第33話 幸せの団欒
「菫ちゃん。大丈夫?」
「うん。私のことは良いからテスト勉強して早く寝なさい」
あの後、由真や颯達の元へと駆け込むと、挨拶もそこそこに由真を連れ出した。
颯が気をきかせて呼んでくれたタクシーに乗り込み、買い物をして我が家に帰って来たのは一時間前。
時計の針は二十時を回っていた。
夕ご飯を作る気が起きなかった菫は、由真に謝りながら、インスタント麺と冷凍食品を食べて。と、お願いした。
何かあったのだと感じた由真は素直に頷き、食べ終わると心配そうに菫を見る。そして、テスト勉強の言葉で、渋々だが二階へと上がって行く。
由真を見送ったあと、菫は居間でゴロリと横になった。
畳の上で寝ていると、昔へとタイムスリップしたような気分になる。
テレビもつけていない空間は、とても静かで雨音だけが聞こえる。それが心地よい音楽のように思えて菫は目を閉じた。
こうしていると心が落ち着く。
ここが一番安全な城だと知っているから……。
「――菫ちゃん」
声が聞こえて目をあけると、いつの間に帰って来たのか、海人がうなだれて菫の寝ている目の前で座った。
どうやら少しの間、寝ていたらしい。
「……お帰り。ごめん、眠たくなって。メッセージ見た? ご飯作る気になれなくて、何か食べた?」
「うん。食べて来たよ。……菫ちゃんは食べたの?」
「お腹が空いたら後から食べる」
起き上がりもせず、横になったままの菫を海人が酷く心配する。
「ごめんね。また、母さんが酷いことを言ったって……父さんから聞いた」
海人が言うには、仕事が終わってスマホを見たと言う。その後、慌てて熊井家へと向かったが、ちょうど菫達と入れ違ったらしい。
「大丈夫よ。慣れてるから」
そう菫が笑うと、海人が怒ったように菫の手を握る。
「……慣れないでよ。もっと怒っても良いんだよ」
「嫌よ。怒ると体力使うから。それに、傷つきたくないから」
「自分が傷ついたのに我慢するの? 菫ちゃんは諦めるのが早すぎるよ」
握られている手に海人が力を込める。
「人生、諦めも肝心って言うじゃない」
「……そうやって俺のことも諦めるの? 絶対にそんなこと許さないから。菫ちゃんが嫌だって言っても、今度は離れない。ストーカーのように傍にいるから」
海人にしては珍しく怒っている。海人から距離を置こうとしていた菫は、その様子に迷いが出た。
「由紀子さんが泣くよ」
「泣けば良いよ。菫ちゃんに酷いことを言うなら」
「マザコン卒業出来るの?」
「……菫ちゃん酷い。でも善処する」
どうやら海人は、自分がマザコンだと自覚しているらしい。
目を赤くさせて拗ねているのが何だかとっても可愛く思える。
「私、子供出来るかわからないよ? それでも良いの?」
「……何で今、そんな話になるの? あ、菜摘さんか。母さん何て言ったの?」
菫の言葉に、海人は悟った。
由紀子が三十を過ぎている菜摘と菫、二人の年齢を考えて、また嫌味を言ったのだと。
「菜摘さんに『あの年なら子供も出来るかわからない』って。聞いていて私も嫌な気分になった」
医師である菜摘なら、それも考えての再婚だったのだろう。なのに、由紀子は孫がどうしても欲しいらしい。
「子供なら優紀ちゃんの子供がいるから問題ないでしょ? それに、菜摘さんも前の旦那さんとの間に子供いるよ。確か七歳だった。親権は旦那さんみたいだけどね」
「えっ? そうなの?」
菜摘の事情をそこまで聞いていなかった菫は思わず起き上がる。
しかも海人は、孫なら姉の子供が二人もいるから心配する必要はないと言い切った。
「それに子供が出来ないかもって母さんが言ったんでしょ? 菜摘さん医者だよ? そこらへんは考えているよ。俺達、一般人よりも詳しいから。それに菫ちゃんもまだ三十二でしょ? 今は晩婚だから、それを言ったら問題だよ」
そう言って笑う海人だが、女の賞味期限を考えると、やはり出産、妊娠は時間に限りがある。だからこそ、考えてしまう。
「でも、嬉しいな。菫ちゃんが、僕との子供のこと考えてくれているとは思わなかったから」
照れくさそうに笑う海人に菫は言葉に詰まる。
思わず言葉に出たのは、心の奥にある菫の本音だった。口では何度も否定しておきながら、本当は海人と生きたいと思ってしまった。
それが思わず言葉として現れたのだ。
「――結婚してくれる? 菫ちゃん。今度は何があっても離婚しないから」
両手を取られて真っ直ぐに見つめられたままの人生で二回目の真剣なプロポーズ。それも同じ人から二度目。何とも貴重な体験だった。
「海人が……由紀子さんと仲直りしたら考える」
「何でそこで母さんが出てくるの? 菫ちゃんに対する母さんの態度は酷いよ。父さんや兄さんとも相談して、今後一切関わらなくても良いってことになったから」
菫と由真が居なくなった後、家族会議を開いて、そう決定したらしい。
「私は仲良くしないわよ。海人はしてきなさい。親子なんだから」
きっぱりと今後、由紀子とは付き合いたくない。と、言った菫は海人を諭す。
「菫ちゃんも雅彦さんと仲直りしなかったじゃないか」
「私の場合は事情が特殊だから。海人は仲直りしなよ。由紀子さん、海人と連絡取れないって落ち込んでたよ」
菫としては、寂しそうな由紀子の本音を聞いてしまったからこそ、傍にいてあげて欲しかった。
「母さんの自業自得だよ。でも、菫ちゃんがそう言うなら善処する。俺も、マザコンから脱却したいから少し距離をあけたいんだ」
由紀子に対して思うことがあるのか、海人の決意を感じる。なら、菫が口出しすることではないだろう。
「わかった。なら、結婚は海人が由紀子さんと仲直りしてからね」
「えっ? ……そうなるの?」
うなだれた犬のようにしょんぼりする海人が可愛く見えた。
「一年以内に頑張って」
「……一年もかからないよ。多分」
「うん。待ってる」
そう言って笑った菫を、海人が抱き締めようとすると、ガタンと襖が開いた。
「二人共、結婚するの? って、ごめん。お邪魔虫した」
また隠れて聞いていたらしい由真が、海人と菫の密着具合を見て踵を返そうとする。そんな由真を見て、海人と菫は慌てて離れる。
「……由真。あなた勉強は?」
「うーん。わからない所があったから聞きにきたの。そしたら入りにくくて待ってた」
そう言った由真の手には数学の教科書。
「由真ちゃんらしいや。どこ? 僕が教えるよ」
「ありがとう。さすがは海人君! 菫ちゃん、お菓子ないの? 食べようよ」
由真の適当さに呆れながらも、菫はお菓子を取りに行き、ちゃぶ台の上へと広げた。
そして、二人を見る。
難しそうな顔をして問題を解く由真と、それを真剣な表情で教える海人。そんな二人を見つめる菫は幸せを感じた。
こんな何気ない普通の団欒が、家族なんだと。
一人で一生生きていくと決めた菫が、手に入れた小さな幸せだった。これが、これからも続けば良いと、菫は心の中で願った。
家族になりたかった。ただ、それだけかも知れない 在原小与 @sayo
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