第27話 とっておきの悲劇の舞台

「俺の……弟?」


 ニックは目の前で笑う少年の姿を、呆然と見つめることしかできなかった。その顔は母にも、彼女の弟である王様にも似すぎている。


「お兄ちゃんが攫われてから、レイン家は跡継ぎに困っちゃって。だから、代わりにもう一人子供を作ったんだよ。それが僕。僕はレイン家の次期当主として、それはそれは大切に育てられる——はずだったんだけどね?」


 ゆっくりとニックに近づきながら、自嘲気味に笑ってブラッディは語った。自分のこれまでの散々な人生を。


「お母様は僕が生まれた時に、心の病気を患ってしまってね。僕が成長すればするほど、病気は悪化していった。僕がみるみるうちに、自分の弟そっくりになっていくから」


 ニックは必死で自分に言い聞かせた。何をしている、こんな戯言に付き合っている暇などない。《神様》を完全体にするために、ベルを殺してしまわなければいけないのに。けれど、ニックは動けなかった。それは王様がずっと知りたがっていた彼の姉についての、一つの真実だったから。


「僕が物心つく頃には、お母様の心は完全に崩壊してた。彼女は弟そっくりに育った僕を、息子ではなく弟だと思い込むようになった。お母様は僕に名前を付けてくれなかったし、一度だって呼んでもくれなかったんだよ。ひどい話だと思わない? 


 僕に名前をつけてくれたのはお父様なんだけど、お父様も僕のこと直視できないみたいでさ。僕の名前だって、この髪と瞳の赤が血の色にしか見えないから付けたんだよ。いつかの誕生日の夜、お父様に泣きながら謝られたっけな。自分のせいだってお父様は泣いてたけど、何がお父様のせいだったのか、僕にはよく分かんなかったなあ」


 手から滑り落ちたナイフをニックは拾うこともしない。代わりに、彼のすぐ近くまで迫っていたブラッディがそれを拾い上げて投げ捨てた。


「お父様もお母様も、お母様の弟にひどいことしたみたいだった。お母様は錯乱すると何度も僕を弟の名前で呼んで泣きながら謝るんだ。僕は弟じゃないって何回言っても分かってくれなかったなあ」


 あまりに悲しいブラッディの過去に、その場に座り込んだままのベルも、彼に駆け寄ったキティも悲痛な顔でうつむくことしか出来なかった。ランはずっと近くにいたはずのブラッディがひどい境遇にあったと改めて聞いて、ポロポロ涙をこぼしている。誰も、兄に凶刃を向けて近づいていく彼を止めようとすることが出来なかった。


「それでさ、お母様は僕のことにはちっとも気づいてくれなかったわけだけど。一人息子のニックのことは何度も愛おしそうに語ってたんだよね。お母様の中で、あんたはスラムで慈善活動家になってる設定だったみたいなんだけど。

 僕のことを愛さないお母様から、お兄ちゃんへの愛を何度も何度も語られるのがどんな気持ちだったか、想像できるでしょ?」


 だからさ、とブラッディは笑う。武器を持たず、抵抗する術のない兄に輝く短剣を突きつけながら。


「悪いけど僕に殺されて?」


 それを聞いて、ランは泣きながら叫んだ。彼の悲しみはもっともだが、その憎しみを兄にぶつけるのはあまりに理不尽で意味がない。彼女は大切なブラッディが誰かを傷つけるところを見たくなかった。


「ブラッディ、やめて!」


 そんなランの思いも虚しく、凶刃は振り下ろされる。



※※※



「あ!」


 眠り続ける王様をつまらなそうに見ていた《神様》は、突然楽しそうに声をあげた。乱暴に王様を揺り起こして、催促するように彼の長い赤髪を引っ張る。


「痛い、痛いよ《神様》!」

「痛いって? どういたしまして! そんなことより、早く行かなきゃ! 待ち望んでいた瞬間を見逃しちゃうよ!」


 赤い瞳をキラキラさせてはしゃぐ《神様》の様子に、王様は首を傾げた。


「何を見に行くの? 僕、もう少し寝ていたいなあ」

「そうなの? いいのかなあ。キミの大事なあの人、ニックとか言ったっけ? キミが行かないと、あの人殺されちゃうよ?」


 その瞬間、その場の空気が凍りついた。見たこともないほど怖い顔をした王様を見て、《神様》はころころ笑う。


「今すぐ行こう」

「はいはーい!」


 王様は壁も扉も全てすり抜けて、一直線にニックの元を目指して走り出した。王様は彼がどこにいるかなんて知らなかったが、《神様》が先導するまでもなく、なぜか王様は正しい方向へ進んでいく。

 

「面白い人だなあ」


 その後ろ姿を追いかけながら、《神様》は邪悪な笑みを浮かべるのだった。



※※※



「って、言おうと思ってたんだけどさあ」


 振り下ろされた短剣は、ニックの首元の寸前で止められた。ブラッディはため息をつくと、短剣を持つ手をゆっくりと下ろす。


「なんか、スラムに来てから色々あったし、どうでもよくなっちゃった。お母様は僕のこと見てくれてなかったけど、代わりに全国民に愛されたお姫様が僕のこと見ててくれるらしいし。

 冷静に考えると、お兄ちゃんは全然関係なかったよね。お母様が、ニックはああでこうでとても素敵な子なのよ、とかあまりにも言い続けるから、あんたのせいで僕が愛されなかったような気になってたんだけど。実際は誘拐されて無理矢理スラムに連れてこられたわけだし、あんたも十分被害者だったね」


 ヘラヘラ笑いながらあっさりと言ってのけるブラッディに、その場の一同は揃って別の意味で崩れ落ちた。


「ちょっと! 私の涙を返してちょうだい!」

「ごめんごめん、君にそんな泣かれると思ってなかったからさあ」

「本当にブラッディったら……!」


 頰を膨らませるランをなだめながら、ブラッディは懐からあの手紙を取り出す。そして、いまいち状況についていけず呆然としたままのニックに差し出した。


「これは……?」

「お母様から、お兄ちゃん宛の手紙。遺言ってことになるのかもね」


 遺言、とブラッディは告げた瞬間、ニックはぐらりと大地が揺らいだ気がした。手紙を受け取って、なぜか水に濡れたような跡のある宛名の『愛するニック』という文字を見る。その時に見覚えがある、とおもったその瞬間、ひどく左目が疼いて彼は両手でそれを押さえた。両親と過ごした時間を思い出すのが辛すぎて、自分の左目の力で忘れたはずなのに。ずっと思い出すことのなかった母の優しい笑顔が、強く頭に思い浮かんだ。


「遺言?」


 無意識のうちに涙を零しながら、ニックは心ここにあらずといった様子で問いかける。


「母上は、死んだのか?」


 ニックは頭の中で何かが軋む音を聞いた気がした。母が死んだ、ということは、つまり。


「姉さんが、死んだ……?」


 突然誰もいないはずの背後から声がして、ニックは驚き振り返る。今一番そこにいて欲しくなかった人が、震えながらその場に崩れ落ちるのが見えた。


「王様……!」


 ニックが慌てて王様に駆け寄る。ベルはその後ろで場違いなほど楽しそうな笑顔を浮かべる人物に気づき、思わず声をあげた。


「ソル……!?」


 駆け寄ろうとしたベルを、キティが慌てて引き止める。


「キティ?」

「ダメ! あれはソルだけど、ソルじゃないの!」

「はあ!?」


 ソルの姿をした《それ》は、戸惑うベルに気づくと太陽のように輝く笑顔を浮かべた。彼は異常な跳躍力で一気にベルの目の前に飛び込んでくる。そして真っ赤に染まった金色だったはずの瞳でまっすぐにベルを見た。


「ベル、ベル、ベル、ベル! ねえ、ボク、キミのために《神様》と一つになったんだ! 舞台も、役者も、全員集合! わくわくするね、ゾクゾクするでしょう? さあ、これからベルに、とっておきの悲劇を見せてあげるね!」


 明らかにソルではない《それ》に微笑みかけられて、ベルはこれが現実でなければいいと思わずにはいられなかった。

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