第27話 幸せの銀の缶

「海人君、寝た?」


 薬が効いてきたのか、それとも安心したのか、海人が寝息をたて始めた頃、そっとドアが開かれた。

 ひょっこり顔を出したのは由真で、菫と海人を交互に見ている。


「……話、立ち聞きしてたでしょ?」

「なんでわかるの? 菫ちゃん鋭いね。でも、円満に話が纏まったようだから、居間に行っていたよ。これ、取りに行ってたんだ」


 悪びれもせずに中へと入って来た由真は、手に銀色の四角い缶を持っていた。

 それは、所々、錆ていて年季が入っている。しかも、泥が付いていたのか、はっきり言って汚い。


「……どこから拾って来たの? すぐに捨てたら?」


 病人の居る部屋に、病原菌を撒き散らされては困ると菫は眉を寄せる。すると、由真が頬を膨らませ抗議してきた。


「これ汚くないから。それに、これ菫ちゃん宛てだよ。パパが言うには結さんからだって」

「……はい? ええっと、母は亡くなっていますけど?」


 訳がわからなくなった菫は、不思議そうな顔で由真を見上げた。


「これはね、庭から掘り出したタイムカプセルだよ。パパが生前言ってたんだ。自分が死んだら、庭の紫陽花の下を掘って、これを見つけろって。菫ちゃんに渡して欲しいって」


 そう言って、汚い銀の缶を菫へと押し付けてきた。

 戸惑いながらも、菫はその缶を受け取り床へと置く。


「これって……」


 菫はその缶に見覚えがあった。

 小さい頃から大好きだった洋菓子店のクッキー缶。

 菫が「美味しい」と食べる度に、雅彦が買って来てくれた思い出の缶だった。


「開けてみてよ」


 由真も菫の隣へと座り込むと、「早く」とせがむ。


「由真、庭の片づけ手伝うって言っていたのって、これを見つけるためだったの?」

「そうだよ。何が入っているか知らないけど、パパが隠したのなら凄く興味ある。お金かな? 気になるよね」


 どうりで率先して庭の草を刈っていたと思ったら、由真の目的はこれだったらしい。菫は呆れながらお菓子缶の蓋に手をかけた。

 蓋の周りにはガムテープが頑丈に撒かれていて取るのに苦労しそうだ。それを少しずつ剥がしていく。

 由真の話しでは、ゴミ袋を三枚重ねた中に入っていたと言うが、錆ている所を見ると、雨は染み込んでいるようにも思えた。

 中に入っているのが手紙などの紙だった場合、腐食している可能性も捨てきれない。


「私も手伝う」


 由真が張り切って鋏を持つと、ガムテープを切り始めた。よほど中身が気になるようだ。

 これがお金なら凄く助かるが、もし、雅彦の不倫の証拠や、由真の母との不倫写真だった場合のことを考えると、気が重い。


「開けるよ、菫ちゃん」


 そんな菫とは違い、嬉々として由真が蓋を外した。


「……なに、これ?」


 由真は首を傾げて菫を見る。

 すぐに目に入ったのは、ビニール袋に入れられたノートや封筒。

 ビニールを破ってB四のノートを取り出す。

 ノートは花柄でカラフル。それに集まるように、二羽の鮮やかな鳥が仲良く描かれていた。


「……母さんのレシピ帳みたいね」


 菫は手に取ると、パラパラと中身を眺めた。

 開くと左のページに材料や調味料。右のページにイラストと一緒に、作り方が細かく書いてある。

 ハンバーグの作り方から少し手の込んだ料理まで、一冊のノートにびっしりと記されていた。


「結さん、料理好きだったの?」


 由真が菫の手元を覗き込む。


「うん。何でも作れる人だったから。でも、それは全部、あの人のため。いつ帰って来ても良いように、冷蔵庫は食料で溢れていたから」


 それほどまでに結は待っていた。

 ――雅彦が帰って来るのを。それは決して叶わないとわかっていても。


「菫ちゃん、これは?」


 由真が指差したのは茶色の封筒。

 中身を見た菫は何とも言えない気持ちになる。

 出てきたのは、菫名義の通帳と印鑑。それにキャッシュカード。金額を確かめると、三百万程。

 お金は助かるが、面と向かって手渡して欲しかったと菫は呆れた。

 由真が見つけてくれなければ、これは、手に入らなかったもの。そう思うと、菫は複雑だった。


「手紙入ってるよ、菫ちゃん」


 由真が漁って差し出したのは、和紙で出来た封筒。元は真っ白だったと推測されるそれは、月日と共に色あせて黄ばんでいた。しかも、隅に、紫色の菫の花が描かれている。

 それを眺め、封筒の端を鋏で切ると中身を取り出す。

 何枚もあるのかと思っていた菫は肩透かしをくらう。便箋は一枚で、しかも文章も短い。

 手紙には、こう書かれていた。


『菫へ。結が死ぬ間際、レシピ帳と通帳を渡して欲しいと俺に遺言を残した。ただ、会ってお前に渡す勇気が俺にはない。だから、由真に託す。色々すまなかった。由真を頼む』


 読んだ後の菫の感想は「これだけ?」だった。

 他に結からの手紙でもあるのかと思ったが、手紙類はこれ一通だけ。

 しかも、菫よりも、由真の心配をしているのが伝わってくる手紙。それを何度も読むと、菫は疲れがどっと出た。

 最後まで自分勝手な人だったと再確認することになっただけだった。


「なんて書いてあるの?」


 興味津々な由真に手紙を渡す。


「……これだけ? パパってヘタレだね」


 由真の素直な感想に、菫は声を上げて笑ってしまった。


「そうだね。渡すだけなのにね」

「罪悪感があったんだよ、きっと。私達と一緒に暮らしたから」


 語尾が小さくなっていく由真もまた、罪の意識を抱えているのかも知れない。

 そんな由真の姿を見て、菫はさっき海人にして貰ったように、由真の頭を撫でた。


「もう、良いから。だって、当事者達、死んじゃったからね」

「菫ちゃんはそれで良いの?」

「うん。もう、良い。私が傷ついた分、由真が大学に行くまで、ここで一緒に暮らしてくれるんでしょう?」


 菫の本音は、やはり家族が欲しかった。

 こんな風に語り合い、傍にいてくれる家族が。昔は得られなかった幸せが、今は、ここにある。

 そんな何気ない幸せが、菫は欲しかった。


「……私、狙っている高校と大学、ここから通える距離だよ?」

「えっ、そうなの? なら、働くまでかな。一回は家を出た方が良いよ。人生経験豊富になるから推奨する」


 今はこう言っている由真も、高校で学ぶ内に考えが変わるかも知れない。未来はわからない。それが人生だ。


「菫ちゃんは、もう結婚しないの? 海人君で良いじゃん。公務員で収入安定。爽やかイケメンで社交的。実家も金持ちで、オススメ物件だよ」


 海斗が起きていたら顔を顰めそうな売り込みに、菫は苦笑するしかない。


「そして一番大事なのは、菫ちゃんを好きだってことじゃない? 海人君なら完璧だよ。私も安心して任せられるし」


 十四歳は言葉をストレートにぶつけてくる。

 菫が言えない、その「好き」と言う気持ちを素直に。


「そうでしょう、海人君」

「えっ?」


 由真の声に振り返ると、いつの間にか目が覚めたのか、海人が起き上がり菫を見ていた。

 しかも、薬が効いたのか、それともストレスが無くなったのか、顔色が戻っている。その姿に、菫が動揺した。


「菫ちゃん、復縁しようか? 菫ちゃんも僕のこと好きでしょ?」


 その断定している言い方に、菫は恥ずかしすぎて死にたくなる。

 顔を背けるが、赤みが強くなった顔は、肯定しているようなもの。だけど、菫は同意出来ない。


「……保留で」

「どうして?」


 由真も同意し、菫も頷いてくれるものとばかり思っていた海人は、またしても恨めしそうに菫を見た。


「――由真が大学卒業したら考える」

「えっ? 私のことは良いよ、別に。海人君が可哀想だよ」


 菫の答えが意外だったらしく、海人は苦笑し、由真は焦り出す。


「正直、まだ海人を百パーセント信用出来ていないの。だから、ごめん」

「なるほど。なら、由真ちゃんが大学を卒業するまでに、菫ちゃんを信用させれば良いんだ。わかった。それなら自信がある」


 てっきり、諦めるかと思っていた海人は目を輝かせ頷いた。


「えっ?」


 呆気に取られる菫とは違い、海人は由真と話続ける。どうやら、由真も、海人と菫の復縁については賛成しているようだ。


「私も応援するね、海人君」

「うん、ありがとう。由真ちゃん」


 二人で楽しそうに話す姿を見て、菫は困ったように苦笑する。だけど、本心では嬉しかった。

 誰かと一緒に暮らすことで、こんなにも、日常が色鮮やかに変化するとは思わなかったから。

 これから先、揉めることも多いだろう。だけど、三人でなら切り抜けていけると菫は未来を見つめた。


「お腹、空いたんだけど何かある?」


 さっきまで熱があった海人が立ち上がり菫に手を差し出す。


「結さんのレシピから何か作ってよ、菫ちゃん」


 すると、海人と同じように由真も菫へと手を差し出した。

 一瞬迷いながらも、菫は、はにかみながら二人の手を取り立ち上がる。この手をいつまでも離さないでおこうと誓いながら。


「――わかった。カレー以外でね」

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