第2章 地に墜ちた太陽はやがて世界を焼き尽くす
第8話 幸せの足し引き計算
「いいかい、よく覚えておくんだよ」
幼かったある日、父は優しく、けれど真剣に教えてくれた。
「私たちシュテルンツェルト家は夜を支配する一族だ。そしてルス家は昼を守る一族なんだよ。この世界には昼と夜があるからこそ、数多の命が幸せに生きていけるんだ。だから、ルス家のご子息とは仲良くしなさいね」
そう言われて、ルス家の少年の姿を思い浮かべる。キラキラと輝く金色の髪、強くて明るい性格。ああ、彼はまるで……。
「ソルは、おひさまみたいなんだよ。ぼく、あのこがすきだなあ」
それを聞いて、父は安心したように微笑んだ。
「確かにあの子は太陽みたいな子だね。あの子が好きなら、あの子が空で輝き続けていられるように支えてあげなさい」
父の言う意味をあの頃はちゃんと理解していなかったと今になって思う。もしも太陽が空から墜とされてしまったらどうなるか、多分父は知っていたのだ。
地に墜ちた太陽はやがて世界を焼き尽くす。そうだと分かっていても彼を空に帰してあげられなかった自分こそ、最も許されざる罪人なのかもしれなかった。
※※※
「ベル! なんでこいつら連れて来たんだよ!? 早く、早く追い出さなきゃ」
「ソル、落ち着け。話を聞け! 仕方がなかったんだ、彼らはネズミの大群に襲われていたんだよ。助けなければどうなっていたか分からなかった」
激昂するソルをベルが必死になだめる。助けた、と聞いてソルは一旦怒りを収めた。
「助けなければ良かったのに。でも、そういうの放っておけないところはベルらしいというか……」
彼はしばらくイライラと頭をかき乱していたが、やがてため息をついて踵を返す。
「なるべく早く追い出してくれよ。絶対俺とキティにそいつら近づけないで」
「分かった」
ボロボロの屋敷の奥に消えていくソルの背中をベルは悲しげに見送った。呆然とするランと興味なさげなブラッディに向き直って申し訳なさそうな顔をする。
「驚かせてしまってすまない。お前たちの知っているあいつとはだいぶ違っただろう? お前たちが悪いわけじゃないんだ。あいつは私とキティ以外の人間にはいつもああいう感じだから」
いつも、と聞いてランは混乱した。彼女の知るソルは誰にでも明るく優しい太陽のような少年だったはずだ。それが、あんな憎しみのこもった瞳で他人を拒絶するような人間に成り果ててしまっただなんて。
「一体、貴方達に何があったの……!?」
ショックを受けるランに、ベルは困った顔をした。ランは気づかなかったが、ブラッディはその表情からわずかに警戒の色を読み取っていた。彼はさりげなくベルとランの間に割り込むようにランの肩に手を置く。
「それは話すと長くなるんだが……まずはお前達がなぜここにいるのかを教えてもらえないだろうか?」
「私たちは……」
「待って」
ベルの問いに答えようとしたランをブラッディが止めた。首をかしげるランに耳元で囁く。
「僕に任せて」
そしてブラッディはランの了承を待つことなく前に出た。
「僕たちは君たちを迎えに来たんだ。ここ数年、ランは必死に君たちの行方を捜していたんだよ。国中捜しても見つけられなくて、だから最後の可能性にかけて彼女自らここまで捜しに来たんだ」
「どうやって城壁を超えた? ここに来ることは例外なく禁止されているはずだ。不法なルートを使わない限りは来られないだろう」
「ダンとかいう闇商人に依頼したんだ。というか、あちらから話を持ちかけて来た」
それを聞いてベルの表情が一変する。
「その男は右手に分厚い本を持っていたか? 若者なのか老人なのか分からないような印象を受けた?」
「……もしかして、君の友達だった?」
深刻な顔で問い詰められたブラッディが恐る恐る確認すれば、ベルは心底嫌そうに顔をしかめた。
「冗談じゃない。あんな怪しい男など知るものか! だが、あいつは数日前に私たちの前に現れていてね。私たちに近づいて来た理由が分からなかったから警戒していたのだが、君たちをここに連れて来たのならますます怪しいな」
それを聞いてランがブラッディに詰め寄る。
「ほら! だから言ったじゃない、危ない人に関わってはいけないわって」
「そんなこと言ってたらここまで来られなかっただろ? 王都でのほほんと暮らしてたかったんなら勝手にやってればよかったじゃんか」
「貴方って本当に失礼よね!」
「何、ここまで連れて来てやったのになんか文句あるわけ? ネズミの群れに放り投げてやれば良かったかな」
「なんですって!?」
目の前で突如始まった修羅場にベルは目をパチクリさせた。二人の様子はあまりに賑やかで生き生きとしていて、見ているうちに思わず笑顔になってしまう。
「ふふふふふ」
ランとブラッディは笑われていることに気づいてバツが悪くなったのか、慌てて互いに一歩離れた。しばらくベルは笑い続けて、二人は不服そうに黙り込んでいたのだが。ふとブラッディが何かに思い当たったという顔をした。
「ダンってやつを知ってるんだったら、もしかして緋色の王様って人のことも知ってたり……」
その続きをブラッディは口にすることができなかった。ベルの周囲の空気がまるで凍りついたように一変したからだ。ついさっきまでの笑みはすっかり消え失せて、その瞳には動揺の色がありありと浮かんでいた。
「どこでその言葉を聞いたんだ!?」
問い詰めるベルの気迫に圧倒されてブラッディは口をパクパクさせて驚きを露わにする。その言葉に聞き覚えもないランはそんな二人をおろおろと見つめるばかりだった。
※※※
「あ、ソル! 見て、これあたしが書いた字! とってもうまく書けてると思わない?」
埃や塵まみれの床に枝で字を書いて、キティはベルたちの元から戻ってきたソルに自慢げな笑顔を向けた。そこにあった到底読めそうもないミミズがのたくったような文字を見て、それでもソルは優しく彼女を抱きしめる。
「とても上達したな、キティ。素晴らしいよ」
スラム生まれで一切の教養がない彼女に勉学を教え始めたのはいつ頃だっただろうか。キティは中々出来の悪い生徒だったが、その真剣さは疑いようもなかった。
「じゃあ、今日は大事な話をしようか」
「なになに?」
無邪気な瞳を彼に向ける少女に、ソルはどこか熱に浮かされたような調子で語り始める。
「足し算とか引き算のこと、この間教えたよな? あれによく似た話だよ。この世界の真理についてだ」
「シンリ?」
首をかしげるキティに構うことなくソルは続けた。
「この世界には、幸せの総数が決まっているんだよ」
「そうすう?」
「そう。だから、人は幸せを奪い合う。他人から奪わない限り、自分の幸せは増えないんだ。俺たちは壁の向こうの奴らに幸せを独り占めされてる。だから、いつか取り戻さないといけないんだよ」
夢見るように語るソルの金髪が、太陽の光に照らされてギラギラと輝いて。それがなぜか少し恐ろしくて、キティはその恐怖を誤魔化すように彼の胸に飛び込んだのだった。頭の中で必死に、幸せの足し算と引き算を考えながら。
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