第23話 涙の理由
「捨て子だった私は自分の誕生日はおろか、本当の親の顔すら知らない。“真咲”って名前も園長先生が付けて下さったものなの」
――― 捨て子
「当時もニュースになっていたらしくて、今でもネットで検索すると出て来るの。”竹藪から赤ちゃんと木箱”って‥‥‥ 」
――― 赤ちゃんの時に捨てられる
『児童養護施設』との名から、ある程度、重い話になる事は推測していた。だが、現実に言葉になったそれは、柊悟から頷く動作さえも奪い去っていた。
そんな柊悟を見てか、園長先生が言葉を繋ぐ。
「
園長先生の状況説明は厭世的な雰囲気が漂っており、それを耳にしたせいか真咲は口の端だけで苦笑いを作っている。
「‥‥‥ 」
言葉が出なかった。
「さすがに驚くよね。でもね、
耳を塞ぎたくなるような事実。いつもPCのモニターの向こう側、ネット上で横目で流していたリアル。それが先程、笑顔を見せていた子供たちに起きていた現実なのだ。
「親の、いや、人間のする事じゃねえだろ? 捨てるのだの、放置するのだの‥‥‥」
柊悟は怒りから身震いを
「酷い話って思うかもしれないけど、全部事実だよ」
おそらく、今聞いた内容は事実の断片でしかないハズだ。
施設のどこかに風鈴が付けられているのか、場違いな清涼感のある音が薄く聞こえて来る。
「まぁ、乱暴な言い方になるけど、この手の施設なら良く聞く話さ。だけどね、鳥飼さん、ここにいる人間はみんな不幸自慢はキライなんだ。辛さの背比べなんて、他者を見下したい人間がする事だからね」
園長先生の言葉に静かに頷いた真咲。その視線には強い意思。恐らくこの先に語りたかった事があるのだろう。
「今、私はここの法人の支援者でもある
含みのある言い方だった。多治嶋家といえば、高校生の柊悟でも何度か名前の聞いた事のある政治家一門。確か何代も続く名家だったはずだ。
「何代も国会議員を輩出している
柊悟は言葉を選んで尋ねたつもりだったが、なぜか真咲の隣に座っている園長先生の眉が少しだけ動いた。
「逆…… と言うより、もっと丁寧に進めてくれてているわ。
ならば、何故、家を飛び出したのか? おそらく、黒のハイエースに乗っていた
尚も真咲の独白は続く。
「今年の夏休みに入る少し前、私は
真咲の声は心無しか震えている。
コップに入っていた氷が解け、軽い音を奏でた。
「木箱を持ち出すって、言った後、反応が変わったのか? 」
柊悟は敢えてゆっくりと質問を投げかける。
「急に門限を設けられたり、スマホを取り上げられたり、どこへ行くにも末次さんがついて来たり…… 明らかに私の行動を制約するようになったわ」
「勘違いとかじゃないのか? 養子になる事が決まりそうだからこそ、過剰になったとか…… 」
自分で言っておきながら、無駄な質問である事は分かっていた。なにせ、黒のハイエースでずっと尾けてくるような行動を起こす連中だ。
「私も最初はそう思っていたわ。でも、急に家中に監視カメラが設置されただけじゃなく、私の部屋にまで内緒で隠しカメラが設置されていたのよ。何が目的か分からないけど、明らかにおかしいでしょ? そして、その行動はあの木箱と中身、そして私の出自が影響していると思うのも自然でしょ? だから私は隙を見て木箱を持ちだし
真咲は興奮しているのか、声がうわずっていた。同時に多嶋家に対しても、深い親愛の情がある為か、最後の一言を言わずにいる様に柊悟には思えた。『多治嶋家は木箱の秘密を知っている」の一言を。
「鳥飼さん。真咲はかなり
今まで黙っていた園長先生がふいに言葉を挟む。
「園長先生! 」
真咲の制止るような呼び掛けを軽く挙げた手で制しつつ、園長先生は続けた。
「さっき、『裏にあるコンビニが元はウチの敷地だった』って話をしたでしょ。あれはウチの経営が苦しいから、敷地を切り売りしただけなのよ。社会福祉法人、児童養護施設、聞こえは良いけど、内情は生々しいモノなのよ。子供たちを大学に行かしてやる事や習い事をさせてやる事すらできない。学歴がすべてじゃないのは当たり前だけど、ココの経営状態と行政の在り方が子供たちの可能性を狭めているは間違いのない事実なのよ」
柊悟は少し前まで、リフティングを教えていた少年・宏典の事を思い出す。今、サッカーですら、月謝を払い教えて貰う時代だ。柊悟が勧誘を受けていたクラブチームの
「5年前に私は児童養護施設の実態を知って貰おうと、高名な議員である多治嶋みゆきさんに直訴に行ったの。良い方だったわ。真剣にこちらの訴えを聞いて、行政にも働きかけてくれた。それだけでなく、ウチへも政治家としてギリギリの範囲まで様々な支援までもしてくれた。更にはココにもよく顔を出してくれるようにもなって、子供たちの事もすごく可愛がってくれた。特に真咲の事は目を掛けてくれて、養子にしたいと言う話まで持ち上がった」
そこまで一気に話すと園長先生はコップに口をつける。
「この子は見ての通り、容姿にも恵まれているうえ、昔から学業や運動も抜きに出ていた。だから多治嶋さんだけでなく、色んな方から養子の話はあった。でも、この子も結構頑固でね、その全てを断っていたわ…… ウチの経営状態や児童福祉の惨状を知るまでは‥‥‥ 」
つまりは、ある程度年長者になってから、考え方が変わったという事なのだろう。
「子宝に恵まれなかった多治嶋家は、後継ぎが欲しかった。一方、ウチは経営の支援者が欲しかった。そして、その関係は真咲が養女に入れば、ほぼ永続的なモノなる。真咲はあたしのその打算を知ったうえで‥‥‥ 」
生々しい話だったが、子供が大学を卒業するまでに掛かる平均的なお金は、2,500万とも3,000万とも母から聞いた覚えがある。お金の価値そのものを、働くと言う事をボンヤリとしか理解していない柊悟でも、それが途方もない金額である事だけは分かる。
「園長先生、それは違います。多治嶋家の皆さまは出自の分からない私を心から歓迎してくれた。だからこそ、私はケジメの意味で木箱と中身、そして何より私自身の出自をハッキリさせたいだけなんです」
恐らく園長先生の言う事も真咲の言う事も両方真実なのだろう。だからこそ、真咲は旅に出た。
「あの堤防で俺と出会ったのは、そんな経緯があったんだな」
似たような木箱が5つある事、また、それを何故真咲が知っているのか、あの黒装束の一団はなんなのか等、まだ幾つか疑問は残る。だか、柊悟にも全体像は見えてきた。
「ごめんなさい。巻き込んでおきながら、今更こんな話をするなんて‥‥‥ あとはわたしひとりで何とか出来ると思うの」
唐突な言葉、そして深く頭を下げる真咲。
その姿の向こう側に施設の子供たち、そして妹の四葉の笑顔が重なる。柊悟は誰にも分からない様に息をつき、覚悟は決めた。
「旅のお供はここまでって事か‥‥‥ 」
東城大学からここまでの道中、真咲がずっと押し黙っていた事。会話が少し乾いていた事。そして、何より自身の正体を明かしてくれたのは、この言葉を伝える事を決めていたからだろう。
「私の我儘にこれ以上巻き込むわけにはいかないもの。ここまで本当にありがとう。鳥飼くんの事は忘れないわ」
少し震えながらも、深く頭を下げたままの真咲に少し腹がたったが、柊悟は何も言わず立ち上がり、『月の住処』を出た―――
ジリジリと蝉の声が響く中、路地を右へ右へと3回曲がり、裏のコンビニへ。ウラルのキックペダルを蹴りエンジンに火を入れる。
茹だるような暑さの中、ヘルメットを被りアクセルをゆっくりと空け、バイクを進ませる。向かう先は既に決まっていた。
柊悟はバイクのハンドルを三度左に切った場所で、エンジンを思い切り空吹かしさせる。
轟音一響 ——————
園の窓からは子供たちが驚きの顔を覗かせていた。少し気が引けたが柊悟はもう一度バイクのエンジンを唸らせる。
「鳥飼くん、何のつもりよ! 」
パタパタとコンクリを駈ける音と共に、玄関から出て来た真咲の第一声。表情で怒っているのは直ぐに分かった。
「身勝手で甘え下手な女の子が、実は困っているって聞いたから、助けに来たんだよ」
「なによ‥‥‥ そ‥‥‥れ‥‥‥ 」
真咲の声は震えていた。
「今、お供にしてくれるのなら、用心棒も兼務して、この
「また、危ない目に合うかもしれないわ」
先程の発言も柊悟の身を案じてのモノなのは分かっていた。
「アレはアレで結構楽しいもんさ」
「ケン…カ‥‥‥ 弱いじゃない」
「まぁ、その辺は知恵と工夫でこれからは何とかするさ」
「柊悟の‥‥‥知り合いに‥‥‥迷惑ばかり‥‥‥かけているわ」
真咲の声が聞き取りずらくなってきた。
「旅が終わったら頭を下げに回ればいい。それもアフターサービスに入っている」
「ばかよ‥‥‥柊悟は‥‥‥」
俯いたまま震える真咲の側に園の子供たちが駆け寄って来た。
「あれぇ、どうしたのお姉ちゃん。泣いてるの?」
「あー! お兄ちゃん、いけないんだぁ。真咲お姉ちゃん泣かしたぁ! 」
「さいてぇー」
「園長先生に言いつけてやるぅ」
年少の子供たちにすっかり悪役にされた柊悟は真咲を正視する事も、かと言って子供たちに返す言葉も浮かばず、ただバイクに跨ったまま、苦笑いを浮かべていた。
【第一章 謎の少女・完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます