第22話 終わらないかくれんぼ

 ソルは真っ暗な闇の中で、必死に息を潜めていた。《鬼》の足音がゆっくりと、しかし確実に近づいてくるのが聞こえる。ソルは恐怖のあまり心臓が騒ぐのを必死に抑えようとした。この鼓動の音が聞こえてしまったら、捕まって酷い目に遭う。それだけは何としても避けたかった。


「どこかなあ? ここかなあ? それとも……ここ?」


 《鬼》はとうとう彼のいる場所まで来てしまったらしい。どうか、どうか自分に気づかないでくれ。けれども、そんな祈りはどこにも届かない。突然、視界が明るくなる。目の前には、血のように赤い髪を揺らしながら笑う《鬼》の姿。


「みーつけた!」


 その言葉に、十個ほどベッドが並ぶ寝室の一番奥のベッドの上で、毛布をかぶって隠れていたソルはがっくり肩を落とした。


「また負けた!」

「惜しかったね、あと5分で君の勝ちだったのに。平べったくなって毛布の下にいるとは、中々やるじゃないか! 一見、誰もいないじゃないかと思ったよ」


 王様は感心したらしく、一人で拍手をしてソルの健闘を称える。


「でも、負けは負けだよね? と、いうわけで……みんな、やっておしまい!」

「はーい!」


 芝居がかった調子で王様が号令をかけると、廊下から寝室へ数え切れないほどの子供達が雪崩のように突入してきた。そして、ベッドに転がったままのニックめがけて飛びつく。


「うわ、ちょ、まっ! あー!」


 すぐにソルは子供達の津波に飲み込まれ、見えなくなった。その様子を、子供達の大群のあとについてきていたキティが楽しそうに見つめる。


「ソル、楽しそう」

「おいキティ、見てないで助けてくれー!」

「えー、無理だよ、ソルがどこにいるかちっとも見えないもん」


 ソルは抗議の声を上げようとしたが、子供たちの抱きつき攻撃によって声を封じられてしまった。久しぶりに楽しそうに笑うソルを見て、キティもとても幸せだった。


「かくれんぼ、楽しかった?」


 王様が、そんなキティに問いかける。キティは笑いすぎて溢れてきた涙を指でぬぐいながら頷いた。


「こんなに楽しかったの、久しぶり。最近は楽しいことなんてなんにもなかったから」


 彼女の言葉に、王様は心配そうに眉をひそめる。


「スラムでの生活が辛いのかい? だったら、君達もここに住みなよ。みんなもきっと喜ぶよ」

「え?」


 思ってもみなかった提案をされて、キティは目を丸くする。とっさにベルのことを思い出して彼女は断ろうとしたが、それより先に後ろから誰かに声をかけられた。


「皆さん、お茶とお菓子の準備ができましたよ。王様とお客様は食堂へどうぞ。子供達はここにお菓子を持ってきたから、みんなで食べようか」

「おかしー!」

「くっきー? くっきー?」

「クッキーもあるよ。ケーキもある」

「けーきだー!」

「ケーキたべたい!」


 そこにいたのはお菓子がたくさん乗った大きな皿を両手に持ったニックだった。子供達が一斉にソルから離れてニックに群がる。ようやく解放されたソルは元からぼろぼろの服がさらによれよれになったのを、悲しそうに見つめていた。


「じゃあ、二人ともついてきて。僕とお話しよう! ニック、子供達のことは任せたよ」

「かしこまりました」


 ソルは普段とあまりに違う態度のニックを気持ち悪そうに見つめていたが、何も言わずキティの手を取ると王様の後についていった。



※※※



 食堂で王様と何を話したのか、実はソルもキティもよく覚えていない。ただ、とても楽しかったということだけは強く印象に残っていた。途中から妙に眠くなって、もう暗いし今日は泊まっていきなよ、と言われて。


 ベルはもう隠れ家に帰っているだろうか。だとしたらきっと心配しているだろう。帰らなくちゃ。


 そんな思いはしかし口にすることもできないまま、二人は眠りの底に落ちていった。


「まだ帰っちゃダメだよ。明日も、明後日も、ずっと一緒に遊ぼうね」


 二人の安らかな寝顔を愛おしげに見つめながら、王様は楽しそうに笑うのだった。



※※※



「離してくれ! 行かなくちゃ、あいつらを見つけてやらなくちゃ……!」


 毛布一枚すらない廃墟の屋敷で、ブラッディのローブを敷いた簡易的な寝床から飛び出そうとするベルを、ブラッディとランは全力で止めた。もっとも、ベルにまだ二人に抗うほどの力はなく、すぐにぐったりと倒れこむ。


「ソルとキティが心配なのは分かるわ、ベル。でも、その体で二人を探しにいくなんて無理よ。傷は治ったけれど、そのために貴方は極限まで体力を使い果たしているはず。本当は私たちが探しに行ってあげられればいいんだけど、私たちは土地勘もないし、それに……」


 この件に関して、三人はこのやり取りを何度も繰り返していたから、うつむいてしまったランの言葉の先は言われなくても誰もが分かっていた。


 おそらく二人がいなくなったのは、ランとブラッディがここにいることに反発したからだろう。だから、ランたちが二人を探しに行っても、二人は帰ってきてくれない可能性が高い。ベルが迎えに行く他に二人を連れ戻す方法はないが、そのベルはとても動ける状況ではなかった。


「すまない。お前たちを困らせてしまっているね。今はどうにもできないと分かってはいるんだが。二人がいなくなって、もう三日も経っているだろう? いくらお前たちのことが気に入らないとしても、あいつらが私を捨ててどこかへ行くはずないんだ。まさか、あの化け物に捕まってしまったんじゃないだろうか。だとしたら、私は……!」


 何もできないもどかしい怒りを、ベルは拳にのせて床を叩きつける。


「すまない。少し、一人にしてくれないか」

「分かった。ラン」

「……貴方たちを助けるには、いつも力不足ね、私たち。本当にごめんなさい」

「お前たちのせいじゃない。気にしないでくれ」


 唇を噛んで悔しそうにするランの肩を優しく抱いて、ブラッディは彼女と共に屋敷の奥へ去って行った。


 廃墟の屋敷には、孤独な少年の押し殺したすすり泣きがいつまでも響いていた。



※※※



「ねえ、ソル。もう、帰らなくちゃ。きっとベルが心配してるよ」

「分かってる。分かってるけど……」


 気づけば教会に来て何日も経っていた。いつも帰ろうとすると子供たちにもう少し遊ぼう、とせがまれて、仕方なく相手をしてしまう。そしてどんどん時が経ち、夕暮れ時になって、王様にお茶をしようと誘われて。


 最初の日の強烈な睡魔は食べ物や飲み物に薬を盛られたせいかもしれないと思い、二日目は二人とも何も食べなかったし飲まなかった。しかし、突然抗えないほどの眠気を感じ、気がつけば次の日の朝になって。同じことの繰り返しだった。


 変わったことがあるとすれば、ソルとキティの気持ちくらいか。ソルはベルのことはとても気がかりのようだったが、ここから帰りたいとはもうあまり思っていないようだった。彼は王様の人柄にとても魅せられていた。王様の話す言葉一つ一つを目を輝かせて聞き、彼と何度でも話したがる。二人は妙に波長が合うようだった。


 一方キティは、教会で過ごせば過ごすほど何かの違和感を感じずにはいられなかった。子供たちに名前がないことに気づいていたし、自分たちも名前を聞かれてすらいない。みんなで遊ぶ時間はとても楽しいけれど、どうしても不安を感じずにはいられなかった。


「ねえ、ソル。本当に、ここはいいところなのかな?」


 そう聞けば、ソルはものすごい剣幕でキティに怒鳴る。


「キティ! 言っていいことと悪いことくらいそろそろ分かってくれ! ここがいいところじゃなかったら、いいところなんてどこにもないよ! 君は本当に何も知らないんだな」


 ここ最近ソルの自分に対する当たりが強すぎることも、彼女をより不安にしていた。ソルにはいいところも悪いところもたくさんあるが、ここにいると彼の悪いところばかりが顔を覗かせるようになった気がする。ここはソルに悪い影響を与えている気がして彼女は怖かった。



 教会に来て六日目、いつも通り謎の眠気によって眠らされた二人は夜中にニックに揺り起こされた。


「王様がお呼びです。礼拝堂にご案内します」


 ここに来てすぐのときと違って、ニックが二人にスラムの情報屋として接することはもうなかった。完全に王様の召使いのように振る舞い、ソルたちにも丁寧に接する彼の様子もキティの違和感を大きくしていた。


 眠い目をこすって二人がニックの後に続いて礼拝堂に着くと、そこには楽しそうにくるくる踊る王様がいた。


「やあ、遅い時間に呼びつけてごめんね。来てくれてありがとう!」

「ふわあ……。王様、なんで、俺たちを呼んだんだ?」


 まだ眠そうな様子のソルがあくびをしながら問いかける。すると、王様はどこか夢見心地で上を見上げた。


「今夜はいい夜だから、君たちに大切な話をしようと思って」


 うっとりと、何かに酔いしれるように、王様の声は礼拝堂に甘く響き渡る。元から王様に魅入られてしまっているソルも、彼に一抹の恐怖を抱いているキティも、その声に心を奪われてしまっていた。


「君たちは、《神様》って信じる?」


 清らかに微笑んでそう問いかける王様の姿が、二人にはまるで天から舞い降りた天使のように見えていた。

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