第15話 捕まってはいけないもの

「《神様》のことを知りたいって? 《神様》は僕の願いを叶えてくれるんだよ。そんなこと君だって知ってるだろ? 他に何が知りたいんだい?」


 今日の王様は妙に機嫌が良かった。だから、今なら何を聞いても答えてくれるかもしれない、とニックは期待していた。


「俺が気づいた時にはもう、《神様》は地下室にいましたよね。気づいたのはあなたに連れてこられてから何年も経った後ですが。あなたが《神様》を作ったんですか?」


 王様は狭い部屋でくるくる回りながら笑う。赤い髪がその動きに合わせて美しく舞った。


「違うよ? 《神様》は僕が作ったんじゃない。それに、君を連れてきた時から一緒にいたよ。あの頃はまだ、手の平に乗る大きさの真っ黒い毛玉みたいな生き物だったけど」

「え!?」


 そう言われてニックは過去を思い返す。そういえば確かに、王様がペットのように可愛がっている謎の生き物がいた気がする。ある時を境にめっきり見なくなったが。


「あれがあれですか!?」

「何言ってるのか分からないよ」

「確かになんかいましたけど! あれが《神様》!?」

「そう。今じゃ、見違えるほど大きく成長したけどね。頑張って願いを集めた甲斐があった!」


 楽しそうに笑う王様と対照的に、ニックの表情は曇っていく。


「じゃあ、貴方はいつ《神様》に出会ったんです?」


 王様は顎に手を当てて、うーんと唸りながら思い出そうとした。


「もう、ずっと前のことだよ。子供だったとき、姉さんが一緒にいてくれた頃かな。

 路地裏で同い年くらいの子供たちが黒い毛玉みたいな生き物をいじめているのを見つけてさ。かわいそうだったから、その子供たちにやめなよって言ったんだよね。そしたら代わりに僕が殴られたけど、毛玉は怪我して放置された僕を心配そうに見つめててさ。

 姉さんが探しにきてくれて、怪我は治ったんだけど。毛玉には懐かれたみたいで、それから僕の周りをうろうろするようになった」

「じゃあ、母上は《神様》のことを知っていたということですか?」

「うん。まあ、僕も姉さんもあの頃は《神様》がどういう生き物か分かってなかったけどね」


 ニックは胸のざわつきがどんどん大きくなるのを感じていた。自分の中で生まれたある考えが間違っていればいいと思いながら、ニックはさらに問いかける。


「それなら、貴方はどうしてその毛玉が《神様》だと知ることができたんです?」


 すると、王様は悲しげに眉をひそめた。昔のことを思い出して、苦しそうに語る。


「姉さんに捨てられた時、気が狂いそうだった。姉さんは僕を王都に連れて行くと言ってたんだもの。それなのに、目が覚めたら姉さんも結婚相手もどこにもいなくなってた。

 姉さんが僕を捨てたなんて信じられなくて、もう生きていたくなくなった。死のうと思ったんだ。でも、どうしても姉さんが僕を捨てた理由が知りたくて、それを知るまでは死ねないとも思った。そんなときに、ダンに出会ったんだ」


 聞きたくなかった名前が登場して、いよいよニックは自分が核心に近づいていると認めざるを得なくなっていた。耐えがたい現実に直面した時の癖で、前髪に隠された左目を思わず押さえる。


「ダンが、あの毛玉は僕の願いを叶えてくれるんだって教えてくれたんだ。願いさえすれば、姉さんがどうして僕を捨てたのかだって知ることができるし、王都の人間たちに奪い取られた幸せを取り戻すことだってできるって。

 だから僕は願った。願って、願って、願ったんだ! だからきっと、もうすぐ僕の願いは叶うよ。王都の人たちから幸せを奪って、姉さんにどうして僕を捨てたのか聞いて、そしたらきっと……僕は幸せになれるよね?」


 嬉しそうな王様に、ニックは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。ずっと、憎むべき人だと思っていた王様が、今はもう違って見える。案内人に道を尋ねた子供が、嘘の道を教えられて永遠に迷路を彷徨い続けるのを見ているような、そんな気分だった。


 いてもたってもいられなくて、でもどうすることもできないほど全ては手遅れだったから、ニックはただ黙って王様を抱きしめた。


「ニック?」


 王様の戸惑う声も無視して、ニックはしばらくずっと王様を抱きしめ続けていた。自分よりよっぽど大人のくせに、子供みたいに温かい王様の体温を感じながら。



※※※



 西地区に辿り着いた三人は、その想像以上の荒廃具合に言葉を失っていた。ランとブラッディは一度ここを通り過ぎているはずだが、あのときはネズミに辺り一面埋め尽くされていてとても周りの状況を把握できる状態ではなかった。だから、二人は地獄の様相を呈した目の前の光景に驚愕し、恐怖さえ抱いていた。


「あ、れ……まさ、か……」

「ラン、あんまり直視しないで。心の傷になるよ」


 恐る恐る指差すランをブラッディが制する。ランは頷いたが、実際のところそれらを見ないで進むことは困難を極めた。なぜなら、それは至るところに転がっていたから。


「どうやら、ここを縄張りにしていた人間が他の奴らを皆殺しにしたという話は本当だったらしいな」


 ベルは悲痛な表情を浮かべて、かつて人だったのだろうそれを見るたびに追悼の祈りを捧げていた。それを見て、普段は死者に祈りを捧げたところで慰めにもならないと考えているブラッディでさえ彼にならって祈る。気休めにしかならないとしても、そうしなければここに充満する死の気配に耐えられそうになかった。


「何人かはここに住み着いている人間がいるんじゃないかと期待していたが……。これはさっさと西地区を一周するだけして帰った方が良さそうだな」

「その通りね。生きている人なんかいるはずないわ、こんなところ……。急いで周りましょう」


 早歩きで三人は先へと進む。進んでも進んでも、同じような惨状が広がっていて。三人ともがここに足を踏み入れたことを後悔し始めたそのときだった。


「え……?」


 突然目の前に、大きな教会が現れた。それはスラムにふさわしく薄汚れて今にも壊れそうなほどボロボロだったが、それでも壁に穴もなく、屋根もしっかり残っていた。


 そして三人をより驚かせたのは、そこには人の気配があったことだった。ちゃんと、生きている人の気配が。さらに、磨りガラスがはめられた窓の向こうに、小さな人影がいくつも動いているのが見えた。


「ここ、生きている人がいるわよ!」

「こんなところに立派な教会があったなんて、知らなかった……」

「とりあえずノックしてみるよ?」


 ブラッディが教会の入り口に近づこうと一歩踏み出したその時だ。背後にただならぬ気配を感じて、三人は一斉に振り返った。そして《それ》を見た瞬間、見たことを後悔する。


「いやあああああああああああ!」


 ランの悲鳴が西地区に響き渡った。ブラッディがランを再びお姫様抱っこで抱えて、ベルとブラッディは即座に駆け出した。直感的に分かった。あれに捕まってはいけない、と。


「なんなんだあれは……!?」

「忘れてた……! あのやばい生き物、君は知ってるかって聞こうとしたんだけど、聞きそびれちゃったんだよね! やっぱり知らないんだ!?」

「知るかあんなもん! 十年間一度もあんなの見たことないぞ!?」


 ベルはもう一度振り返ってそれを見る。それは真っ赤な瞳でこちらを睨みつけていた。無数の人間の手足が生えた、真っ黒な塊。そこに浮かんでは消えるいくつもの顔は、言葉に言い表せないようなおぞましい表情を浮かべている。そして、それは恐ろしく速いスピードで彼らを追いかけていた。


「まずい、このままじゃ追いつかれる! もっと速く走れ!」


 ベルの合図で二人はさらにスピードを上げる。ブラッディの腕の中のランは目の当たりにしたもののおぞましさに衝撃を受け、気を失っていた。二人は結界があるベルの縄張りの屋敷を目指して走り続けるが、教会があったのは西地区の一番奥。屋敷まではまだずっと距離があった。


「ダメだ、ベル! このままじゃ追いつかれる!」


 ブラッディが今までに出したこともないような取り乱した声を上げる。それを聞いてベルが振り向けば、化け物はもはや手を伸ばせば届きそうなほど近くまで迫っていた。間近からそれを見て、ベルは化け物から強力な恨みや呪いの念を感じる。改めて、これに捕まってはいけないと彼は確信した。


「ブラッディ!」


 ベルはブラッディの腕を思い切り掴む。ブラッディが抗議の声を上げるより早く、ベルは腹の底から思いっきり叫んだ。


「こんな結末、認めるものか!」


 その瞬間、三人はまばゆい光に包まれて気を失ったのだった。

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