第24話 雨降って地固まる①

「――ねえ、何で庇ってくれたの?」


 三人を無理やり追い出した由真は、玄関の鍵をしっかりと閉めると、菫が居る居間へと戻って来た。しかも、眉間に皺を寄せ、まだ怒っている状態で。

 そんな由真に、菫は問う。

何も言い返せなかった菫の代わりに怒ってくれたのは、心境の変化があったのか、それとも別の理由があるのか、菫は気になって仕方がない。


「……菫ちゃんが泣きそうだったから」


 ちょっと伺うように、菫を真っ直ぐに見つめた由真の言葉に、菫は泣きそうになる。

 しかも、由真が菫の名前を呼んでくれた。

 その衝撃の方が強い。

 出会ってから頑なに菫を拒み続け、近寄って来なかった由真に名前を呼ばれるだけで、菫は嬉しいと思った。


「ありがとう。……助けてくれて、そして、名前も呼んでくれて」

「……別に」


 素直に感謝する菫に照れているのか、由真が恥ずかしそうに一言呟くと目を逸らす。二人の間に流れた空気は温かく、そして、もどかしい。

それは、十四年間離れていた姉妹の溝が、少しだけ埋まった瞬間だった。


「それにしても良かったの? 海人にあんなこと言って。海斗のこと好きなんでしょ?」


 海人にべったりだった由真を見ていると、兄や保護者と言うよりは恋愛感情が強いと菫は感じていた。

 十四と言う微妙な年頃は、同級生にはない魅力を持つ年上の男性に憧れる傾向がある。

 由真も例に漏れず、海人に恋心を頂いていると菫は予想していた。だが、菫の問いに由真が不思議そうに首を傾げた。


「好きは好きだけど……菫ちゃんの思っている好きとは違うよ。だって、私、一応、彼氏いるもん」


 由真の告白に、今度は菫が衝撃を受けた。

 まだ中学生の由真に彼氏がいる現実。今の子は早いと聞くが、どこまでの付き合いをしているのかも菫は気になって仕方がない。

 だが、どこまで踏み込んで聞いて良いのかも迷ってしまう。


「えっ、彼氏いるの? まだ十四なのに早くない?」

「普通だよ。小学生の時から彼氏がいた子もいるし。菫ちゃん、考えが昭和だよ」

「昭和?」


 それはどんな意味なのかわからずに菫が聞き返すと、由真がそんなことも知らないのかとため息を吐く。


「昭和って言うのは、『古い』『ダサイ』ってこと。それに、海人君、菫ちゃんのこと大好きじゃん。しばらく一緒に暮らして二人を見てたけど、あんなに甘い海人君、初めて見たよ。何よりも菫ちゃんにベッタリだし、気づいてないの?」


 由真にそう指摘されて菫が口ごもった。

 菫本人は、全くと言うほど海人を意識していない。

 ただの同居人。それ以上でも、それ以下でもなかった。


「海人君は、マンションでお隣さんだった頃から優しいけど一定の距離はあったよ。私は絶対に海人君の部屋に入れて貰えなかったし。そこらへんは、しっかりしてるよね。私のことは、生前にパパから頼まれていたんじゃない? ほら、私、菫ちゃんしか心配してくれる親戚いないから」


 まだ子供だと思っていた由真は、菫が思っているよりも大人びた思考を持っているらしい。

 親戚との関係が薄いと言う意味では、由真だけではなく菫も同じだ。

 雅彦が死んだと、菫に連絡をしてきた叔母と出会ったのも結の葬式以来。

そう考えると、菫はぞっとした。


 海人と離婚して以来、一人でも生きていけると思っていた菫だが、由真がいなければ、一人のままだと言う現実を付きつけられた。

 まだ働ける内は良いが、年を取ると外に出るのも億劫になる。それは、世間から隔離された空間にいるようなもの。

 一人で毎日テレビを見て、ご飯を食べて寝るだけ。話相手もいなくて一日中誰とも話さない。それが一生続くのだ。


「……そんな生活嫌だ」


 菫は危機感を抱いた。

 ずっと一人だと寂しくて、誰かと一緒に暮らしてみたい。

 それが、期間限定だとしても。由真が、社会人として暮らしていけるまで一緒にいたいと思った。


「どうしたの? 菫ちゃん」


 独り言を呟いた由真が怪訝な瞳で菫を見る。


「……由真、話があるの。座って」


 真剣な顔つきの菫に、由真が何の話かと身構えながら、ちゃぶ台を挟んで菫の向かいに腰を下ろす。


「単刀直入に聞くわ。私は由真と一緒に暮らしたいと思っている。由真はどう?」

「え? う、うん。私もここで菫ちゃんと一緒に暮らしたいと思ってるけど。いきなりどうしたの? 期限の八月三十一日が終わるまで待たなくても良いの?」


 海人も含めて三人で決めた、疑似家族ごっこの期限は、由真の夏休みが終わるまで。それまで一緒に暮らして無理なら全員が別々に暮らす約束だった。


「今の由真となら上手く暮らしていけそうな気がするの。ただし、問題起こしたら叩き出す。それと、高校も大学も好きな所を選べば良いわ。お金は出すから。どこを希望しているのか聞いても良い?」


 いきなりの菫の変化に、由真は驚きながらも、少し戸惑ったように口を開く。


「あ、私、看護師になりたくて。ママとパパが入院した時にそう思ったの」


 由真の年頃は、将来の夢を語るのは、少し恥ずかしいらしい。

 菫を伺う瞳は不安げだ。

 まるで、自分の夢を笑われないか、無理だと言われないか怯えているようにも見える。


「素敵な目標だと思うわ。勉強しなきゃね。国家試験は思っているよりも厳しいから。高校は希望している所はあるの?」


 菫が聞くと、具体的に由真は高校名を上げた。

 最初会った時には考えられないほど、姉妹の会話は弾んだ。そして、今後どうするのかの目途もついて一旦落ちつくと、菫は、由真を見る。


「彼氏はどんな感じなの?」


 一番気になっていたことを口にした。

 年頃の娘を持つ親の心境は、こんな感じなのかと菫はドキドキする。


「彼氏? ……そんなに気になる? 同じクラスの子だよ。いつも、学校一緒に行ったり、帰りも一緒に帰ったりする感じ。休みの日にデートしたり普通だよ」


 いきなりの質問に、由真はきょとんとしながら答えてくれた。


「あのさ、由真……」


 どこまでの付き合いを今の十四歳はしているのかわからず、菫は言いよどむ。

 すると、勘の良い由真は、菫が何を心配しているのか汲み取ったようで、苦笑いを浮かべる。


「心配しなくてもキス以上は、まだしないよ。それに、二人きりってことはないから。ほとんどグループ交際だよ」

「グループ交際?」


 由真に詳しく聞くと、二人きりになることはほとんどないと言う。友達や、その彼氏、四人で会っていることが多いらしい。

 それで付き合っていると言えるのか菫は微妙な気がしたが、中学生と言う年齢を考えるなら、その方が安心だった。


「そ、そう。困ったことがあったら言いなさいね」

「菫ちゃんは初彼いつだったの?」


 軽く聞いてくる由真に、菫は答えづらく視線を逸らす。

 家庭の事情が複雑だったこともあり、菫は男性にそこまで良い感情を持っていなかった。そのせいか、恋愛に興味がなく、いつも後手に回り最終的にはお一人様が多い日々。

 本当は言いたくないが、期待を込めた瞳で見つめられると、菫は覚悟を決めて口を開く。


「二十五の時、会社の先輩」

「……意外だね。菫ちゃんなら、もっと早いと思ってた。恋愛下手?」

「悪かったわね……ほっといて」

「ねぇねぇ、海人君とどっちがイケメンだった? その人、まだ結婚してないなら、どう?」


 単純に考えているのか、それともからかっているのか、由真が無邪気に攻めてきた。


「ないわよ。それに、海人とその人じゃタイプが違うから。海人は誰にでも優しい感じだけど、その人は……好き嫌いがはっきりしていたから、顔に出やすいのよ。だから、わかりやすくて居心地は良かった」


 何を考えているのか、わからない腹黒タイプより、考えていることが顔に出てはっきりと言ってくれる人の方がわかりやすい。


「……海人君と正反対だね。何で別れたの?」

「付き合い初めて三カ月で、その人が海外転勤になったの。さすがに三カ月の付き合いで、一緒に行く決断は出来なかった」


 菫の会社は、社内恋愛は自由だったが、やはり周りに知られると、いらぬ気遣いもされるため、当時は隠していた。

 そのおかげか、別れたあとも、周りを気にすることなく仕事に集中出来たことは、菫にとっても救いだった。


「それさ、もし、その人が海外転勤にならなかったら、菫ちゃんはその人と結婚してたってこと?」


 単純な由真は、ドラマの見すぎか簡単に話を纏めようとする。

 男女の関係はそんなに簡単ではない。

 付き合いが長く、同棲をしていても別れる可能性はある。なのに、出会って三カ月で結婚する男女もいる。

 結婚はタイミングと縁だと菫は思った。

 海人との結婚は、まさにタイミングが合ったからだ。


「うーん。それはないかな。結婚したかったら勢いで付いて行っただろうし。縁がなかったんだと思うよ」



「――じゃあ、僕とは縁があったって解釈で良い?」


 由真と菫のおしゃべりに割り込んできた声は海人のもので、それは縁側から聞こえてくる。

 突然の声に驚いた二人は庭に視線を向けた。


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