第14話 太陽が墜ちた日
「あのな、ベル。俺は情報屋であって医者じゃねえんだ。頼むから死にかけて俺のとこに飛び込んでくるのはもうやめてくれな。せっかく闇商人たちに相当恩を売ってたのに、お前ら用の治療薬でパーになっちまった!」
「すまない、ニック。この借りは必ず返す」
数日後、ほぼ傷が完治した私に情報屋は盛大に文句をぶちまけた。正直、返せないほど大きい借りを作ってしまったと焦っていたが、彼はそっぽを向いて私に出て行けと手を振る。
「お前がもっと大人になって、えぐい仕事もこなせるようになったら返してもらう。今はいいから、そいつ連れて早く帰れ帰れ」
えぐい仕事とはなんなのだろうか、と気がかりに思いつつ、私は傷こそ良くなったものの未だ目を覚まさないソルを抱いて廃墟の屋敷に帰った。ソルが目覚めたのは、それから更に数日後のことだった。
「ベル……?」
怯えたようにキョロキョロと周りを見回す彼の金色の瞳が私を見つける。私がゆっくりと近づけば、ソルは勢いよく私に抱きついてきた。
「うわ!?」
「よかった……! オレ、ベルを探しに来たんだよ。ベルのところに連れて行ってくれるっていうお姉さんについて行ったら、ひどいことをたくさんされたけど。ベルに会えて良かった。オレのしたこと、ムダじゃなかったんだ……!」
彼がなぜスラムに来ることになってしまったのかもっと詳しい話が聞きたかったが、ソルは私に会えて安心したらしく、すぐに安らかな寝息が聞こえてくる。結局、彼から詳しい話を聞き出すのには、もう数日ほどが必要だった。
ソルは十歳になっても、私が知っていた七歳の頃と対して変わらなかったらしい。人を疑うことを知らない太陽のように明るい少年のままだった彼は、私の元につれて行ってやろうと告げる怪しい女を疑うこともなくついて行ってしまったらしいのだ。結界を張って侵入者を締め出しているルス家の完璧なセキュリティ体制も、守られるべき対象が自ら外に出て行く事態は想定していなかったことだろう。
怪しい女、と聞いて私はすぐに両親を殺したあのメイド長を思い出して凍りついたが、よくよく話を聞くとソルを攫った集団は反貴族派ではあるものの別の組織のようだった。
ソルを連れ去った集団はスラムへの抜け道を心得ている。もし彼らとメイド長たちが同じ組織なら、間違いなくメイド長は私を仕留めにスラムまで追いかけてきたはずだ。だが、情報屋の話ではそういう輩は私がスラムに逃げ延びてからの三年間で一度も現れていない。おそらく王都の反貴族派のみで構成されていた私の敵と違って、ソルを攫った奴らはもっとスラム寄りの集団だった。
彼らはスラムの人間を幸福にするためにソルを連れ去ったのだ。彼らは本気で、王都の人間から幸福を奪い取れば自分が幸せになれると信じている。そしてその考えを暴力の嵐の中で何度も吹き込まれ続けたソルもまた、それを真実だと思い込むようになっていた。
ソルはあまりに傷つきすぎたのだと思う。あの出来事は、何も知らない純粋な少年を歪めるには十分過ぎた。かつては誰にでも優しかったはずのソルは、もうそうではなくなっていたのだ。彼は私以外誰も信じなくなった。私に依存して、価値観の中心に私を置いたんだ。私を幸せにするためには、何人傷つけても気にしない。幸せは他人から奪わなければ手に入らないものなのだから、仕方ないだろうと笑うんだ。
本当は、どこかでちゃんと話すべきだったんだと思う。そうじゃないだろう、私のために誰かを傷つけるお前は見たくない、幸せは他人から奪い取るものなんかじゃないんだ、と。でも、言えなかった。
私は三年間、独りぼっちだったんだ。情報屋はたまに助けてくれるけれど、一定の距離をいつも取られていた。ソルみたいに、側にいてくれる人はいなかったんだ。だから、ソルが私のことだけを見て、私のことだけ考えてくれるのが、嬉しくて仕方がなかった。
誰にでも優しく光を与える太陽が自分だけのものになる。そう気付いてしまったら、墜ちてきた太陽を空に還してやることができなくなった。
だから、あいつがお前たちにあんな態度を取ったのは私のせいだ。あいつを嫌わないでやってくれ。頼む。
※※※
「嫌うなんて、そんな……。ソルが私たちを遠ざけたのは、私たちに幸せを奪われると思っているからなのね」
沈痛な面持ちでランはため息をついた。自分が想像していたよりずっと悲惨な二人のこれまでの人生を知って、彼女は後悔でいっぱいだった。もっと早く迎えに来るべきだった、と。
「そういえばさ、ここ、君とソル以外にもう一人誰かいるんでしょ? キティ、だっけ。何者?」
落ち込むランを珍しく心配そうに伺いながら、ブラッディが尋ねる。
「ああ、彼女の紹介をしていなかったな。彼女はスラム出身で、本当は東地区の娼館で娼婦になるはずだったんだが……。自力で逃げ出してきて、私たちの縄張りで捕まりそうになっていたところをソルが助けた」
ベルはその日のことを思い出して二人に語った。ベルが動くよりはやく彼女を救いに向かったソルは、自分で自分が信じられないという顔をしていた。彼の考える通りこの世界の幸福の総数は決まっているというのなら、不幸な人間に手を差し伸べれば自分の幸福の取り分は減る。矛盾した行動を取った理由が、ソルは自分自身よくわからなかったらしい。
「ソルのどこかには、昔のような優しい心が残っているんだと思う。キティはその象徴だと思うんだ。あいつがキティに優しくしてやっているうちは、きっと大丈夫。でも、もしあいつがキティをないがしろにし始めることがあったら……私が、あいつを止めてやらなければならないと思う」
三人の間に重苦しい沈黙が流れた。ランは二人に軽々しく王都に帰ろう、とは言えない現状をどうしたものか、打開策が浮かばず頭を抱えている。ブラッディは話の途中に出てきた情報屋の名前をもう一度確認してから、何やら険しい顔で机をイライラと叩き続けていた。ベルは先の見えない未来への漠然とした不安に打ちのめされてため息をつく。最初に沈黙に耐えられなくなったのはブラッディだった。
「あー! なんかもう、うっざ! 行動しなきゃ何も始まらないよね? ソルが頭おかしくなったことは今考えてもどうにもなんないんだから、とりあえず解決できるところからどうにかしない?」
「頭がおかしいって、あいつを侮辱するなら許さ」
「緋色の王様って奴を見つけない限り、ベルは王都に戻ってくる気はないんでしょ? じゃあ探しに行こう」
抗議の声を遮られてベルは不服そうに眉間にシワを寄せた。しばらく反論の糸口を探してわなわなと震えていたが、ブラッディの提案は至極まともだったので何も言えず、がっくり肩を落として頷いた。
「その通りだな……」
ベルは床に散乱した瓦礫の中からスラムの地図を取り出してきて広げる。その地図はかつてスラムが普通の市街地だった頃に書かれた古いものだったが、廃墟の下敷きになっていたにしては保存状態が良かった。ベルは地図を指差しながら説明する。
「私たちがいるのはこの中心部だ。屋敷のすぐ外に広場があっただろう。あれがこれだ。そして、お前たちのいた王都は西側にある。
王都とスラムは城壁で区切られていて、一部の闇商人たち以外は出入りの方法を知らない。
西地区は昔そこを縄張りにしている奴が他の人間を皆殺しにしたことがあるらしくて、それ以降ほとんど誰も近寄らない。
東地区は王都につながる街道に近いこともあって、中央部よりマシな暮らしをしている奴らが多い。その代わり、人の心は腐っているが」
「なるほど。じゃあ、西地区に行こう」
あっさりと言ってのけたブラッディにランが目を丸くした。
「誰も近づかないって言ってたじゃない! それに、私たちが走って逃げてきたのも西地区ってことよね? あんな危険な場所、行くべきじゃないわ!」
彼女は大量のネズミに追いかけられたことを思い出して身震いする。もう二度とあんな経験をするのはごめんだった。
「危険そうだってことは、何かあるってことじゃない? ここで暮らしているベルが緋色の王様について何も知らないなら、西地区に関係があると僕は思うんだけど」
「確かに、西地区のことは何も知らないんだ。西地区にもともといたというやつらに話を聞いても、あれには関わるべきじゃ……ない、って……」
言いながら、ベルはあることに思い当たる。西地区に関わるなと言った人々の言い方は、緋色の王様に関わるなと言ったニックの言い方によく似ていた。
「間違いない、西地区が怪しい! こうなったら、今すぐ調べに行こう」
「ええ!?」
「ランはお留守番しててもいいよ」
小馬鹿にしたようなブラッディの言い草に、ランは慌てて首を振った。
「いいえ! 私も行くわ!」
三人は勢いよく西地区に向けて飛び出していく。物陰から、ソルとキティがこっそりその後ろ姿を覗いていたことに気づかないままで。
「ソル。あたしたち、置いてかれちゃったみたいだよ?」
不安げな顔でソルにすがりつくキティの頭を優しく撫でながら、ソルはギラギラと光る金色の瞳で彼らの消えた方向を睨みつける。
「大丈夫。ベルは必ず取り戻すよ。あんな奴らなんかにベルを渡すものか! 行くよキティ、あいつらを追いかけなくちゃ」
怖い顔をするソルに、キティは消えそうな声で問いかけた。
「ねえ、本当にあいつらって悪いやつなの? ベルは悪いやつをここに連れてきたりしないんじゃないかな」
そんなキティに、ソルは太陽のように輝く笑顔で微笑みかける。それは優しく温かな笑みというよりは、世界を焼き尽くせそうなほどに激しく鋭い笑顔だったけれど。
「ベルを俺たちから引き離そうとする奴らなんだから、悪いやつに決まってるだろ? キティは何も知らないから不安になるだけだ。俺の言うことを聞いていれば大丈夫」
「そう、だよね……」
キティが泣きそうな顔で頷く姿を、ソルはもう見ていない。今のソルはベルを追いかけることしか頭にないのだとわかって、キティは涙をこらえて歩き出した彼の後を必死に追いかけるのだった。
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