっ! このあんちゃん、あの音治郎と茉莉さんの孫なんだってよぉ」

「おや、まぁ。こんな立派なお孫さんがおられたんですか。はじめまして、この人のつれあいしずです」

 にこやかに返しつつ、お茶を並べていくその女性は文七より更にひと回り小柄だ。


「立派って言ったてな、腕っぷしは弱ぇし、儂や音治郎から見れば、乳臭ちちくせぇ青二才の若造よ。なぁ、あんちゃん」

 お茶を啜りつつ、何故か柊悟に同意を求めてくる文七。

「文さんや音治郎さんより強い男性なんて、東京じゃあ数える程しかいませんよ。それよりこの若いお客さんたちは何か用事があって来られたんじゃないですか? 」

 そう返しつつ、静さんは柊悟たちだけに見えるように軽くウィンクをして見せた。


『前置きが長いうえに、口が悪くて御免なさいね』

 おそらくはそんな意味が込められているのだろう。


おうっ! そうだったな、済まねえ。わざわざ音治郎が儂の所に寄こすなんて何用なにようだ」

 文七が自身の額を叩き、頭だけぺこりと下げつつ尋ねてきた。


「こちらの木箱について、何か分かる事がお教えて頂きたいんです」

 リュックの中から2つの木箱を取り出し、文七に見せる真咲。


「‥‥‥ 嬢ちゃん、あらためさせて貰ってもいいかい? 」

 声に低くさが帯びる。


 真咲の頷きを確認すると、まず文七は音治郎の細長い木箱の包みを開けた。考えてみれば、バタバタしていた為、柊悟たちもその中身を見るのは初めての事だ。


 音治郎から渡された木箱の中身。それは白木しらきに小さな鈴が幾つも付いた楽器の様な物だった。


「中身は鈴みてぇだな」

 文七は中身そのものにはあまり関心がないようで、楽器らしき物を丁寧に取り出すと、目を細め木箱を見つめだした。


「こっちの木箱も失礼するぜ‥‥‥」

 続いて、出会った時から真咲が持っていた木箱を確認しはじめた文七。心なしかその表情には怒気が出ている。


 出してもらったお茶からは香ばしい香り。緊張を誤魔化す為、柊悟が湯呑みに視線を落とすと珍しい事に茶柱が立っていた。


 「可哀そうなモン造りやぁがって‥‥‥ 」

 眉間に皺を寄せ続けていた文七が、ため息と共に中空ちゅうを睨んだ。


「文さん、何か分かったんですか? 」

 長年連れ添って来た年期だろう。文七が息をついた絶妙なタイミングで静さんが声を掛けてくれた。


「細工は大したモンだ。継ぎ方から見ても名のある職人の手による品なのは間違いねぇ‥‥‥ だが、れは江戸指物とは呼べねぇよ」

「私の目から見れば、文さんの物程ではないにしても、よく出来た江戸指物に見えるんですけどねぇ」

 静さんの合いの手は、お世辞でも何でもなく、思ったまま。そんな言い方だった。


「静よぉ、残念だがよぉ儂にはこの細工は出来ねぇよ。何せカラクリが分からねぇからな」

 悔しさを滲ませるように呟いた文七の言葉。だが、どうにも引っ掛かる。先程、文七は明らかに目の前の木箱を否定していた。


「どう言う意味なのでしょうか? 」

 今まで静かに聞いていた真咲が言葉を挟む。


「‥‥‥ その木箱は時を刻んでねぇ」

 質問に対し返してくれたことはありがたいが、柊悟には何を言っているのかが、まるで分からなかった。


「もう少し、分かり易く教えてあげないと分かりませんよ、文さん」

 不安そうな真咲の表情を見て察してくれたのか、静さんが言葉を挟んでくれた。


「嬢ちゃん、それにあんちゃん、指物ってヤツ人に使われて初めて道具ってヤツになるモンなんだ。傷がついたり、虫に食われたり、水気みずけを吸っちまったり、お天道様に照らされて曲がっちまったりって具合にな。そんなモンを何年も重ねて、本当の意味で使ってくれる人様の生活に馴染み道具ってやつになる。人間でいえば、皺や傷ってヤツよ。だから職人は其れが具合よくおさまるよう、工夫を施す」

 文七はそこまで話すと、痰でも絡んだのかひとつ咳払いをし、お茶を啜った。

 空になった湯呑みに静さんが黙ってお茶を注いでゆく。


 言葉は続いた。


「それでも年を食うのが指物だ。指物は人と同じでな、どんなにべに塗ってつくろっても、どんだけ可愛がっても歳を食い、やがては朽ちる。それが、世に生まれたモノ全ての定めであり、理ってモンだ。そして、その朽ちていくまでの間、如何に人に喜んで貰えるか、如何におのれで喜びを見つけられるか、それが人や物の幸せってやつよ。だがな、こいつこしらえたヤツは、それをほごにして、こいつらの朽ちるを止めてやがる。こいつらを縛り、幸せを見つけづらくしてやがるのよ」

 どこか悲しそうにそう語る文七の言葉は、下手な学者の高説より重く、柊悟の心に響いた。同時にあらためて見つめる文七のその顔や手には小さな皺、傷が幾つもあり、それはこの年老いた男性が真っすぐに生きてきた証に思えてならなかった。



「この木箱が年を取っていない。古びていないと言う事ですか? 文さん」

 程よい沈黙の後、静さんの分かり易い頷き。先程から見ている限り静さんは、かなりの聞き上手だ。

「あぁ、そうよっ!」

 『良く理解したな』とばかりの大きく頷きのあと、文七は一口お茶を啜った。



「失礼な言い方ですが、大事に扱って来たのでそう見えるのでは? 柊悟のお父様も音治郎さんもかなり古いモノだと言っておられました」

 せっかくの流れに、どこか不満がある様な口ぶりの真咲が割って入る。柊悟は思わず、真咲の足先をつま先で突いた。


「文七さんの見立てでは、この木箱は劣化していないと言う事ですよね? 」

「ああ」

 慌てて入れた柊悟のフォロー。そして文七の返し。隣の真咲は少しムッとしている。


「嬢ちゃん、音治郎たちの見立ても間違っちゃあいねえよ。このあつらえは確かに江戸時代初期、寛永の頃に流行ったモンだ。だがよぉ、顔料の具合で、煤けた味があるように見えっけど、こいつはまだ生まれたばかりも同然の姿形なりをしている。身にシミや歪み、ヒビどころか傷や煤のひとつ付いていやがらねえ。今から400年程前の代物がだっ」

 400年もの間、存在し続けたにも関わらず、傷ひとつ付いていない。劣化していない。確かに俄かには信じがたい



「そんな事が可能なんですか? 」

 今度は柊悟が好奇心から言葉を挟んだ。

「可能も何もここにこうしてモノがある以上、出来るって事よ‥‥‥ 考えられるのは木と顔料の組み合わせ、これは無限にあるから儂の手にも余るな。あと出来るとすりゃあ‥‥‥ 空気を抜く事だな」

 文七はまた眉間に皺を寄せた。おそらくは何か考え事をする時のクセなのだろう。


 そのまま、何も言わず立ち上がった文七は、店舗の奥にある工場こうばで大きめの鉋を手に取ると側にあった切れ端であろう木板2枚に続けて鉋を掛けだした。


 木が削れる心地よい音と鉋屑の匂い。


「よし、いい具合だ! 嬢ちゃん、あんちゃん、よく見てな」

 そう言うと鉋を掛けた二枚の板を拍子木を打つように重ね合わせた文七。


「剥がしてみな」

 手招きをし、文七は重なった2枚の木板を真咲に手渡す。


「剥がすって、こうですか? 」

 真咲の左右の手に力が籠る‥‥‥ が、すぐ表情に驚きが宿る。

「えっ⁉ ウソ! 剥がれない!」

 声を上げる真咲。

「嘘だろ? 」

 真咲から渡された板を柊悟も剥がそうとするがビクともしない。

 

 柊悟は文七の動きを見をずっと見ていたが、鉋を掛け、板を重ね合わせただけだった事は断言できる。まるで手品だ。


 不思議がる二人に文七は静かに口を開いた。


「それが指物の時を遅らせる技のひとつよ。まぁ、それでも其処のふたつの木箱みてぇに時を止める事は出来ねえがな‥‥‥ 兄ちゃん、木ってヤツの劣化は、傷口から菌が付いて腐食する事から始まるんだが、その菌が何が苦手か分かるか? 」

 意外と言っては何だが、文七は非常に人の好奇心を刺激する話し方をする。もしかしたら教え上手なのかもしれない。


「薬‥‥‥ それに空気が無い事ですか? 」

 暫くの間をおき、柊悟は答えた。


「そうだ。指物に於いて、その薬の役割がうわぐすりだ。そして、空気を無くす技が此れよ。その2枚の板の間は空気が入り込めねえ程、鏡みてぇに平らに鉋を掛けた。一時いっときだが、その2枚の板の間には空気が存在しねえ。だから2枚の板はピッタリとくっついて離れねえんだ」

 柊悟は下敷き2枚を重ね合わせて、離れなくなった事を不思議に思った小学生時代を思い出す。


「この木箱について、儂が分かる事と言えば、今言った事くらいよ‥‥‥ 釉については、あの唐変木に調べさせれば何か分かるだろ、静! 」

「分かってますよ。携帯は無理でも固定電話のある研究室にはつながりますから、今から掛けてみますね」

 静さんは予想していたのか、既に電話の横におり、手帳を眺めている。


「あのぉ、唐変木さんって、変わったお名前ですが‥‥‥ 」

「ウチの五代目、儂らのせがれよ。『指物の継ぎ手は工学的に見ても凄い事を証明する』とか、ふざけた事ほざいて、職人しながら夜になると大学やらの研究室に入り浸っている変わりモンよ」

 真咲はボケた訳ではない事はその表情からすぐに分かったが、それでも会話が成り立ってしまったのは、文七が息子の事を照れながら、自慢げに語っていたせいなのだろう。


「文さん、それに柊悟さんに真咲さん、息子は今日は泊まり込みで調べ物があるみたいで、ここには帰れないそうです。ですが、明日の10時頃に大学で是非、木箱を見せて貰いたいと言っています」

 受話器に手を当てながら申し訳なさそうに語る静さん。


「ちっ、学ばっかりつけやあがって、生意気な野郎だ。仕方ねぇ、東城とうじょう大なら、ウチからの方がはえぇな。ヨシっ! おふたりさんは今日、ウチに泊ってきな! なーに!遠慮はいらねえょ。それにな、ウチの静の飯はなかなかのモンだぞ」

「いやですよぉ文さん、人前で。それじゃあ私は客間にお布団を二つ並べましょうかね」

 悪意も悪戯心もないであろうふたりのやり取り。そんな中、柊悟の耳には東城大の名前だけが響き続け、他の言葉は薄まって聞こえていた。


「えっ⁉ ふたつ並べる? ちょっと‥‥‥ それは‥‥‥」

 慌てる真咲をよそに、静さんはいそいそとかっぽう着を羽織り、奥の方へと向かっていく。

「儂も拵えて於きたい物があるから、ちいとばかし奥にいるぜ。茶ぁ飲みながらTVで見ててくれ」

 文七も腰を上げ奥の工場こうばへと向かってしまう。


「えっ、その‥‥‥ あの、布団は‥‥‥」

 いまだ慌てる真咲の横で、柊悟は明日向かう東城大で嫌な事が起こる事を予感せずにはいられなかった。















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