第19話 菫と海人①

「……暑いな」


 居間から庭を眺めながら菫が素麺に箸をつけた。

 涼し気なガラスの器に氷が入れられ、その中には素麺とかぼすが入っている。夏本番を迎えると、蒸し暑く何をするのもやる気が無くなる。

 そんな中、季節にぴったりの昼食を、由真と二人で黙々と食べていた。


 由真が夏休みに入った、七月二十五日、木曜日。

 この異様な熱さは温暖化の影響か、それとも天変地異の前触れか、各地で七月では観測史上最高の気温を記録すると、テレビが騒いでいた。

 エアコンを付けているが暑さはあまり変わらない。扇風機を引っ張り出し、団扇で仰ぐ様は、八月の真夏の風景。


 そんな暑さを予想して、まだ涼しい朝の六時から菫は庭の片づけを始めた。

 庭を片づけ始めてから一カ月。

 平日も暇さえ見つけては作業をしていたが、未だに終わらない。

 夏が苦手な菫は、作業が進まない原因は、この暑さのせいだと、太陽を恨めし気に眺めた。


 由真も暇な時に一時間ほど手伝ってくれる。

 一カ月一緒に住むと、さすがに初めて会った頃のような攻撃的な姿は鳴りを潜め、借りて来た猫のように大人しい。

 そんな由真と菫は、何気ない会話を毎日するようになった。それだけでも進歩だ。

 今は、午前中の庭仕事が一段落し、お昼ご飯の真っ最中。

 由真を伺いながら素麺を食べていた菫は、由真と目が合うと慌てて逸らす。


「……なに?」

「――別に。美味しい?」

「……うん。普通」


 まさか観察していたとは言えず、菫は適当に素麺の感想を聞いてみた。

 答えは予想通りの「普通」。

 これまで毎食かかさず作っているのに、由真に「美味しい」と言われたことのない菫は、いささか不服だ。

 この素麺の出汁も、市販の物ではなく、ちゃんと鰹節と昆布からとった一番出汁。


 海斗がここにいたら、いつものように褒めてくれたかも知れないが、彼は今いない。ここ一カ月、電話で呼ばれる度に、海人は実家へと帰っていた。

 実家へと頻繁に帰る理由を、菫は聞かなかったし、海人もその話題を避けているのか語らない。


「ねぇ、海人君の実家ってこの近く?」

「あ、うん。ここから車で二十分ほどかな」


 由真の声に顔を上げ、菫が答える。


「……海人君って一人っ子なの?」


 由真は海人のことが気になるらしく、素麺を飲み込むと菫を見る。

 マンションが隣同士で、ご飯を食べる仲だった割には、由真は海人のことを知らないらしい。


「ううん。海人は末っ子。上に、三十五歳のお姉さんと三十二歳のお兄さんがいるわ。離婚する前の一年前のことしか知らないけど、お姉さんは子供が二人。お兄さんは、まだ結婚していなかったはずよ」


 海人の家は、そこそこの資産家。

 不動産業を営む父親と専業主婦の母親。

 家業は優秀な兄が継ぐと決まっていて、美人の姉も家業を手伝っていた。そんな出来る姉と兄に囲まれ、特に家業に興味がなかった海人は、末っ子として自由気ままな生活を送っていた。


「ふーん。離婚した時、向こうの両親に何か言われなかったの?」


 由真の指摘に、菫は思わず目を瞑り過去を思い出す。

 海斗の母親は、典型的な親ばか。それに、何よりも過保護だ。そして、菫は気が付いていた……海人もマザコンだと言うことを。


「……言われた。てか、結婚から反対された。うちは、そんなに裕福でも資産家でもないし、私が勤めていた会社は有名だけど、私自身は美人な訳でも性格が良い訳でもないから。海人には美人な幼馴染がいてね、海人のお母様は、その子と結婚させたかったのよ。ほら、私、海人よりも三歳も年上だしね」

「なに、その小説みたいなテンプレート。てか、自分で認めるんだ? 性格が悪いって」


 とたんに由真が顔を顰めた。

 どうして由真がそんな顔をするのか菫はわからなかったが、海人を好きな由真は、その幼馴染が気になるのだろうと結論づけた。

 確かに良く聞くどこにでもある話だ。


 末っ子の海人は家族から可愛がられ、母親は息子の嫁を楽しみにしていただろう。なのに、連れて来たのは顔も平凡、家柄も平凡、そして年上の仕事人間。

 どうして海人と結婚出来たのか、菫自身が不思議なほど。

 何を血迷って結婚しようと思ったのか、菫は海人に聞いたことがなかった。


「ねぇ、二人の馴れ初め教えてよ。今後の参考に」


 珍しいことに、由真が興味津々に目を輝かせている。

 やはり、恋に敏感なお年頃のせいか、海人と菫の関係が気になるらしい。

 菫はと言うと、妹に言って良いのか迷っていた。

 なぜなら、海人との出会いもまた、小説のようなテンプレートだったから。


「まあ、良いけど。あんまり面白くないわよ」

「全然良いよ。興味ある」


 初めて由真に興味を持たれ、いささか菫は面食らった。まるで、友達や親し気な知人のような話しぶりに、菫は戸惑ってしまう。

 素麺を食べ終えると箸を置き、庭を見た。

 あの日と同じ、汗ばむ陽気に、アスファルトを照り返す日差しが印象的だった、あの日に想いを馳せた。


「――海人と初めて会ったのは、海でのバーベキューだった」

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