第30話 たった一人で飛び立つとき
子供達に囲まれたニックは、ゆっくりとベルの目の前に歩み寄ってきた。その瞳はもう絶望に染められてはおらず、ベルはもう彼が自分を殺す気はないと分かって安心した。
「どうして私を殺そうとした?」
「《神様》とソルが完全に融合するために、お前は邪魔だったから」
「殺すくらいなら、なんであの日私を助けたんだ?」
ベルの口調は決して責めるようなものではなく、その眼差しはまっすぐにニックを見つめていた。ニックは申し訳なさそうに目を伏せる。
「お前が、俺を救ってくれるんじゃないかと思ったから。俺もお前も、貴族に生まれて、運命のいたずらでスラムにたどり着いた。だから、お前を救えば俺も救われる気が勝手にしてた。殴っていいよ。俺は俺の自己満足のために、お前を助けた。本当に、ごめん」
その言葉に、ベルは俯いた。彼の長い髪が顔にかかって、表情が見えなくなる。そのまま彼はニックに近づいて、思いっきりそのすねを蹴っ飛ばした。
「いっ!?」
「はっきり言って傷ついた。傷ついたが、お前のその自己満足のおかげで私は今生きている。だから、この程度で許してやろう。感謝しろ」
ツン、とそっぽを向いてベルは言い放つ。その顔は怒りに満ちているというよりはいたずらっ子のようで、だからニックも安心して笑った。
「ねえ、お兄ちゃん。一つ確認したいことがあるんだけど」
その時、ブラッディがニックに声をかけた。お兄ちゃん、という呼称にニックは顔をしかめる。
「お兄ちゃんっていうのやめねえ? ニックでいいよ。なんか、お兄ちゃんって呼ばれると変な感じするから」
「じゃあ、ニック。あの緋色の王様って人が、お母様の弟だよね?」
「ああ。あの人は、どうして母上が自分を捨てたのかずっと知りたがっていた。何がいけなかったのか、どうすればよかったのか、分からなくて苦しいって泣くのを何度も見た」
それを聞いて、ブラッディは複雑そうな顔をした。それから、一連の会話を他人事のような顔でつまらなそうに聞いていたダンの方を見る。
「あんたってなんでも知ってるの? じゃあ、お母様がなんであの人を捨てたのか、知ってるんでしょ? 教えてよ」
ダンは面倒だという気持ちを前面的に押し出した声で答えた。
「まあ、知ってはいますけど。まず、あなたがご存知のことをお話しされてはいかがですか?」
「弟くん、お前なんか知ってるのか!?」
弟くん、とニックに呼ばれてブラッディは先ほどのニックにそっくりな表情を浮かべた。
「ブラッディって呼んでよ、気持ち悪い。あのね、僕と緋色の王様はそっくりだったわけ。だから、心が壊れたお母様は僕を緋色の王様だと思い込んでいたんだけど……」
ブラッディは狂った母の優しい笑顔を思い出す。
「お母様は僕に、つまり弟にとても優しかったよ。愛してる、貴方と一緒に暮らせて嬉しい、って毎日言ってた。
ほんの少しの間だったとしても、スラムに一人ぼっちにしてしまってごめんなさい。貴方はなにも悪くなかったの。悪かったのは私と、あの人よ、って、泣きながら謝ってきたりして。
だからさ、多分王様が捨てられた理由は王様自身にあるわけじゃないみたい、かなって」
自分の言葉が正解かどうか、ブラッディがダンの表情を伺えば、彼はうんざりといった様子でため息をついた。
「ここで延々説明してあげてもいいんですが、ことは急を要するでしょう。王様を止めるにはこの真実を知る必要があることは認めますが、時間がありません。
ニック、彼女からの手紙をここで読んでなさい。そのあと、全力で走って王都までくること。あの赤い流星が最初に壊したのは王都とスラムを隔てていた城壁です。あれが跡形もなくなっているはずなので、誰でも簡単に王都まで行けますから。よろしく」
一方的にかなり無茶な要望をニックに押し付けたダンは、ベルに向き直って問いかける。
「私の力で、貴方一人なら今すぐ《神様》たちのところへ連れて行ってあげられます。しばらくのうちは貴方一人で巨悪と戦うことになりますが、覚悟はよろしいですか?」
「一人って、そんな! 私たちも一緒に……!」
「王都まで全力で走ってください」
「ここから王都がどれだけ遠いと思ってるのよ!?」
「そう言われても、私にはどうしようもありませんよ! 貴方たちでなんとかしてください!」
ランとダンが言い争うのを見ながら、ニックはあることを思いついた。
「俺たちが走るよりか、まだましな手段があるかも。トラウマになるかもしれないけど」
「「え」」
ランとキティが同時に声をあげる。二人ともなぜか非常に嫌な予感がしたのだ。
「すぐに俺たちも追いつくから、ベル。なんとか一人で頑張ってくれないか」
ベルの手が少し震えていることにニックは気づいていたが、それでも彼に希望を託すしかなかった。ベルは強く拳を握りしめて、ゆっくりと、力強く頷いた。
「分かった。私がソルを止めるよ」
「決まりですね。では」
ダンが空に手をかざす。すると、空から水色の光が降り注いで、ダンの背中には《神様》のそれによく似た灰色の翼が生えていた。
「ベル。手を」
ダンの手を取れば、みんなが口々にベルを激励する。
「ベル、待ってて。私たちもすぐ行くから。私の愛する王都をめちゃくちゃになんてさせないわ!」
「ランの言う通りだ。少しの間だけ、僕たちの王都を頼むよ」
「ベル、お願い、絶対にソルを取り戻してね!」
ベルは、みんなの願いが自分に集められていることを実感した。一人で戦うのは恐ろしいといえば嘘になる。けれど、彼らの願いは自分とともにある。一人ではない、と思えた。
「みんな、行ってくる」
ダンに手を繋がれて、灰色の翼で二人は王都へと飛び立った。その姿を見送ってから、ニックはやけに爽やかな笑顔を浮かべて残された一同に告げた。
「さあ、というわけで。母上からの手紙を読みながら俺たちも王都に向かおう! ネズミの群れの乗り心地は悪くないと思うから!」
その言葉に、ランとキティは同時に失神しかける。慌ててブラッディが二人を支えたものの、正直言ってブラッディでさえ気を失いたくなる台詞だった。
「ラン、今は手段を選んでる場合じゃない。ここは現実逃避しよう。現実を直視しないことも時には大切だよ」
「分かったわ……」
そんな場合ではないと分かっていても、ランは憂鬱な気分になるのを抑えられなかった。
※※※
空から眺めると、王都もスラムもまるでおもちゃみたいだ。簡単にめちゃくちゃにできる、取るに足らないもの。けれど、王都の人たちはそんなおもちゃみたいな街を必死に守っていた。魔法で障壁を作り、なんとか赤い光の襲来を防いでいるが、光は無数に降り注ぐ。彼らの努力も虚しく、どんどん王都は破壊されていった。
人々の悲鳴が聞こえる。泣き叫ぶ子供の声も。そう、全ては願い通り。自分から幸せを奪った王都の人たちが不幸になる姿を見れば、自分は幸せになれると思っていた。けれど、目の前の光景を見ても、何も感じない。喜びも悲しみもない、ただ虚しさだけが心に残っていた。
姉さんが死んだ。姉さんだけが、自分を必要としてくれた人だったのに。もう一度姉さんに必要としてもらいたかった。姉さん以外の人間にとって、自分はその辺の石ころと何も変わらないみたいだから。石ころじゃなくて、人間になりたかった。
でも。もし、姉さんにもう一度会って、またいらないと言われてしまったら? お前は本当にただの石ころと変わらないんだと思い知ることになってしまったら? もう生きていけない。でも、死ぬのは怖い。
一度、王都に行った時。本当は姉さんに会えばよかった。姉さんが幸せそうなのを、物陰から覗くだけではなく。けれど、現実を知りたくなかったから。代わりに、自分を殺してくれそうな誰かを捕まえることにした。自分で死ぬのは怖いけど、誰かが殺してくれるなら死ねそうだから。
でも、そうして連れてきたあの子はとても温かくて、気づけば大切な宝物になっていて、もう少し、こんな風に過ごしていられれば、なんて夢を見て。
あれ?
姉さんに会いたくて、姉さんの幸せを奪ってやりたくて、でも生きていたくなくて、死にたくて。でも、もう少し、なんて思ったりもして。
僕は、なにを願っていたんだっけ?
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