第14話 白の追手

 ワイシャツの肩がずり落ちているのは、男が長身に似合わぬ撫肩の為だろう。面長な顔にお飾りの様に備わっている切れ長の目と薄い唇は線で描いたように細いが、どこか知性を感じさせる落ち着きが備わっていた。


「お嬢様、お屋敷にお戻りください」

 慇懃だが上から。

 その口調は何処か小学校の教師を連想させた。


「‥‥‥ 」

 真咲は口を噤んでいる。

 柊悟が視界で捉え続けている黒いハイエースには人影。明らかにこちらを伺っている。


「奥様‥‥‥ いえ、先生が大事な時期なのは、お嬢様ならご理解できているハズです。余計な心配をかけないでください」

「心配をかけたつもりは有りません」

 ふたりとも周り聞かれるのを嫌がっているかの様な抑え気味の声。


「家を飛び出した娘を心配しない親がおりますか? しかも、同じ年頃の男の子と二人きりでバイクでドライブなど、先生が知られたら卒倒しますよ」

 柊悟とウラルサイドカーを見つめる末次の視線。先程の女の子たちとの会話、そして今のやり取り。どうやら真咲は柊悟が考えていたより、とんでもないお嬢様らしい。


「お母様が卒倒する程、弱い人間でない事は末次さんもよくご存じのはずです」

「確かに。ですが心配しているのは事実です。それはお嬢様もお分かりでしょう? ましてや、アレまで持ち出したとなれば、尚更です」

「あの木箱は元々、私の物です」

 真咲の言い切る言葉に末次の表情が一瞬だけ歪む。柊悟は自身の口の中が嫌な乾き方をしているのを自覚していた。


「それは存じております」

 感情を敢えて纏わさないような末次の物言いに気圧されたのか、真咲は俯いている。


 コンビニの前を生暖かい風が一陣、砂埃を巻き上げ通り過ぎてゆく。柊悟は思わず片眼を閉じた。


「ねーねー! ママ、この人たちの写真アッチコッチにあるけど、みんな悪い人なの」

 風の終わりと共に聞こえて来た幼子の高い声。その方向には、今度行われる選挙の候補者の掲示板を見つめている小さな男の子と事30代半ばの女性の姿。

 柊吾の瞳が立ち並ぶポスターの一枚を捉える。


「あっくん、これはね選挙ポスターと言うの。それでね、ここに写真が並んいる人たちわね、あっくんたちの生活を良くするために働いてくれる人たちなのよ。悪い人なんて言ったらバチが当たるわ」

「ふーん。そうなんだぁ」


 ほのぼのとしたその母子のやりとりに、道ゆくスーツ姿のサラリーマンが笑みを浮かべる。そのやりとりは真咲と末次の耳にも届いているハズだったが、ふたりは微動たりしていない。いや、耳は澄ましているが、敢えて聞こえていないフリをしている。そんな風に修悟の目には映った。


 そんな沈黙する二人の前を柊悟は敢えて横切り、バイクに跨るとキーを回しエンジンをかける。

 

 低く、くぐもったエンジン音が沈黙を破る。


「‥‥‥ 真咲、そろそろ行こうぜ」

 排煙に露骨に顔を顰める末次を無視して、柊悟はエンジンを吹かした。


「早く乗れよ」

 柊悟は命令口調で催促をする。慣れない行動の為か、芝居気が強すぎてしまったが、効果はあった様で真咲が慌てて側車に乗り込んで来た。


「キミ! お嬢様と私は、まだ話合いの途中だ」

「こっちもデートの途中なんだよ」

 真咲の友達にもついた嘘だが一番もっともらしく聞こえるだろう。柊悟は初めて末次と視線を合わせる。


「相手が誰か分かって言っているのか? 」

「知ってるよ。真咲だろ? 」

 真咲の視線が自分の右頬に止まるのを感じつつ、柊悟は額を流れる大量の汗を隠す為、いつもより目深にヘルメットを被った。


「あまり大人を舐めるなよ」

「脅すつもり? いいよ。何ならココでひと騒ぎ起こすかい? 困るのはの方だと思うけど? 」

 先程の親子が立っていた方角を顎で示し、柊悟は薄く笑って見せた。もう、おおよその概要は掴めていたが、慣れない事をし続けている為か、その腕は薄く震え続けている。


「‥‥‥ あまり調子に乗るなよ。

 感情を敢えて抜いているその物言いと視線にチリチリとした痛痒さが背筋を駆け抜けた。

こそね。…… ねぇ、脅しついでにひとつ教えてよ。白のカローラの連中を差し向けたの、末次さん? 」

 強がり。そして、どうしても確かめておきたかったひとつの事。


「白のカローラ? 何の事だ?」

 顔の右側だけを顰め、不思議そうな表情を浮かべる末次。

 嘘は言っていない。それだけは直感に近い何かが教えてくれた。


「知らないならいいんだ。コッチの話だから。バイク出すから道を開けて。それとハイエースの人たちにも尾けてこないように指示を出してくれる? ちなみにコレも脅しだから」

 言う通りにしなければ騒ぎを起こす。柊悟はそんな意味を込め、再度軽い笑みを浮かべる。


「‥‥‥ 生意気なだな。キミは」

「よく言われますよ。に」

「だろうな」

 末次の視線は真咲。そして、軽く上げられた右手はハイエースに向けられていた。


「ごめんなさい、末次さん」

「お嬢様…… 分かってらっしゃるとは思いますが、恩を仇で返すような事はさらぬように」

 柊悟はその言葉の深意を摑めぬまま、バイクをコンビニの駐車場からゆっくりと進め東へと進む出す。視界には唇を噛みしめる真咲の姿。


「さてと行きますか!」

 柊悟は先程の親子が見つめていた選挙候補者の看板手前まで来るとアクセルを思いっきり吹かし、バイクを一気に加速させた。


 立ち並ぶ選挙ポスター。その中でもひと際目を引く綺麗な女性候補者。

 そこには、読みづらい苗字を誰にでも分かりやすくするため、ルビ混じりでこう書かれていた。


多治嶋たじまみゆき』と。



 *************************************


「停めて」

 走り出してから15分程の時間が過ぎた頃、それまで黙り込んでいた真咲が不意に声を上げた。


じきに目的地だから、もう少しだけ走らせろよ」

 実際には既に目的地である『桧垣指物店』のそばには着いているハズ。本音を言えば柊悟も大島界隈の細かい分布を地図で確かめる為、一度バイクを停めたいと考えていた。


「停めなさいよ」

「ヤダね」

「なんでよ!」

「嫌だからだよ。運転中にあまり話し掛けんな」

 何故か、お互いにケンカ腰。


「いいから、停めて!」

 殆ど悲鳴に近い叫びがあがる。柊悟は顔を顰めながらも、ゆっくりとバイクを県道の脇に停車させた。


「でかい声だな」

「柊悟が出させたんでしょ!」

 ゴーグルをあげ、柊悟を睨む視線には怒気が宿っている。


「悪かったな」

 悪態をつき、ヘルメットを取ると汗が噴き出す。もう陽が傾き始めているのに、気温はいまだに嘘のように熱い。その為か人通りどころか車の往来もかなり疎らだ。


「停めてと言ってもオートバイを停めてくれない。トイレに行きたいのを言わなきゃ気づいてもくれない、友達の前で俺が連れ出したとか適当な嘘をつく。さっきだってデートだの嘘をついたり、末次さんを脅したり、オートバイを急に加速させたり……すべて見透かしたような顔をしてドンドン勝手に前に進んで行くなんて、どれだけ身勝手なの!」

 指摘を受けた内容は事実。だが釈然とはしない。


 ヒステリー

 そう、言ってしまえば、だ。


『ヒステリーを煩わしく感じたら、その子はお前にとって普通ただの女の子だ。逆に……  』

 碌朗七菜香に罵倒に近い言葉を浴びても怒りもしなかった時に教えてくれた言葉を柊悟は思い出す。


「なんで、柊悟は怒らないの! 私、逆切れしてるのよ! 理不尽な事を言っているの!」

 息を切らし、捲し立てる真咲。自分の勝手さは理解しているらしい。


「君の言っている事が正しいからだよ」

 建前。ある意味柊悟はウソついた。

「私が正しい?」

 眉間にしわを寄せ、不思議そうな表情を浮かべる真咲。


「トイレ休憩の事に気を回せなかった事と、友達の前で勝手な設定を作った事はどう考えても俺が悪い。それに君の事を心配してくれていた末次さんを脅したのも半分は俺が悪い。選挙の看板の前でバイクを急加速させたのは完全に俺の気分だから、やっぱり俺が悪い」

 言葉に出してみると自身の行動が子供じみて見え、柊悟は苦笑いを浮かべる。



「‥‥‥ ううん、違うわ。柊悟は悪くない」

 肯定された事で気持ちが落ち着いたのか、自身を責めるような声のトーンと共に真咲の視線が落ちた。

 その表情を見つめ続ける事が出来ず、柊悟は顔を遠くに向ける。はるか先、湾岸道路を走る車のテールランプの赤がやけに鬱陶しく目に映る。


「子供は親を選べない。当然、親の職業も…… 」

 親が政治家ともなれば、子供なりに気も遣う。家出をするとなれば偽名を使いたくもなるだろう。


「母には感謝しているわ。父にも。こんな私を‥‥‥ 


 ―――ジャリッッ


 真咲がそこまで言葉を並べると、砂を噛む音が柊悟の聴覚を刺激した。同時に身体を駆け抜ける痺れのような痛み。


「柊悟っ‼」

 途切れそうになる意識の中、届く真咲の叫び。柊悟は強く奥歯を噛みしめ、強引に意識を呼び戻す。


 白のカローラ。そして真咲を側車から降ろそうとする黒装束の男たち。

 眩みかけた視線の中に飛び込んできたモノはそれだった。


「て‥‥‥めえら‥‥‥」

 スタンガンか何かで電撃を浴びせられたのか、身体動かす所か声を上げるのもままならない。


「あなたたち何なの? やめて‼ 」

 怯える真咲の声。

 痺れで視界が歪み中、なんとか伸ばした左手が握ったハンドル。柊悟はロシア語で『Автомобиль рога』と書かれたボタンを力いっぱい押した。



“ ヴヴイイィィィ‼ ” 



 非常サイレンにも似たつんざく音が辺り一面に響く。

 黒装束の男たちは明らかに驚いた様子で辺りを見回しはじめる。


 男たちのうち、最も身長の高い男がホーンボタンを押し続ける柊悟の右手をはたき落とす。


 止む音、そして柊悟の手に残るぬめりとした感触。


「しゅうっっ‥‥‥んっ ‼」

 再び叫び声を上げようとした真咲の口を布のようなモノで覆う男たち。


「や‥‥‥め‥‥‥ろ、真咲から離……れろ」

 声すら出ない自身の不甲斐なさに湧き出る怒りの中、睨み続けていた黒装束の男たちの動きが不意に止まる。


 男たちの視線の先。

 そこには腕を組んで仁王立ちするひとりの小柄な老人の姿。頭には捩じり鉢巻き。上下作務衣で肩からは丸に『桧』の字が染め抜かれた法被はっぴを羽織っている。口には煙管、足元は雪駄だ。


 足を扇に開き、加えていた煙管を大仰に取るとソレを黒装束の男たちに突出し、老人は目を見開いた。


おうおうおうっ! 多勢に無勢とは卑怯じゃねえか! 此処は天下の往来、しかも人の店の前で女子供に手ぇ上げるたぁ、何事だぁ! 『祭りと喧嘩は江戸の華』その喧嘩、このわし、『大島の文七ぶんしち』がまとめて買ってやるからかかってこい!」

 

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