第26話 王様の願い
「あんたはなにがしたいの?」
まだこの教会に王様と俺しかいなかった遠い昔に、何度もそんなことを問いかけた。理解できなかったからだ。母上に——王様にとってはたった一人の姉に——捨てられたから、彼女を憎む。それは分かる。憎いから、彼女の幸せを奪う。まあ、それも百歩譲って理解しよう。
分からないのは、なぜ彼が憎い姉の息子である俺に執着するのか、だ。
「あんたは、おれをふこうにしたかったんじゃないの?」
「そうだよ。母親の元から引き離されて、君は今不幸でしょう?」
まだ小さかった俺を抱き枕がわりにしながら、ボロボロの教会の床に寝転がって王様は笑う。そう言われて、あの頃の俺は戸惑った。確かに自分は不幸なはずなのに、どこにもいかせないと言わんばかりに強く抱きしめてくる王様の温もりは、優しくて温かいから。
「そうかもしれないけど。なんで、おれにやさしくするの。なんで、ころさないの。おれがしんだら、ははうえはもっとふこうになるよ。あんたは、そうなったらいいとおもってるんじゃないの?」
そう聞けば、王様は泣きそうな顔をした。それ以上俺に表情を見られないように、自分の胸に俺を押し付ける。その力は強かったけれど、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめるような仕草だったから、嫌な気分にはならなかった。
「君はあったかいなあ」
はぐらかされたことには気づいていたけれど、教会に入り込む隙間風も気にならないくらい温かかったのは本当だったから。馬鹿みたいだけど、これは幸せなんじゃないかと錯覚してしまって。そのまま気づけば寝てしまったのだった。
あの時、その答えを聞けていれば。何かが違っていたんだろうか?
「王様。教えてください」
《神様》にひどくいたぶられて、疲れ切って眠ってしまった王様の寝顔に問いかける。その寝顔は辛そうで、苦しそうで、寂しそうで。あの頃よりずっと、王様の願いの成就には近づいているはずなのに。王様がちっとも幸せに見えないのはどうして?
「俺、決めたんです。貴方は俺から何もかも奪ったひどい人だけど。空っぽになった俺の中に、貴方の都合のいいものばかり詰め込んで出来上がったのが今の俺だから。貴方をこれ以上憎んだりできません。貴方を殺すためだけに生きてきたはずだけど、もうそんなこと出来ないんです。
だから、貴方のためだけに生きます。貴方の願いを叶えたいんです。そのためなら、何を犠牲にしたっていい」
だから。だからこそ、知りたいのです。
「貴方の願いはなんですか? あの《神様》に王都を破壊してもらうことが、本当に貴方の願いですか?」
眠る王様から、答えが返ってくることはない。そんなことは分かっていた。今まで自分たちがしてきたことは全部間違いだったんじゃないかとは思いたくなくて、だから答えを聞くのが怖い。今更後戻りはできないほどに、数え切れない命と願いが踏み潰されたのだ。
もはや《神様》は王様でさえ手が付けられない存在と化している。もう悲劇を止められないというのなら、せめて。願いを叶える代償は、自分も一緒に払いたい。あの人と同じ罪でこの手を汚したいのだ。
足元でネズミが鳴く。それは情報屋の縄張りに侵入者が現れたと知らせてきた。ベルと、王都からきた少年、少女。
「ほらな、やっぱり後悔した」
ベルを助けた瞬間から、こんな日が来ると分かっていた。だからこれは自業自得。彼には悪いけれど、拾った小鳥は最後まで面倒を見なければ。
最期まで。
「待っていてください。貴方の願いを叶えるために、一仕事してきますから」
苦しげに眠る王様の頭を撫でてやれば、ほんの少しだけその表情が和らいだ気がした。
※※※
「ニック!」
フードを目深に被って髪と瞳を隠したブラッディに肩を貸してもらいながら、ベルは情報屋の縄張りである廃棄物集積所にたどり着いた。そこかしこをドブネズミが走り回るのを見て、ランは何度も小さく悲鳴をあげる。
「ネ、ネズミがたくさん、いるのね」
「心なしか、いつもより多い気がする」
「ええ! もしかしてこのネズミって、私たちが最初にスラムで追いかけられたあの……?」
ランがトラウマになりかけた嫌な過去を思い出したそのとき。
「ベル」
積み上げられたゴミの山の一つに、ニックがふわりと現れた。どこか頼りなく幽鬼のようなニックの佇まいを見て、ベルは眉をひそめる。
「教えてくれ。ここで何が起きている? ソルとキティが隠れ家を出ていったきり帰ってこないんだ。私たちも西地区で化け物に追いかけられたし……お前も普段通りには見えない。何があった?」
ブラッディから離れて、まだ少しふらつく足でベルはゆっくりニックに近づく。ゴミ山の頂上から飛び降りてきたニックは無表情でそんなベルを見つめていた。
「お前たち、《緋色の王様》を探してたよな? 彼の願いが叶う日が、もう目前に迫ってるんだ。だから、沢山の願いが贄にされてる」
「そんな……!」
それは一体どういう意味だ、とベルがニックに詰め寄ろうとしたその時だった。ブラッディは、ニックの手元がきらりと光るのを見た。
「ベル、そいつに近づいちゃダメ!」
同時に、聞き覚えのある少女の叫び声が響き渡る。ブラッディはそれを聞くか聞かないかのうちに、とっさに走り出していた。懐に忍ばせていたナイフを取り出しながら。
キーン!
金属がぶつかり合う鋭い音が響く。突然強く押されてその場に倒れたベルの目の前で、ナイフとナイフがぶつかり合っていた。ブラッディがベルを押し倒し、切りつけてきたニックのナイフを受け止めていたのだった。
「ベル!」
振り返れば、そこにはキティの姿があった。
「キティ!?」
「怪我は!?」
「ないが、これは一体……!?」
突然ニックに殺されかかったかと思えば、探していたキティが目の前に現れて、ベルが混乱したそのとき。
「うわっ!」
ニックのナイフを受け止めていたブラッディが押し負けた。咄嗟に彼は後方へ飛び、追撃を免れたが。その際にフードが外れて、その赤い髪と瞳があらわになった。それを見た瞬間、ニックの手からナイフが滑り落ちる。目を見開くニックを見て、ブラッディは不敵に笑った。
「ああ、もしかしてこの顔、見覚えある?」
ベルとランにはなんのことかわからなかったが、キティもニックに負けず劣らず驚いた顔をしていた。ニックはもはや全身が震えるのを抑えきれず、その場に膝をつく。
「じゃあやっぱり、あんたがニックか。ニコラス・レイン。この国の三大貴族、レイン家の長男。十七年前に連れ去られ、行方不明になった、僕のお兄ちゃん」
「は……!?」
お兄ちゃん、と言われてニックは絶句する。彼には弟などいなかったが、目の前の少年の言葉が嘘ではないことははっきりしていた。真っ赤な髪と瞳、自分の母親と、その弟である王様、どちらにもよく似た顔。
「初めまして、お兄ちゃん。僕の名前はブラッディ・レイン。王都からはるばる、親愛なるお兄ちゃんを殺しにきたよ」
王様によく似た無邪気な笑顔で、ブラッディは微笑んだ。その手に、新しく懐から取り出した短剣を輝かせながら。
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