託された願い
「ここまで来ればとりあえず大丈夫」
ニックは迷路のようなスラムの裏道をいくつも通って、教会から随分離れた場所に僕を連れてきた。僕はなんとか呼吸を整えて、ニックに尋ねる。
「なんで助けてくれたの?」
「……お前は俺に似てる気がした」
意味がわからなくて首をかしげると、ニックは分からなくていい、と呟いた。
「ここはベルってやつの縄張りだ。あいつは侵入者に気づいたらすぐ駆けつけてくるだろうから、俺に紹介されて助けを求めにきたって言っとけ。教会から来たとか、王様のこととか、そういうのは言うなよ。なんで俺と知り合いかとか、絶対言うな」
教会の外だからか、心なしかニックの口調はいつもより荒い。いつもと違うニックなら、本当のことを教えてくれる気がした。
「ねえ、僕より年上の子たちはどこへ行ったの?」
その問いかけに、ニックは暗い顔をする。
「分からない。分からないけど、まあ、きっと《あれ》関係だろうな」
ニックは、あれをかみさま、とは呼ばなかった。そのことに、僕は心の底から安心した。
「酷いことをすると……罪を犯すと、忘れたくなる。忘れても、犯した罪は消えないのにな。馬鹿みたいだけど、やめられないんだ。俺も、あの人も。忘れているのに、何度だって同じことをする。あの人が優しいのは自分の庇護下にある子供に対してだけだ。子供じゃなくなったら、あの人にとってはいらなくなる。あの人にとって特別なのは」
「君だけ、だからね」
突然、視界がぐらりと揺れる。そのまま僕は膝をついて倒れた。ビリビリと痺れる感覚があって、背中が焼けるように熱く感じる。
「なん、で……」
ニックが、信じられないというように呟く声が、なぜか遠い。視界の端で、瞼の裏に焼き付いて離れないあの赤が見える気がした。
「ねえ、なんでそれを助けたの? それはもう子供じゃないんだって。子供じゃないなら、いらないじゃない。それなのに、なんで? それは君にとって特別だったの?」
いつもの無邪気な声で、王様がニックに問いかけるのが遠くで聞こえる。ニックに詰め寄る王様は、手にギラギラ光る剣を握っているようだった。
「ダメだよ。君は僕だけ見てればいい、僕のことだけ考えていればいいんだ。他のやつのことなんか気にかけないで、僕を殺すことだけでその頭を埋め尽くして。邪魔者は全部、消してあげるから」
「そんな……!」
傷ついた表情をするニックに、王様は悲しそうな顔で追い討ちをかける。
「それとも、君も僕を捨てていなくなるの?」
その言葉に、ニックは目を見開いて。悔しそうに唇を噛んだまま、ゆっくりと首を振った。ああ、似てるってそういうことか。なんとなく分かった気がした。
あの赤から逃れたくても、逃れられない。
「……いいえ。貴方を捨てたりしません。貴方を殺すその日まで、ずっと、側にいます」
ニックの返事を聞いて、王様は満足そうに笑った。幸せそうに微笑む姿は、僕が大好きだった王様そのもの。
「じゃあ、帰ろうか」
上機嫌で王様が去っていく。僕の方には見向きもしない。ニックは僕を見て、声にならない声で「ごめんな」と呟いた。その瞳から、ぽろりと涙が一つ零れ落ちる。
やがて、そこには誰もいなくなった。ここで誰にも知られず、死のうとしている僕以外。ダメだ、ここで死ぬわけにはいかない。誰かが、王様を止めなくては。でも、もう全身の感覚がなくなりつつあった。それでも必死で手を伸ばす。誰にも取られるはずのないその手は、しかし空を切ることはなかった。
「死ぬな」
僕の手を取ったその人は、僕の目をまっすぐに見てそう言った。僕が誰かも知らないくせに、本気でそう思っているらしい。ああ、きっと彼が、ニックの言っていた……。
「お、ねがい」
口から出た声はびっくりするくらいかすれていて、まるで僕の声じゃないみたいだった。
「ひいろの、おうさまを……と、めて」
彼は戸惑っていたようだったが、力強く頷く。
「約束する」
その言葉を聞いて、僕は安心した。目の前がだんだん暗くなっていくけれど、怖くはない。
あの赤から、僕は逃れられたのだから。
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