第28話 王都に呪いあれ

 確かに、目の前の少年はソルで間違いなかった。だが同時に、明らかにソルではなかった。太陽のように輝いていた金色の瞳は真っ赤に染められている。なにより、話し方がソルとは全く違っていた。


「神様と一つに……? 一体、どういうことだ……!?」


 戸惑うベルに、ソルの姿をした《それ》はニコニコと微笑む。


「ベルは現実逃避が大好きでしょ? それはこの世界が最悪で最低で、どうしようもないからだよね。だったら、ボクが壊してあげる。ぐちゃぐちゃにして、全部ポイッて捨てちゃえば、嫌なものは何にもなくなる。そしたら、ベルは幸せになれるよね!」


 ベルはその言葉に目を見開いた。ソル——あるいは神様というものなのか——はこれからとんでもないことをしようとしている。それも、自分のために。そう気づいて、ベルはソルを説得しようと口を開けた。しかし、彼の声は誰かの絶叫にかき消されて誰にも届かなかった。


「嘘だ!」


 その声の主は、ニックの背後に突然現れた赤い髪の青年だった。その顔を見て、ベルは驚く。泣き叫ぶ青年はブラッディにそっくりだった。


「え……」


 ブラッディもその青年を見て声を失った。彼はこの青年が母の弟だと確信する。確かにここまで似ていたら、おかしくなった母が自分と弟を混同し始めたのも無理はなかったのかもしれない、とブラッディは思わず納得してしまった。


「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 姉さんが死んだ? そんなはずない! だって、姉さんは王都で幸せに暮らしてたはずでしょ? 姉さんだけが幸せになって、僕が不幸なのはおかしいから、だから、ずっと願ってきたのに。姉さんの幸せ、全部ぶち壊してあげるはずなのに……!」

「王様!」


 その場に崩れ落ち狂ったように叫び続ける青年に、ニックが駆け寄る。その呼び名を聞いて、ベルはようやくこの青年が誰だか理解した。《緋色の王様》。死んだあの子が止めて欲しいと願ったのは、彼のことだったのか。だとしたら、この状況はもう既に手遅れなのではないか?


「姉さん、姉さん、ねえ、死んだなんて嘘でしょ? だって僕、まだ聞いてないもん。なんで姉さんが僕を捨てたのか。ニックを連れ去ったあの日、本当は聞けばよかったのかな。でもさ、怖かったんだもん。本当のこと聞いて、僕はいらなかったって言われちゃったら、どうすればいいのかわからなかったんだ! だから、遠回りしてたのに。どれだけ遠回りしたって、姉さんはずっと幸せでい続けるはずでしょ? それなのに、どうして?」


 虚空を見つめて、誰にともなく訴えかける姿はあまりに痛々しくて。狂気の淵に飲まれていく王様の姿を、誰もがただ見つめることしかできなかった。ただ一人、《神様》だけをのぞいて。


「キミのお姉さんが本当に死んだかどうか、見にいけばいいんだよ。キミの邪魔をするものは、全部壊してあげるから! もしかしたら、王都の人間たちにお姉さんは幸せを奪い取られたのかもしれない。いいや、きっとそうだよ!」


 はしゃいだように飛び跳ねながら、《神様》は王様に語りかける。無邪気な笑顔とは裏腹に、憎しみと呪いに満ちた言葉を。


「キミは願うだけでいいんだ。王都の人間に不幸を。キミが彼らから幸せを奪い取れば奪い取るほど、キミの大事なお姉さんは幸せになる。そうしたらお姉さんから幸せを奪い取れるよ! ほら、願って! 世界に不幸を! 王都に呪いあれ!」


 誰かから幸せを奪い取って、姉を幸せにする。姉からその幸せを奪い取るために。誰がどう聞いても全く意味のないその提案は、けれど崩壊の寸前に立たされていた王様にとってはなにより魅力的に聞こえた。


「そう、そうだよね。その通りだよ、《神様》! ずっとそれを願ってきたんだった! 王都の人々から幸せを根こそぎ奪い取るまでは死ねないって決めたんだ。だから、やらなくちゃ。きっと姉さんも喜んでくれるよね?」

「王様、ダメです、こんなの間違ってる! お願いです、どうか、もうこんなことは……!」


 赤い瞳の奥にはっきりと狂気の色を浮かべた王様を見て、ニックは必死に引き止めようとした。けれど、王様には届かない。


「ニックは子供達とお留守番ね。ケーキを焼いておいて欲しいなあ! お祝いにみんなで食べよう。僕の願いが叶った記念日だ!」


 いつも通りの無邪気な笑顔を浮かべて、王様はニックに告げる。ニックは《神様》に歩み寄る王様の腕をつかもうとしたが、彼の手は王様をすり抜けて宙を掴んだだけだった。王様は、《触れたいと思ったもの以外は全てすり抜ける力》を使ってニックを拒絶したのだ。そのことに気づいて、ニックはもう自分の言葉が彼に届かないことを思い知った。


「《神様》、どうか僕の願いを叶えてよ! 今すぐ城壁を壊して、王都をめちゃくちゃにして!」


 涙でぐちゃぐちゃになった、けれども歓喜に満ちた笑顔で、王様は願った。その叫びにはあまりに強い憎悪が込められていて、《神様》は満足そうに笑う。


「叶えてあげる。ボクは《他人の不幸を願った人々の願いそのもの》。キミのために、みんな不幸にしてあげるね。それがキミの、そしてこのスラムで今までずっと願ってきた人々の願いだから! あははははははははは!」


 子供のように無邪気な、それでいて呪いに満ちた笑い声が辺りに響き渡った。その声を聞くだけで、憎悪の波に飲み込まれそうになる。王様以外の全員が、思わず膝をついて頭を抱えた。


「さあ、行こう! 特等席で王都がなくなるところを鑑賞するんだ!」


 《神様》が王様に手を差し伸べる。王様は迷うことなくその手を取った。


「王様、いかないで……!」


 ニックの声は届かない。王様は振り向くことさえしなかった。


「さあ、悲劇の始まりだ!」


 《神様》は空に手をかざす。みるみるうちに空は雲に覆われ、真っ赤な光が《神様》に降り注いだ。それに包まれた《神様》の背中から、真っ黒な翼が生えて。《神様》は王様と手を繋いだまま空に飛び立つ。そしてあっという間にスラムから飛び去ってしまった。二人が消えた方向は間違いなく、王都のある方向。


「ねえ、あれ見て!」


 ランが王都の方角の空を指差せば、真っ赤な光が流星群のように空から降り注いでいた。数えきれないほどの光は王都に落ちているらしく、スラムにいてもひどい爆発音が聞こえる。


「こんな、ことが……」


 ベルは呆然と地面を見つめた。目の前で起きている圧倒的な悲劇を前に、誰もがなす術もなく座り込む。


「もう、終わりだ。なにもかも」


 絶望に満ちた瞳で呟いたニックの言葉が、その場の全員の気持ちを代弁していた。















〜第4章『本当の願いを、見失うな』〜

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る