第24話 見失っていた願い

「やっぱり足りないなあ」


 赤いりんごを丸ごとかじりながら、礼拝堂の椅子に座ってソルは——いや、ソルの姿をした《神様》はため息をついた。


「何が足りないの? あんなに願いを食べたのに、肉体だって手に入れたのに、どうして僕の願いを叶えてくれないの、《神様》?」


 王様はそんな《神様》にすがりつく。その赤い瞳は不安に揺れていた。それを見て、《神様》はクスリと笑う。


「キミの願いが足りないんだよ」


 お気に入りの人形を抱きしめるように、すがりつく王様を《神様》はぎゅっと抱きしめた。力加減など気にもしないその抱擁に、王様は痛みと苦しさを覚える。


「引き金を引くには、キミがもっともっと願わなきゃ。ほら、もっと苦しんで? もっと悲しんで? その痛みも苦しみも、全部王都の人たちのせいだよ。もっともっと憎んで、恨んで、全部めちゃくちゃにしてって願ってよ! あはは、あは、あははははははは!」


 耳元で《神様》が楽しそうに笑った。それは礼拝堂に反響して、まるで地獄の悪魔の笑いのように聞こえる。うまく呼吸ができず朦朧とした頭の中で、王様はただひたすら自分を捨てた姉の姿を思い浮かべていた。


 許さない。許さない許さない許してなるものか! 自分だけ幸せを手に入れて、ゴミのように実の弟を捨てた女が許されていいはずがない!


 王様の心の声が聞こえたのか、《神様》は赤い瞳を見開いてにっこり笑う。


「その調子。もっともっと、ボクに憎しみと恨みのこもった願いを食べさせて!」


 狂気じみたその光景を、後ろに控えていたニックは絶望に染まった瞳で見つめるばかりだった。



※※※



 いつだって、真っ暗闇を照らしてくれたのは、ソルだった。


 ソルに出会ったあの日。身寄りがなく、なんの知恵も力もない自分のような女は娼婦になるほかないとしても、受け入れられなくて逃げた。逃げて逃げて、でも逃げ切れるはずもなくて。連れて行かれそうになっても、まだ諦めきれなくて。誰にも届かないと分かっていたけれど、それでも叫んだ。助けて、と。


 誰にも届かないはずの声は、けれど、太陽に届いたみたいだった。娼館の追っ手を蹴り飛ばして、キラキラ輝く金髪の男の子は自分を助けてくれた。安全な隠れ家に逃げ込んで、これからは一緒に生きようと言ってくれた時、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。


 なんの教養もない自分に文字を教えてくれたのもソル。スラムの外の世界を教えてくれたのもソル。もしかしたら、未来は変えられるのかもしれないと教えてくれたのもソル。自分の全てはソルがくれたものだった。


 ソルがただのいい人じゃないことは分かっていた。ソルにとって一番大切なのはベルで、ベルの邪魔になると思われたらソルは簡単に自分を捨てるだろうということも、覚悟はできていた。自分を助けたのはただの気まぐれだったんだろう。それでもいい。ソルにとって自分はたまたま拾い上げたその辺の小石に過ぎないかもしれないけれど、自分にとってソルは唯一無二の太陽だから。


 だから。


「今度はあたしがソルを助けてあげなくちゃ」



※※※



 目を覚ますと、子供たちが心配そうにキティを覗き込んでいた。彼女が起きたことに気づいて、彼らは思い思いの言葉を口にする。


「おきた!」

「おねーちゃん、おきたー!」

「おはよう、おねえちゃん!」

「とってもねぼすけなんだね、おねえちゃん」


 その様子はとても愛らしくて、微笑ましくて、だからこそキティが胸が痛くなるのを感じた。この教会は、この子たちがいるべき場所じゃない。


「ねえ、みんなは外に出たくないの?」


 キティが尋ねると、子供たちは揃って首を振る。こころなしか、その瞳に影が差しているように見えた。


「おそとはこわいところだもん」

「みんなぼくらをいじめる」

「ここにいればおうさまとにっくがやさしくしてくれるから」

「それにね」


 子供達の中で、比較的年長と思われる子供がさらに続ける。


「わたしたち、ここにのこって王様のために《おねがい》しなくちゃいけないの。王様のおねがいごとがかないますように、って、みんなでおねがいすれば、王様のおねがいごとはかなうんだって。だから、ここにいなくっちゃ」


 それを聞いて、キティは愕然とした。彼女には願いの力が魔法に変わるとか、子供達の願いが何を引き起こしているのかとか、そういうはっきりしたことは何一つ理解できてはいなかったが。直感的に彼女は分かってしまったのだ。王様は、自分の願いの成就を願わせるために子供達を連れてきたのだと。


「王様の願いがなにか、みんなは知ってるの?」

「ううん」

「しらなーい」

「でも、きっとすてきなことだよ!」

「知らないままでいいの?」


 キティの言葉に、子供たちは頷く。もうこの話題に飽きてしまったらしく、キティの両手を引っ張って遊ぼうと誘ってきた。彼女は子供達の誘いを無下にできなかったが、今は遊びたい気分ではなかったし、一刻も早くソルを助けなければと焦っていたから、困り果ててしまった。


 ところがその時、キティの背後で誰かが近づいてくる気配がした。彼女に近づく誰かを見て、子供達は一斉にキティから離れる。振り向けば、そこには見覚えのある男が立っていた。


「お子様方はあっち行ってもらえます? 私、彼女に用があるので」


 冷たい声で言い放てば、子供達は一目散に別の部屋へと逃げていった。そこに現れた男の姿に、キティは警戒の色をあらわにする。


「あんた、確か……」

「ダン、です。以前、東地区の闇市場でお会いしましたね?」


 そこにいたのは、ベルたちとりんごを盗もうとして失敗した日に出会った、右手に分厚い本を抱えた胡散臭い男。


「あんたもグルだったってわけ? あの頃からソルを狙ってたの? 今度はあたしを乗っ取ろうって?」


 敵意をむき出しにするキティに、ダンは肩をすくめる。


「まあまあそう怒らないで。そもそも、私は貴方の前に姿を現したくてきたんじゃありません。貴方が私を呼んだんですよ」


 意味不明なダンの言葉に、キティの勢いが削がれた。彼女にはこの怪しい男を呼び出した心当たりなど少しもない。


「そんなことしてない」

「いいえ、しました。貴方、こう思ったでしょう。ソルを救う方法を知りたい、と」


 キティはハッとする。確かに彼女は思っていた。なんとしてもソルを救いたい。けれど方法がわからない。


「正直なところ、勘弁してほしいんですよねえ。貴方の願いを叶えたら、私が描いた悲劇のシナリオを私が邪魔することになってしまうので。ですが、私は知りたいという願いそのもの、その願いを叶えるために生まれた存在ですのでね。そこまで強く知りたいと願われてしまったら、叶えないわけにはいかないんですよ。腹の立つことですが」


 キティにはダンのいうことなど半分も理解できなかった。理解できなかったが、今自分がソルのためにできることは1つしかないと直感的に分かったから。ダンの両腕を掴み、ものすごい勢いで彼女は願いを口にした。


「教えて、ソルを取り戻す方法を! あたしはどうしても知らなくちゃいけないの。今まであたし、何も知らなかった。ソルはよくあたしが何も知らないって笑ってた。別に、ソルが教えてくれるからいいやって思ってたけど。

 あたしがちゃんと知らなかったから、ソルはあんなものに乗っ取られちゃったの? あたしはここが良くない場所だって分かってたのに、あたしのせいでソルはああなった?」


 その時、ダンには必死に叫ぶキティの姿が、なぜか別の少女の姿に見えていた。これは一体誰だ? ダンは必死に記憶を探る。


「それなら、今度こそあたし、知らなくちゃ。知って、今度はあたしがソルを助けなきゃ!」


 涙目になりながら願う彼女を見て、ようやく分かった。今、キティに重なって見えるこの少女は。


《妹を救える。俺みたいに、何も知らずに利用され傷つく人々を救える。それが本当なら、どれほど素晴らしいことだろう!》


 かつての自分の声が脳裏に響く。いや、違う。あれは自分なんかじゃない。あれは彼だ。ダンタリオンではない。


「違う。違います。私という存在に妹なんかいません。あれは私と融合した彼の妹であって、妹なんか私には——」

「え?」


 突然意味不明なことを呟き始めたダンに、キティが首をかしげる。はやく正常に戻らなければ、とダンは焦るが、完全に融合したはずの彼の人格が主張を始めるのを止められなかった。


「願いを見失わないで。貴方が何故知りたいと願ったのか、それを忘れないで。そう言われたのに、見失ってたんじゃないか? なあ、ダンタリオン。この子の願いを叶えなきゃ。悲劇作りなんて、人々は本当に願っちゃいないよ」

「ねえ、あんた大丈夫? 頭おかしくなった?」


 一人で誰かと話し始めたダンを見て、キティは後ずさりつつも心配そうに尋ねる。その言葉が、ダンの中で妹と完全に一致した。


《ねえ、兄さん大丈夫? 働きすぎは体に良くないよ》


 そうだ。妹を、救わなくちゃ。


「大丈夫、です」


 再び完全な融合が取り戻されるのを感じる。全てが正常に戻ったことを確認して、ダンはやれやれとため息をついた。


「申し訳ありません。取り乱しました。貴方の願いを叶えましょう。ソルを助ける方法をお教えします」


 その言葉に、キティの瞳が希望に輝くのが見えた。完全に融合した魂の片隅で、妹を救おうとした彼の欠片が笑った気がした。

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