第13話 始まった疑似家族

「うん、美味しい。また、食べられて嬉しいや。菫ちゃんは、今日、何するの?」


 海斗が美味しそうに菫が作った千枚漬けを頬張った。その隣で由真が黙々と味噌汁を飲んでいる。


「……家の掃除かな」


 ちゃぶ台に並べられた料理を眺めて菫が答えた。

 今日の朝ご飯は、菫の大好きな麦とろご飯。そして、切り干し大根の味噌汁と甘い卵焼きに焼いた鰯。それにかぶの千枚漬けだ。

 六月十四日金曜日。

 今日から八月三十一日、土曜日までの期間限定で疑似家族ごっこが始まる。

 海人のとんでもない提案に菫は難色を示したが、施設や寮が嫌だと泣き叫んだ由真のせいで渋々頷くことになった。


 この不可解な三人での同居生活初日。

 時刻は午前七時。

 縁側の戸は全部開けられ、柔らかな朝日が居間に注ぎ込んでいる。三人の新しい門出を祝福するような爽やかな陽気に、菫も二人を伺いながら千枚漬けを口に入れた。

 母である結から教わったレシピの一つ。

 カブをピーラーで薄くスライスして酢や砂糖、塩、鷹の爪、昆布を入れて一晩置いておけば、翌朝にはすぐに食べられる。

 簡単で美味しい。それに、冷え性や精神安定にも繋がるこの食材が菫は好きだった。


「そう言えば海人。マンションの管理はどうするの?」


 千枚漬けを飲み込むと、菫が海人を見る。


「たまに掃除や換気しに帰るよ。あ、由真ちゃんが住んでいた隣の部屋、内覧しに人が来ていたみたいだよ。管理人さんが教えてくれた。売れると良いね」


 海斗は昨日の夜、一旦マンションに帰り、朝の六時に青山家へと戻って来た。着替えや日々の生活用品を取りに戻るために。


「……そうなんだ」


 言葉少なに答える由真は元気がない。

 由真達が住んで居たマンションは売りに出されている。雅彦の退職金をほとんどあてたと言っても、まだ残金は残っていた。残りのローンは五百万ほど。

 さすがに由真は払えない。

 それも武井先生にお願いして処分して貰うことにした。売れたら由真が全額手にすることになる。だが、物件としては微妙だと言う。駅から少し遠く、築年数も十年が経過していた。


 それを考えると、大学の学費や一人暮らしの費用は賄えるが、これから生きていくには心もとない金額にしかならないだろう。

 それよりも、両親の思い出が詰まっているマンションを、手放さなければならないことが悲しいらしく由真が暗い。


「菫ちゃん、僕は七時までには必ず帰って来るから。……あ、でも、もしかしたら六時には帰れるかも。夕飯お願いしても良い? 菫ちゃんの手料理楽しみなんだ」


 由真とは対照的に、期間限定とは言え、菫と一緒に暮らせることになった海人は明るい。

 しかも、菫と別れた後、家で一人孤独に食事をするのは嫌だと言う理由で、約一年間、外食や隣の由真達の所ばかりで食事をしていたと告白した。

 そんな食生活をしていて、良く太らなかったものだと菫は話を聞いて呆れた。だが、美味しそうに料理を食べてくれる海人を見ていると素直に嬉しいと思ってしまう。


「うん。家にいるから料理は大丈夫。由真は……何時に帰るの?」


 菫が気を使って由真に話をふった。


「……六時には帰る」


 昨日までなら、口を聞かないか刺々しい口調で応戦していたのに、今日は大人しい。

 それには理由があった。

 三人で暮らす上でルールを決めたのだ。お互いが快適に暮らせるように。

 昨日の夜遅くまで話し合った結果、次のようになった。


一、由真も菫も親のことで喧嘩せず、普通に会話をすること。

一、お互い嫌でも八月三十一日までは必ず一緒に暮らすこと。

一、三人共、帰宅が七時を過ぎる場合は連絡を入れること。

一、それぞれ割り当てられた部屋に、許可なく入らないこと。

一、朝、夕食はなるべく家で一緒に食べること。


 細かい事柄は、また後で決めることにして、大まかな約束はこの五つだ。家事に関しては無職、自宅警備員の菫が全面的に請け負うことになる。

 特に家事が嫌いでも好きでもない菫は不満はない。ただ、洗濯と掃除は各自が行うことで折り合いがついた。


「僕の荷物は少しずつ運ぶね。家具は特にいらないから衣服や靴がほとんどかな」


 海斗の部屋は一階の菫の隣。

 さすがに、由真と同じ二階に部屋を与えることに菫は抵抗があった。そのため、渋々自分の隣の物置スペースを提供した。


「……ご馳走さま。私、もう行くから。……行って来ます」

 食べ終わると、由真が時計を見て立ち上がる。

そして、逡巡した後、海人と菫を見てつぶやいた。聞こえるか聞こえないかわからないようなか細い声で。「行ってきます」と。

 それだけ言うと、背を向け居間を出て行った。


「……由真が私と会話するなんて明日は大雨じゃない?」

「心配しなくても、近い内に梅雨入りだから。由真ちゃんも我慢するってことを覚えたんじゃない? 自分の意見を通すことで悪い方向へいってしまうこともあるって理解したんだよ」


 海斗も味噌汁を飲み終えると手を合わせた。


「ご馳走さま。美味しかった。じゃあ、僕も行って来るね」


 時計を確認すると海人が立ち上がる。


「行ってらっしゃい」


 菫はそのまま食事を続けていると、なぜか海人が動かない。それどころか、海人からの視線が痛い。


「……なに?」

「玄関まで見送ってくれないの?」


 捨てられ犬のように、口を尖らせ海人は菫を見た。


「……ないでしょ。ただの同居人だし。遅刻するから早く行ったら? 行ってらっしゃい」

「菫ちゃんの意地悪」


 じっとりと子供のように拗ねる海人を菫は気にすることなく、鰯を頬張ると目を逸らす。すると、海人はあきらめたように玄関へと向かった。


「……海人が甘い。まさか、復縁は冗談じゃなくて本気なの?」


 海斗が本気で復縁を望んでいるとは思えず、海人の態度にこれからどう接していけば良いのかわからず、菫は唸るように千枚漬けを口に入れた。

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