第12話 喧嘩の果てに

「……その話は知ってたんだ?」


 菫が苦笑しながら由真を見る。


「どうして、私がパパと苗字が違うのか聞いた時に教えてくれた。結さんがどうしても離婚届けに判子を押してくれないって。離婚するなら死ぬって泣き叫ぶから、どうしようも出来なかったって、パパが困ってた」


 由真の淡々とした口調に、菫の胸の内は複雑だった。

 菫は何度も結に離婚を勧めた。

 二人で頑張って生きようと、第二の人生を選ぼうと説得を試みたが、結局、結は頑なに拒んだ。

 それほど、結は雅彦を愛していた。由真の母に雅彦を取られてからも、ずっと待ち続けていた。絶対に、自分の元へと帰って来ると信じて。


「母は、あの人が由真のママに本気だと思わなかったのよ。数か月遊んだら、絶対に自分の元へ帰って来る。そう信じていたの。でも、三カ月、半年経っても戻って来なくて、それどころか生活費もくれなくなった」


 菫は父のことを「あの人」と呼ぶ。その言葉に、由真は一瞬不快そうに菫を睨んだが、菫は気にしない。

 父と呼べるような、世間一般の父親としての責任を、雅彦自身が行ってこなかったのが原因だ。


 雅彦が生活費を渡さなかった理由。それを菫は知らない。

 だが、予想出来る範囲で考えると、一つは由真達親子との生活で余裕がなかった。もう一つは、生活費を菫達に渡さなかったら、結が離婚に応じる。雅彦はそう考えたのかも知れない。


「……嘘よ。パパは生活費を最低限渡しているって言ってたもん。別れたら慰謝料も払うって。いくらパパを嫌いでも悪く言ったり嘘ついたりしないで」

「本当よ。生活費を貰っていたら、私の母は過労で死なないわよ」

「金遣いが荒かったんじゃないの?」


 由真は雅彦のことが大好きなようで、菫が雅彦を否定する度につっかかってくる。


「あんたが私の母を悪く言う権利なんてない。あんたのママが愛人で浮気相手なんだから。そして、私の母を追い込んだ。私は決して忘れない」


 由真の心ない一言で、菫の中で溜まっていた鬱憤が吹き出た。

 十四歳相手に大人気ないと人は言うだろう。だが、それほど菫は怒っていた。半分血が繋がった妹とは分かりあえない。

 そう、菫は結論づけた。

 憎しみを込めた瞳で菫が由真を睨みつけると、初めて由真がたじろいだ。


「な、なによ。結さんがさっさと離婚してくれていれば、こんなことにはならなかったのよ! ママと私の責任じゃないもん」


 由真も負けじと菫に対して怒りをぶつける。

 その態度に切れた菫が勢い良く立ちあがると、ちゃぶ台の上に置いてある茶椀や皿が音を立てて揺れた。


「あんたのママにも責任あるわよ。あの人が結婚しているのを理解して付き合っていたんだから。でもね、一番悪いのは、浮気をしていながら、平然とどっちの家にも行ったり来たりしていた、あんたと私の父親よ!」


 由真も立ち上がり菫と向かい合う。

 姉妹喧嘩はどちらも一歩も引かず、それを見守っていた海人は苦笑しながら立ち上がり仲裁に入った。


「二人共落ちついて。話合いにならないよ。菫ちゃん、またストレスで倒れたら僕のマンションに強制的に連れて行くけど? 由真ちゃん。お口がけっこう悪いから気を付けて。このままだと本当に、ここに居られなくなるよ」


 仕事用の笑顔を張り付けて、海人が二人を見下ろした。


「……何で私が海人のマンションに行くのよ」

「これを期に復縁を考えてくれたら嬉しいんだけど?」

「だから、何度も言ったけど嫌よ。お断り!」

「…………菫ちゃん、冷たい」


 本気か冗談かわからない海人の場違いな言葉に毒気が抜かれ、由真への怒りは小さくなっていく。

 そんな二人を見せられて、全く面白くない由真が口を開いた。


「……ねえ、何で海人君と結婚していたこと黙っていたの? どうして二人は別れたのよ」

「……その話、由真には関係ないでしょ」

「あるわよ。海人君は私の保護者みたいなものだもん」

「じゃあ、海人に聞きなさいよ。海人の浮気が原因で別れたんだから!」


 菫が落とした爆弾に、驚いたのは由真だけではなかった。

 当事者である海人は、一瞬、何を言われたのかわからない不思議な表情を見せた後、目に見えて焦り出した。


「えっ? どう言うこと、それ。意味がわからないんだけど。説明してよ、菫ちゃん。菫ちゃんと僕が別れたのは……菫ちゃんが仕事を選んだからでしょ?」


 顔色がすぐれない海人は、離婚した理由を菫にぶつけた。


「……それ本気で言ってるの? だから男って最低」


 ゴミを見るような目で菫は海人から離れるように後ろへと下がる。そんな菫の軽蔑した視線に、海人は狼狽えるばかりで適切な言葉が出てこない。

 そんな二人を見ていた由真がぼそりと呟いた。


「海人君、浮気したの? ……最低」

「いや、由真ちゃん待って。それ何かの間違いだから。僕は絶対に浮気していない。菫ちゃん、信じて」


 一生懸命、必死に弁解する海人だが、女二人の視線は冷たい。


「信じる必要はないから。だって、私達もう離婚しているでしょ。もう、この話は止めて。由真、これからの生活だけど、夏休みになったら引っ越して。寮のある学校か、施設か親戚の家に。武井先生に連絡とるから。私もアパートをまた探して出て行くわ。この家を売ったらお金半分あげる。それからは赤の他人。もう連絡してこないで」


 海人に見切りをつけて、話を強制的に終わらせた菫は、由真に最後通告を突き付ける。


「なに、それ。一人で勝手にそんなこと決めてんのよ! 私はこの家に住むから!」

「勝手も何も、前も言ったけど、この家、私の名義だから。由真には相続権本当はないのよ。それを半分あげるって言うんだから優しいでしょ?」

「嫌よ! 私は……ここに住みたい。どこにも行きたくない」


 あんなにも強きだった由真は、狼狽え今にも泣きそうだ。

 どうやら本気で、この家を出て行くのが嫌らしい。


「残念だけど、私はこの二日間で由真と暮らすのは無理だと判断した。だから、これは決定事項なの。あきらめて」


 菫は、今にも泣き出しそうな由真に、ばっさりと最後通告を突き付ける。


「嫌よ! なら、一人暮らしする。それで良いでしょ」


 十四歳の由真には一人暮らしの選択肢はない。なぜなら、そこまでのお金がないからだ。雅彦が残した五百万では高校を卒業するまでになくなるだろう。

 学費に生活費。世の中の一人暮らしが、どれだけ頑張って生きているか、まだ働いた経験のない由真には理解出来ない。


「由真ちゃん。それは無理だよ。人間が生きるのって、君が思っているよりもお金がかかるんだ。生きるって大変なんだよ」


 海斗が子供に言い聞かすように由真を諭す。


「なら、どうすれば良いの? 私、施設にも行きたくないし転校もしたくない。親戚の家も嫌だ……。だって、所詮は居候だもん。それに、知らない男の人と暮らすのは怖い。……助けて」


 ――由真が初めて、子供のように泣いた。

 確かに由真を引き取りたいと言った、あの気持ち悪い男は論外だ。だが、他の親戚達も、由真と同じような年頃の子供達が何人もいた。

 そこで気を使って過ごす高校生活は心穏やかではないかも知れない。

 そんな由真を、海人が優しく慰める姿に菫は罪悪感を覚える。

 大人の都合で振り回してしまう申し訳なさに、菫は心が痛むが、菫自身も由真の言葉に傷つけられて傷だらけだった。


「……由真ちゃんはさ。もう少し菫ちゃんに優しく出来ない? 菫ちゃんも傷つきやすい人だから、きつく当たるのは止めて欲しいんだ。それが出来るなら、僕から菫ちゃんに一緒に住むように頼んであげる」


 由真の頭を優しく撫でながら、海人がとんでもないことを言い始める。そんな海人を菫は慌てて止めに入る。


「なに言ってるの? そもそも海人には関係ないでしょ?」


 だが、海人は冗談でも、この場を乗り切るための適当な言葉でもなく、真剣な表情で菫を見つめ口を開いた。



「菫ちゃんもさ。本当は由真ちゃんのこと心配なんでしょ? でも、結さんのことや雅彦さんのことを持ち出されて限界なんだよね? ならさ、僕もこの家に居候するから、由真ちゃんの夏休みまでの期限付きで、三人一緒に暮らしてみない? 疑似家族ごっこしよう」

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