第2話 葬いには真っ赤なりんごを

「なんで五つしかもらわなかったんだよ?」


 真っ暗な新月の夜の中、小さな灯りの光だけを頼りにして三人は縄張りのあるスラムの中心部に戻って来ていた。かつてスラムが豊かな街だった頃のこの辺りは一番栄えた賑やかな場所だったらしいが、今は瓦礫だらけで人気もない。廃墟の街並みの中でも一番大きくて目立つ石造りの屋敷の廃墟こそ、三人の暮らす隠れ家だった。


「あの男が誰かも、何のために私たちにりんごを与えたのかも分からないんだ。必要以上の報酬を受け取るべきではなかった」


 屋根も二階の床も抜け落ちてしまっている屋敷の門をくぐりながら、ベルはソルの文句に反論した。三人が門をくぐる瞬間、門が淡い水色の光を放つ。その光は、門と石塀で隔てられた向こうの領域に許可なき者が侵入できないよう結界が張られていることを示していた。


「でも、俺たちが食べる分くらいもらったって良かっただろ? 五つもあるのに何で一つも食べちゃいけないんだよ?」

「ソル、ダメだよ。ベルはいつもあたしたちのことを考えてくれてるんだから」

「それは分かってるけど!」


 キティがソルをなだめるが、ソルの不服そうな表情は変わらない。ベルはそんな彼の様子を大して気にすることもなく、風の吹きさらす屋敷の奥へと進み、かつて中庭だった庭園の跡地に向かった。


 この屋敷に貴族が住んでいた頃は美しい木々や花に彩られていたのだろう中庭は、もはやただのだだっ広い荒野のようになっている。その荒れ野の中心に、大きなガラスの欠片が突き刺してあった。そのガラス片は、彼らに用意出来る一番立派な墓標の代わりだった。


「俺が納得できないのは、なんでそいつにりんごを一つやらなきゃいけないのかってことだ。なあベル、分かってるか? 死人はりんごを食べたりしない」

「知っている」

「じゃあなんで!」


 怒鳴るソルに、ベルは黙って首を振った。墓の前にしゃがみ込んで懐からりんごを取り出すと、ガラス片の隣にそっと置いて彼は目を閉じた。その背中がこれ以上の反論は許さないと告げているのが分かって、ソルはイライラしながらも黙り込む。しばらく祈りを捧げてから、ベルはガラス片を撫でて静かに語った。


「私は人の死を悼むことの出来る人間でいたいんだ。こうやってりんごを捧げて、《彼》のために祈ってやれる人間でいたい。もし私が《彼》にそうしてやったなら……私がいつか死んだ時、誰かもこうして悼んでくれるかもしれないだろう? だから、これはただの浅ましい自己満足だ。お前たちを付き合わせてしまって悪かった。お前たちの分の食べ物はどうにか手に入れてくるから」


 その言葉に、ソルはあー! と叫ぶと美しい金髪をわしゃわしゃと掻き乱す。それからベルの隣にしゃがみ込んで目を閉じた。それを見たキティもソルの真似をする。


「ソル……キティ……」

「言っておくけど、俺はベルの死を悼んだりしないからな」


 ソルは目を閉じたまま不機嫌そうに言い放った。そんなソルをフォローするように、キティが優しく言葉を添える。


「ソルが言いたいのは、自分が生きているうちは何があってもベルを守ってみせるってことだよね」

「……っ! おいキティ、適当なこと言うなよ!」

「キャッ!? ちょっと、何すんのさ! あっち行って!」


 祈りを捧げていたソルの顔がみるみるうちに真っ赤になった。死者を悼んでいたことなどすっかり忘れて、キティに飛びかかる。そのまま二人は取っ組み合いのケンカに発展していたが、二人の親密な関係を十分理解しているベルは子猫のじゃれあいを見守るように微笑ましい視線を向けるだけだった。


「うるさくてすまないな」


 ガラスの墓標の下に眠る《彼》に向かって、ベルは優しく呟く。


「君の願いは必ず叶えてみせるから。どうか安らかに、眠ってくれ」

 

 そんな彼の言葉に喜ぶかのように、ふわりと夜風が中庭を吹き過ぎた。先ほどまで闇商人に追いかけられていたとは思えないほど、穏やかな夜だった。


「それにしても……」


 ひとときの幸せに包まれながら、ベルはふっとため息をつく。


「緋色の王様って誰なんだ……?」


 その瞬間、優しかった夜風がヒュンと冷たく通り過ぎていった。



※※※



「いやあああああああ! ソル、ソルっ! ネ、ネズミがいっぱいいるよ……!」

「キティ落ち着けって! 俺が守ってやるから大丈夫! ほらおいで」


 足元を数えきれないほどのドブネズミが走り去っていくのを見て、キティは涙目でソルにすがりついた。そんな彼女をお姫様抱っこして歩くソルは王子様のようだったが、残念ながらここは立派な王城への道ではなく腐臭のただよう廃棄物集積所。スラム一帯が廃れるより前からゴミ溜め場だったそこは、今では人の死体さえ無造作に投げ捨てられるスラムで最も汚染された場所と化していた。


「あいつ、なんでこんな所にいるんだろうな? あいつなら誰の縄張りでも受け入れられる気がするんだけど」

「さあな、ゴミ溜めが好きなんじゃないか? あいつ趣味悪いし」


 ソルの疑問にベルは心底どうでも良さそうに答える。その両手には四つのりんごが抱えられていた。ベルの適当な声を聞いて、ゴミ溜めの奥から怒鳴り声が飛んでくる。


「んなわけねえだろ、適当なこと言ってんじゃねえよ」


 その声のした方に向かってベルは思いっきり振りかぶるとりんごを投げつけた。真っ赤なりんごは美しい放物線を描いて、ゴツンと誰かにぶち当たった。


「いってぇ!」

「「ひど……」」


 りんごに乗せられた殺意の強さに、ソルとキティが揃って唖然とする。ベルは涼しい顔でりんごの飛んで行った方向に歩いていった。


「りんごは好きだろう?」


 美しく微笑むベルに覗き込まれて、投げつけられたりんごの衝撃に倒れこんだゴミ溜めの主は赤い瞳で彼を睨みつけた。


「調子に乗りやがって。いつか覚えとけよ」

「はいはい」


 寝転ぶ男の真上から、ベルが残りの三つのりんごをぼとぼと落とす。


「うっわ!?」


 男は慌てて起き上がった。転がるりんごを拾い集める男の姿をベルは爆笑しながら見つめる。その様子は悪戯を仕掛けて気をひこうとする子供のようで、ソルとキティに見せる姿とは違っていた。


「久しぶりだな、ニック」

「お前、俺で遊ぶのいい加減やめない?」

「お前が面白いのがいけないんだ」

「すっかり生意気になりやがって」


 ニックはわざとらしくため息をつくと、ニヤリとあくどい笑みを浮かべる。


「で、今日はこの情報屋になんの用だ?」


 後に、ベルは何度も後悔することになる。時間を巻き戻して、その質問をする前に戻れたら、と。だが、どんな魔法を使っても時間を戻すことは出来ない。彼は確かにこの時、その問いを口にしてしまったのだった。


「緋色の王様とは、誰のことなんだ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る