第25話 雨降って地固まる②
「……弁解させて貰っても良いかな? 菫ちゃん」
急いで戻って来たのか、海人の顔はほんのりと赤く肩で息をしている。
菫が時計に目を向ければ、由真が三人を追い出してから三時間が経っていた。陽が長くなったせいか、夕方になっても、まだ明るい。
「菫ちゃんと話したいなら、私を通してからにして」
菫が何かを言う前に、由真が立ち上がり菫を隠すように立ちはだかった。
「……いつの間に二人は仲良くなったの?」
由真の態度が、昨日とは違うことに気が付いた海人は、目を丸くして驚いた様子を見せる。
「海人のおかげかな。……由真、大丈夫だから。それと、水持って来て。冷蔵庫にミネラルウォーター入ってるから」
「えっ、水? う、うん。わかった」
菫も立ち上がると、由真は首を傾げながらも頷き台所へと向かった。
「菫ちゃん。あの画像のことなんだけど……。亜沙美と母さんに確かめたら、やっぱり二人で――菫ちゃん?」
海斗が一生懸命、言い訳と言う名の弁解を始めようとしたその時、傍まで行った菫は、海人の額や首筋に手を当てる。
「……やっぱり。熱あるよ。また、いつものストレス? 自分で気がつかないまま。相変わらずお互い様ね」
「熱……?」
菫の言葉に、きょとんとした表情を見せる海人の姿に、菫は苦笑いを浮かべた。
昔から海人は自分の弱さを他人に見せようとしない。
いつも笑顔で本音を隠し、愚痴さえ一言も口にしなかった。
それが積み重なると、本人も気が付かない内にストレスとなり、身体に現れるのだ。菫と同じように。
「部屋に行くよ。このままだと、いきなり倒れちゃうから。由真、私の部屋に行って白い箱を持って来て。鏡の隣の棚にあるから」
「う、うん。わかった。はい、水」
熱があるとは思っていなかった由真が、心配そうに海人を見る。そして、ペットボトルの水を菫に手渡すと、言われた通りに部屋を出て行く。
「……ごめんね、菫ちゃん。迷惑ばかりかけて。でも、話を聞いて」
「話は大人しくベッドで寝たら聞くから。ほら、行くよ」
海斗は縁側から上がると、菫に手を引かれながら間借りしている部屋を目指す。
どうやら、菫に指摘されると、自分の体調の悪さに今さらながらに気づいたらしい。
一気に辛くなったようで、額に汗が滲み苦しそうだ。
「海人、着替えは一人で出来る?」
「うん。そのくらい、まだ大丈夫」
海斗の部屋へと辿り着くと、由真の声が耳に届く。
その声に返事をしながら、海人の部屋から出るとドアを閉める。傍に来た由真から白い箱を受け取った。
「この箱に何が入ってるの?」
「薬よ」
由真の目の前で白い箱を開けると、そこには、色々な種類の薬が目に入る。その中から、海人がストレスで熱を出す度に呑ませていた医者の処方薬を取り出す。
「海人、着替え出来た?」
「うん。大丈夫」
声をかけ中へと入ると、海人はさらに具合が悪くなったらしく、ベッドに腰かけていた。
「海人、お昼ご飯食べた? 何も口にしていないなら、食欲なくても少し胃に入れて。そしたら、この薬飲んで寝て」
菫が見せた錠剤に、海人の瞳が揺れる。
「この薬……菫ちゃん、まだ持ってたんだ」
「……うん。持ってて良かった。一応、薬の使用期限、六カ月から三年ってあるから、まあ、大丈夫なんじゃない? 一年前のだけど」
苦笑しながら菫が取り出した薬は、海人が今のような症状に陥ると必ず飲ませた物。それを、離婚して一年経った今でも菫は持っていた。
なぜか捨てられずに。
「――ありがとう、菫ちゃん。お昼は実家で食べたから大丈夫」
そう言うと、嬉しそうに海人は薬を飲み干した。そのままベッドへと横になると、子供のように傍に居て欲しいと、菫に駄々を捏ね始める。
「……子供か」
「体調悪いと甘えたくなるよね。僕が甘えるのは、菫ちゃんだけだよ。お願い」
海斗の告白じみた言い方に、菫は恥ずかしくなり視線を逸らす。すると、隣にいた由真がニヤニヤと二人を見ていることに気が付いた。
その視線は生温かく、菫は居心地が悪い。
由真から見たら、ただのバカップルだろう。しかも身内、妹からそう思われるだけで、菫は顔が赤くなる。
「あ、私、居間にいるね。ゆっくり二人で話し合って」
菫が何かを言う前に、由真は軽やかな足取りで部屋を出て行った。
いらぬ妹の気遣いに、菫の心の内は焦りでいっぱい、いっぱいだ。
あの画像の真実を、聞きたいようで聞きたくない。
由真の後を追い駆けようか迷った菫の腕を、海人は掴んだ。まるで、逃がさないとでも言うように。
「お願い、菫ちゃん。話を聞いて」
ここで逃がしたら、一生聞いて貰える機会がなくなる。そう感じた海人は、懇願するように菫を引き寄せた。
そんな海人にあらがえず、菫はベッドの傍の床に腰を下ろす。
途端に感じた、ヒヤリと冷たい床の感触に眉を顰めた。
それとは裏腹に、体調が悪いせいか、それとも菫を思ってか、熱を孕んだ海人の瞳に動揺して動けない。
「最初に謝らせて。……本当にごめん。菫ちゃんに嫌な思いをさせて。確かにあんな場面を見せられたら浮気を疑って離婚したくなるよね。あの時、もっと菫ちゃんに確かめれば良かった。でも、出来なかったんだ。だって、菫ちゃんが元彼と寄りを戻したいって言われたら、立ち直れなかったから」
「は?」
海斗が目を潤ませて菫を見つめる中、何のことを言われたのか、菫自身は理解に時間がかかった。
どうして、ここで元彼が出てくるのかわからない。
「さっき由真ちゃんと話してたでしょ? 海外に転勤になったから別れた元彼の話」
「話はしたけど……もう過去のことだし。それに、海人と出会った時から今日まで……一度も会ってないよ? 私も部署が変わったし、向こうも私に会いに来ることはなかったから」
どうして、元彼の話になるのか菫はわからなかったが、どうやら、海人は菫の浮気を心配していたらしい。
元彼が同じ会社と言うのは気になると言う。
「そうだとしても、いつも仕事優先だから不安になったんだ。結婚も、僕が無理やり迫った感じだったから」
いつもの海人とは違い、子供のように甘え、しかも素直に自分の気持ちをぶつける姿に、菫は心が痛んだ。
仕事を優先する余り、一番大事な人を不安にさせてしまっていたのだと。
海斗の優しさに甘え、自分の考えばかり押し付けてしまったことに、菫は罪悪感を覚えた。しかも、大切なことが海人には伝わっていなかったのだと、今さらながらに気づく。
「……違うよ。私も海人と結婚したかったから結婚したんだよ。軽い気持ちで結婚しないよ。海人の傍に居たいと思ったから」
繋がれたままの手に、菫は思わず力を入れる。
「……初めて聞いた。泣きそうなんだけど」
「子供か……」
良い年をした大人の男が泣く光景はあまり見ない。それが、いつも自分の本心を決して見せない海人の姿は、頑なだった菫の心に入り込む。
「あの画像の説明をさせて」
海斗が涙を拭うと、そう訴えてきた。
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