第32話 熊井家訪問③
「颯、言いすぎよ」
「でも、菜摘も苛々していただろ? 母さんにしつこく質問された辺りから」
「まあね。でも、頑張って耐えていたじゃない。颯から聞いていたけど強烈なお義母様ね。あの人と同居出来る人は、よほどの天然か気の強い女性じゃないと無理ね」
そう思わない? と、菜摘が菫を見る。
「……そうですね。由紀子さんは、可愛らしい亜沙美さんみたいな方が好みのようですし。私は父や家柄からもう嫌われていましたから」
苦笑しながら答える菫に、菜摘は困った表情を見せた。
どうやら、亜沙美のことや菫達の事情も聞いているらしい。
「家柄ね。家柄よりも、わたし自身を見て欲しいけどな。菫さんは……今、無職だって聞いたけど生活はどう? 大丈夫なの?」
「はい。貯金はあるので一年間は問題ないです。自宅警備員も楽しいですよ」
菫がそう言うと笑いが起きた。
「それは大変なお仕事ね。今度、遊びに行っても良いかしら? お仕事の見学に」
「勿論。小さな家ですが住み心地は最高です。それに、一軒家だとアパートのように上下左右を気にしなくても良いので気が楽です」
庭はやっとで草刈りが終わった。もう秋になってしまい間に合わないが、来年の春には、母が好きだった花でいっぱいにしようと菫は考えている。
そして、それを由真と海人と三人で縁側に座り、毎日のように眺めて暮らしたい。菫はそう思った。
「素敵ね。私も庭がある家に住みたいと思っていたの。でも、忙しくて庭の手入れまで手が回らないから、今はマンションで妥協するわ。将来は田舎の一軒家に住みたいの」
夢を語る菜摘の言葉に、颯がにこやかに頷いている。
二人共、仲が良さそうだ。
もうすぐ結婚する二人は絵に描いたように幸せそうだ。そんな姿を見ていると、菫は無性に海人に会いたくなる。
「……菫ちゃん。そろそろ帰ろう。私、明日から学校だから準備したい……」
私達の会話に飽きてきたらしい由真が菫の服を引っ張った。
時計を見ると、時刻は十八時を指している。
だが、何だか由真の様子がおかしい。しかも、焦ったようにソワソワして落ち着きがない。
「宿題は終わったって言わなかった? それに準備も出来ているって……」
朝に菫が口煩く聞いた時、由真は「完璧!」と言った後、アイスを食べ始めたのだ。それなのに、不自然なほど帰りたいと口にする。
まさかと思い、菫が問い詰めると由真が渋々口を割った。
「宿題は終わってるの。でも……明日、始業式が終わったらテストなんだ。それと、言い忘れていたけど、明日お弁当いる。給食は三日後からだから」
宿題をまだやっていない。とかではなく初日からテスト。その予定を菫は初めて聞いた。
「由真。あなた朝から、ぐうたらしてテスト勉強していなかったじゃない」
「……夜にやった方が明日の朝、覚えているかな? って思ってさ」
段々と声が小さくなる由真に呆れてしまった菫は頭を抱えた。
そんな一夜漬けで良いのかと。
「わかった。明日のお弁当のおかず買ってから帰ろう。……颯さん、菜摘さん、そう言うことなので失礼します」
二人は菫達のやり取りを微笑ましく見ていた。
「姉妹と言うよりは親子みだいだね。父さんは母さんに付きっきりだしタクシー呼ぶよ」
「えっ、まだ時間があるので電車で帰りますよ」
「車の方が早いから。気にしないで。それに、雨が降って来たよ」
颯に言われて窓の外を見ると、ポタポタと雨粒が落ち木々を濡らしいく。小雨かと思って見ていると、雨足は酷くなっていく。
「……本格的に降ってきたから車が良いわよ、菫さん。雨に濡れて風邪でも引いたら大変よ」
菜摘さんにまで心配されてしまい、菫は素直に頷いた。
「わかりました。そうします。あ、私、お二人に挨拶してきます。一応、礼儀として」
別に良いのに。と、颯に止められたが、声をかけないで帰るのも失礼に当たると、菫は由真を残して部屋を出た。
颯が言うには、増築していない昔からの母屋にいるだろうと教えられた。
途中で、お手伝いの透子に会い場所を聞く。すると、由紀子と空嗣は家族用の居間にいるらしい。
菫達がいたリビングはお客様用だと言う。
見た目通りかなり広い熊井家を迷いながら歩いていると、やっとで透子が教えてくれ居間に辿り着いた。
そこは純和風の造りで、青木家と同じように縁側と隣り合わせに居間がある。その襖の引き戸の中から声が聞こえる。
「私は許しません。颯の嫁があの人だなんて。もっと若くて素直な良いお嬢さんが沢山いるでしょう? どうして、よりにもよって四十手前のバツイチを貰わなきゃいけないの!」
金切り声を上げているのは、勿論、由紀子で、やはり菜摘を気に入らないらしい。
聞いて良いものか迷ったが、声をかけるのも憚られ迷ってしまった。
「あの年なら子供も出来るかわからないわ。今からでも遅くないから颯を説得して! あの子ならわかってくれるわ。……海人だけで十分よ。気に入らない嫁を貰うのは」
立ち聞きしていた菫の心が一気に暗くなる。
由紀子が菫を気に入っていないのはわかっていたことなのに、直接聞くと、やはりダメージが大きい。
このまま挨拶をしないで帰ろうとすると空嗣の声が聞こえた。
「いい加減にしないか。菫さんは出来たお嬢さんだ。頼りない海人には勿体ないほどに。どうして、それがわからない? 菫さんの父親のことと本人は関係ないだろ。由紀子、君は誰が息子の嫁でも気に入らないんだよ。それが亜沙美ちゃんでも」
今まで聞いたことのない空嗣の厳しい声に、菫の足も止まる。
「そんなことはないわ! 亜沙美ちゃんなら私も嬉しかった。あんなに可愛いお嬢さんだもの」
「亜沙美ちゃんが? 由紀子も私も不在の家に勝手に入って透子さんに命令していた、あの子がか? 娘でも嫁でもないのに、誕生日やクリスマス、イベントの度にプレゼントを当たり前のようにねだっていた子が? 冗談は止めてくれ。あの子が海斗の嫁になったら、私は君と別居していたよ」
驚きの内容に菫は小さく声を上げそうになり、慌てて口元を手で覆う。
まさか、亜沙美がそこまで図々しくしていたとは思わなかった。
可愛らしい見た目とは違って神経は図太かったらしい。しかも計算高いときた。
「でも、亜沙美ちゃんだけよ。私の話を真剣に聞いてくれたのは。優紀も颯も海人も、忙しいからって誰も相手をしてくれないのよ? それに、あなたも」
優紀と言うのは海人のお姉さんだ。
結婚しているため熊井家には住んでいない。
話を聞いていると、どうやら由紀子は寂しかったらしい。その寂しさに付け込むように、亜沙美が常に傍にいたと言う。
まるで、ねずみ講や宗教の勧誘のような手口だと菫は思った。
「それは気づいてやれなくて悪かった。反省するよ。でも、菫さんに八つ当たりはないだろ? 会う度に嫌味や愚痴を言って。あれじゃあ、誰が見ても意地悪な姑だ」
「……だって、菫さんから何の反応もないから。私が何を言っても黙っていて目も合わせてくれないし反論もしないのよ。ただ、受け流すだけで、何を考えているのかわからなかったわ」
その話を聞いて菫は少し反省した。
由紀子に嫌われていると悟った後、熊井家に、由紀子に極力近寄らずにいた。穏便に、波風を立てずにやり過ごしていた。
それが悪かったのかも知れない。
「菫さんと話したいなら、その高圧的な話し方と態度をかえなさい。でないと、海人は一生口を聞いてくれないよ。
「わかっています!」
由紀子の叫び声が響いた後、勢い良く障子戸が開けられた。
「あ……」
菫は逃げるのが遅れ、部屋から出ようとした由紀子と鉢合わせした。
「……菫さん」
会話を聞かれていたのがわかったのか、由紀子も気まずそうに顔を逸らす。
「立ち聞きして申し訳ありません。あの、私と由真はこれで失礼致します。ケーキとお茶をありがとうございました」
居たたまれなくなった菫は、早口でそう言うと頭を下げて背を向けた。
「私、あなたのことが嫌いだったわ。仕事も出来て一人でも生きていけますって、いつも澄ました顔をしていて可愛げがなくて……嫌いだったわ」
由紀子のストレートな言い方は、菫の心を疲れさせる。
仕事でも同僚に色々言われていた菫は、何を言っても真実とは違う噂が回ることを知っていた。そのせいか、すぐに諦める癖があった。
自分が我慢をすれば良いのだと。
それは、父である雅彦の影響もある。
何を言っても、のらりくらりと話を逸らされ聞き入れてくれない。
だから諦めた。その方が楽だから。
「……申し訳ありません。あの、海人さんとの復縁は考えていませんので安心して下さい。それと、もう、お会いすることはないと思います。今までありがとうございました」
「えっ……?」
そう言うと、菫は走り出した。
胸が痛かった。泣いてしまう前に、誰かに泣き顔を見られる前に家へ帰ろうと。安心出来る我が家に帰ろうと全力で走った……。
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