第3話 父の肌着

 よく母が洗濯ほど人生を浪費する家事はないと愚痴をこぼしていたが、柊悟は逆に洗濯ほど気持ちの良い家事は無いと思っていた。価値観の相違と言えばそれまでだが、母は家事をしている時ですら学者であり、研究者だった。柊悟はいつも難しそうな顔で洗い物をしていた母を思い出しつつリビングのドアをくぐる。

 

 すると、そこからは大きな笑い声。


「ホントですかぁ! さん」

「ホントなのよ! ちゃん」

 いつの間にか意気投合。


「あっ! シューゴちゃん、何してたの? 」

 ソファーに寄りかかっている四葉は満面の笑み。上機嫌らしい。


「洗濯の続きだよ。それより、食事は梅ネードと海老トーストでいいかな? 」

 悟朗は冷蔵庫の中を覗きつつ、ふたりにそう尋ねる。


「うんっ! お願い。ありがとねシューゴちゃん」

 メニューを知っている四葉からは、にこやかな返答が返って来た。

「梅? 海老? なにそれ?」

 はじめてソレを聞く月野の顔は困惑気味だ。


「梅ネードはレモネードの梅バージョン。海老トーストはノリの佃煮にチーズと桜エビをまぶしたトーストだよ」

 柊悟は簡単に解説をした。


 母が家を出てからの1年間、家事は妹の四葉と分担して行っていた。柊悟としては、食事くらい手間を掛けずコンビニで済ませたいのだが、『料理をしないと母親アノ人みたいになるからイヤ!』との四葉の主張を重視し、簡単料理ばかりを作っていた。


 レンジからは、チーズの焦げる香ばしい匂い。


「海老トースト見た目はグロだけど、美味しいよ」

「あっ、ホント、チーズの良い匂いがしてきた」

 まぶしてチン。

 作るのには10分と掛からない。しかも時間の大半はチンの為のモノだ。


「出来たよ」

 柊悟は適当なお皿に海老トーストを乗せ、梅ネードの入ったコップをテーブルに置いた。


「えー! こっちに持ってきてよ」

 ソファーに寄り掛かりながら、四葉が口を尖らしている。


「ソファーに座って食べるのは行儀が悪いから、食事はダイニングテーブルで食べるって決めたの四葉だろ? 」

 このダイニングリビングだけでも広さだけなら20畳近くあるだろう。立ったり座ったりは確かに面倒だ。


「トーストはおやつだから、ココで良いと思うな」

 年頃のためか、最近、口が立つようになって来た四葉が不満をもらす。


「そこで食べるとソファーにトーストのが落ちて、後でコロコロするのが面倒なんだよ」


『掃除と洗濯をするだけで、1日の大半が終わる』

 自分の返しに母の口癖を思い出し、柊悟は思わず下唇を噛んだ。


「四葉ちゃん、あっちで食べましょうよ。向こうは扇風機も回ってるからココより涼しいハズよ」

「あー…… ホントだ! シューゴちゃん扇風機ひとり占めしてるぅ」

 そう言いながら腰を上げ、リビングテーブルに駆け寄ってくる四葉。


 エアコン近くのソファーと扇風機近くのリビングテーブル。どちらが涼しいかなど考えるまでもないが、四葉が気分を損ねないように、うまく誘ってくれた。そのいなし方を見る限り、月野にも妹か弟がいるのだろう。


「いただきます」

 そう声を上げたあと、よほどお腹が空いていたのか、月野は早々にトーストを千切り食べ始めた。結構、食いしん坊らしい。


「なにこれ! 美味しい! 」

 鳶色の瞳を輝かせての声。素直な反応だ。

「でしょ? この梅ネードも美味しんだよ。シューゴちゃん簡単料理の才能があるのよね」

 相槌を打ちながら四葉はコップを手に持ち月野と目を合わし笑っている。


「…… ホント、このジュースも美味しい!」

 どちらもネットで調べたものをそのまま作っているだけだから、偉そうに出来るモノではないが、柊悟はどこか気恥ずかしさを覚え、頭をひとつ掻いた。


「四葉、父さんは? 」

 照れ隠し代わりの言葉。

「今日は大学お休みだから、まだ寝てるんじゃないかな? 昨日、帰ってきたの遅かったし」

 ふたりの父は大学の先生だ。肩書としては准教授。

 もっとも、母に言わせれば、三流私大のマイナーな学問の万年准教授らしいが……



「いい匂いがするなぁ。シュウ、俺にも焼いてくれ」

 噂をすれば影。ボサボサの髪に「LOW」と書かれた赤いTシャツ。それに下は駱駝色の肌着ステテコ姿。自ら好んで冴えない中年を演じているかのような格好だ。


「父さん、おはよう。トーストは1枚でいい? 」

「おはよう。この前の健康診断で、尿酸値が高くてな。医者から散々脅されたよ」

 1枚で良いという意味なのだろう。

 父・碌朗ろくろうはひとつだけ伸びをすると、寝ぼけまなこのまま、キッチンに背を向けてソファーに腰掛け新聞を読み始めた。振る舞いから見るに月野真咲には気が付いていない様子だ。


「父さん、今年は出世できそう? 」

 場つなぎの会話。

「無茶を言うな。今の地位でも俺は出来過ぎだと思ってるくらいなんだから」

 『欲がない』母が父に対し、よく言っていた言葉を柊悟は思い出す。


「父さん、バイクの調子はどう? 」

「いいな。お前にメンテナンスして貰ってから、トルクが安定している」

 碌朗の趣味は仕事でもある古民具集めとバイクに乗る事。しかもマニアックな事にバイクは何故かサイドカーばかりを好んで乗っている。


「父さん、コーヒーいる?」

「気が利くな。砂糖は抜いてくれ」

 柊悟の意図を理解したのか、横にいる四葉が顔を真っ赤にして笑い出すのを堪えはじめた。


「父さん、今月の振り込み通知、書斎に置いておいたよ」

 月野の肩も揺れはじめた。


「見たよ。先祖代々の資産とは言え、土地を持っているだけであれだけの金が入ってくるなんて、世の中間違っているな…… カードはいつもの所にあるから、生活費はそこから使ってくれ。お前なら変な使い方がせんと思うが、無駄遣いはするなよ」

 駅前と国道沿いにある貸駐車場。すべて昭和より前の時代から鳥飼家が所有していた土地らしい。


「父さん、あのさ」

「なんだ、シュウ? 今日はやけに喋るな」

 そこで漸く息子に首を向けた父。


 父・碌朗の目が点になった。


「…… 父さん、お客さんが来てるんだ」

 もう我慢しきれないとばかりに、大きく吹きだした四葉が声を上げて笑い出した。


「お邪魔しています。月野真咲と申します」

「鳥飼碌朗です」

 起立し、肌着ステテコ姿のまま、ぺこりと頭を下げる姿がなんとも愛らしい。

 こんな父を捨てて家を出て行った母は、多分、男を見る目が厳しすぎるんだろう。柊悟はそれを確信しながら、小さく笑った



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