幕間 秘密のお茶会にて 〜これまでの《願い》の軌跡〜

 ダンと金髪の男はスラムの廃墟の一室にティーテーブルとティーセットを持ち込んで、優雅にティータイムを楽しんでいた。抜け落ちた天井から差し込む木漏れ日が優しく二人を照らしている。


「それで、私がいない間にここでは何が起こっていたんだい?」


 人の良い笑顔を浮かべながら金髪の男はダンに問いかけた。その問いに、ダンはいつも右手に持っている本をテーブルの上で広げてみせる。そのページは白紙で何も書かれていなかった。しかし、そこから光が放たれて、蜃気楼のような映像が浮かび上がってくる。本がダンたちに見せたのは荒廃したスラムの光景。


「長い間、このスラムは衰退の一途を辿っていました。王都と城壁で隔てられ打ち捨てられたこの場所には希望はなく、やがて人々は願うことを忘れていった。ですが、彼が現れたことでスラムの様子が一変しました」


 ダンの語りに呼応するかのように、本は一人の青年の姿を映し出す。その青年は血のように真っ赤な髪と瞳が印象的だった。


「スラムで生まれ、唯一の肉親だった姉だけを頼りに生きてきた彼は、姉に捨てられたことで想像を絶するほどの強い願いを抱くようになりました。


王都にいる姉と再会することを願った彼は《触れたいと思ったもの以外の全てをすり抜ける》力を得てスラムの支配者となり、《緋色の王様》と呼ばれるようになります。そして彼はその力を使って城壁の向こうへ行き、姉の息子である少年を攫ってしまいました」


 次に本が映し出したのは、夜空を思わせる紺色の髪に長い前髪で真っ赤な左目を隠した青年。


「母親にニックと名付けられた少年は自分を攫った緋色の王様を憎みながらも、心に深い傷を負って苦しむ王様を見捨てることが出来なかったのです。彼は王様を殺すために、王様の願いを叶える手伝いをすることを約束しました。


 そして二人はスラムで打ち捨てられた子供達を拾い集めることで願いを叶えようとしています。願いを集めることで、緋色の王様の《神様》は力を得るからでしょうね」

「《神様》か……。あの子はそんなものじゃないのにね」

「貴方だって昔は神と間違えられていたでしょう。今じゃ忘れ去られていますがね」

「神だと崇められるのは嫌だけど、忘れ去られるのも悲しいよ。スラムの人々がもっと私を必要としてくれればいいのに」

「はいはいそうですか。続きをお話ししてもよろしいですか?」

「すまないね。続けてくれ」


 ダンはため息をつくと、本のページをめくった。次に現れたのは、長い黒髪に紫色の瞳をした、どこか悲しげな少年。その後ろには太陽を思わせる輝く金髪の少年と、豊満な胸元と対照的に幼さを残した顔つきの少女の姿も映し出されていた。


「ついこの間のことです。王様とニックの元から、一人の少年が逃げ出しました。彼は逃げ切ることこそ叶いませんでしたが、《緋色の王様を止めて》という願いをある少年に託しました。ベルモンド・シュテルンツェルトという少年です。


 彼は元々王都で暮らしていた大貴族の跡取りでしたが、権力争いに巻き込まれて家族を失いこのスラムに追いやられました。彼は同じように元貴族だったものの攫われてスラムに連れてこられた少年、ソル・ルスとソルを慕う少女、キティとともにスラムで必死に生きていました。ですが、緋色の王様に近づこうとしている今、彼らの命も危ういかもしれませんね」


 金髪の男はベルモンドという少年の姿を見てどこか懐かしそうに目を細める。


「シュテルンツェルト、か」

「貴方、シュテルンツェルト家の人間のことが好きでしたもんねえ? 彼以外は皆殺しになりましたよ。悲しいですか?」

「そりゃあ悲しいとも。せめて、彼のことだけは助けてやりたいが。今の私は願いが足りないから何もしてあげられない」

「そうですか」


 辛そうな表情を浮かべる男を興味なさげに一瞥してダンはまた本のページをめくった。今度は藤紫色の髪の少女とフードで顔を隠した少年が現れる。


「シュテルンツェルト家、ルス家はレイン家と並んでこの国の建国時に多大な貢献をした大貴族とされています。ですから王家とも深い親交がありました。


 この国の姫君、ランは幼馴染だったベルとソルを探すため、スラムに向かうことを決意します。彼女とともにスラムにやってきた少年、ブラッディ・レインは彼女のために、とついてきたように見せかけていますが、本当のところはどうなんでしょうかねえ」

「どういうことだい?」


 首をかしげる金髪の男にダンは肩をすくめてみせた。


「彼は自分の髪と瞳の色を隠しています。もし皆があの色を見てしまえば、きっと色々楽しいことが起こるでしょうねえ。そして、彼はある手紙を持っています。彼らがスラムにやってくることが出来たのは城で厳粛に葬儀が行われていたからでしたが、あの手紙はあの日死んだ誰かからのものでしょうね」

「なるほどね……」


 考え込む男をよそに、ダンは続きを語り始める。


「私が手引きして差し上げたこともあり、二人は無事スラムに来ることができました。そしてベルとソル、二人との再会を果たしたわけですが、なかなか話は簡単にはいかなそうですねえ。王都とスラムには決して通り抜けられない城壁がある。それと同じように、十年も離れていた四人の間にも埋められない溝があるようですから」

「彼らの歩む道のりは平坦ではないということか。何もしてあげられない自分が不甲斐ないよ……」


 金髪の男はうつむき悲しそうに目を伏せた。それを見て、ダンはなぜかおかしそうに笑う。


「ふふふ、悲しむことなんかないですよ。この世界では《願い》こそが力なのですから。緋色の王様か、ベルか、ランか、それとも他の誰かなのか。いずれにしても、最後まで強く願った人間が願いを叶えるのです。私たちが一番よく知っていることでしょう?」


 その言葉に、男もまた頷き微笑んだ。それはどんな人間でさえも虜にしてしまいそうな、魅力的で優しい笑顔だった。


「そうだね。いつだって、決めるのは人間たちだ。私たちは見守るしかない。彼らの願いの行方をね」

「おや、私はただ見守るつもりなんかありませんよ。私は全てを知りたいですから、色々引っ掻き回させていただきます。邪魔しないでくださいね」

「分かっているよ」


 ダンに釘を刺されて苦笑しながら、彼は空を仰ぎ見る。吸い込まれそうなほど青い空に向かって、彼はささやかな願いを口にした。


「皆が幸せになれる結末に、彼らがたどり着けますように」


 テーブルの上の白紙の本が、パタリと音を立ててひとりでに閉じた。

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