第6話 歩み寄った姉と妹
いい天気だった。
梅雨前とは思えない穏やかな気候と爽やかな晴天に、菫は嬉しくなる。
建て付けの悪くなった古い縁側の戸を一斉に全部開けると、途端にふわりと柔らかな風が中へと吹き込んだ。
その風とは違い、残念なのは目の前に広がる草だらけの庭。まったく手入れをされていないそこは、足を踏み入れるのさえ戸惑うほど。一歩歩くだけで虫の餌食となるだろう。
「少しずつ手入れしないと。あそこにあるの紫陽花だ……。懐かしい。葉っぱばかりで花が付かなさそう。栄養足りないのかな」
灰色の平垣の手前に、元気いっぱいに広がる緑は、菫の母が大好きだった紫陽花だ。その大きさは、百五十七センチある菫の背ほど。
ぼちぼち掃除と手入れをして行こうと決意し、菫は太陽の日差しを気持ち良さそうに浴びた。
時刻は午前七時。仕事をしていた頃は、五時や六時に起きることが普通だった。 その習慣からか、菫は今日も五時に目が覚めてしまった。
もう一度寝ようか迷ったが、目が覚めてしまい諦めて起き上がる。着替えると、顔を洗いご飯を作り始める。
昨日の夜から何も食べてない由真のために。
料理が終わると、掃除を終わらせてしまおうかと掃除機を取りに行き、止めた。
「やっぱり、ご飯食べた後の方が良いよね? 埃が舞うし汚いから。それよりも、由真を起した方が良いかな」
昨日、あんなことになって、はっきり言って気まずかった。だが、時間は迫っている。学校に遅刻するよりもマシだろうと、階段へと向かった。すると、タイミング良く由真が制服姿で階段を下りて来る。
「おはよう。――ご飯食べるわよ。早く顔を洗って来て」
菫が声をかけるが、由真は相変わらず不機嫌で返事がない。しかも、階段を下りると、その場所から動かない。
「いつまでふて腐れているのよ。この家に住みたくないなら帰って来たら相談ね。武井先生にも連絡入れるから。ご飯はちゃんと食べなさい」
そう菫が早口で言うと、由真は渋々顔を洗いに洗面所へと向かった。
台所でご飯をよそい、ちゃぶ台へと運ぶ。
朝食は白米と押し麦を炊いて、やまいもをかけた麦とろご飯。大麦は気力が増し胃の働きを補う効果がある。食欲不振や消化不良にオススメだ。
味噌汁はしじみ汁。主に二日酔いに効く。
仕事をしている時、菫の朝はほぼ、しじみ汁。もちろんインスタントの時もあったが朝食は絶対食べる。それが菫の決めたルールだった。
仕事で苛つきストレスが溜まると家で酒を飲む。そして朝はぐったり。そんな時、このしじみ汁が助けてくれる。
あとは朝食の定番の鮭はタンパク質を。牛肉とゴボウの炒め煮とサラダは昨日の残り。
並べ終わると由真が不機嫌さを隠すことなく現れた。
そして、並べられた食事を見て目を丸くしている。
「……料理出来たんだ」
「出来るわよ。どれだけ一人暮らししていたと思っているのよ。一人で暮らしていたら自然と身に付くから。それより早く食べなさい。学校は何時までに行くの?」
由真にさっさと座って食べろと促した。
反抗しながらも、大人しく菫の言葉に従う所を見ると、どうやら相当お腹が空いているらしい。
育ちざかりの中学生が、夜に一食抜くだけでもひもじいだろう。ご飯を差し出すと、由真が何も言わずに食べ始めた。
菫の質問にも答えず「いただきます」も言わない。その行儀の悪さに呆れるが、食べるだけマシだと菫は立ち上がる。
「……一緒に食べないの?」
「後で食べる。全部食べて良いわよ」
そう言うと、菫は台所へと戻って行った。
由真から話かけられたが、菫は忙しかった。なぜなら、料理の仕込み中だからだ。
大きめの鍋で焚いているのは大根。
昨日、スーパーで買い物をしている時、急にふろふき大根が食べたくなって買って来た。
冬と違って旬ではなかったせいか一本が驚くほど高い。
それでも、菫は食べたかった。なぜなら、菫の母は、ふろふき大根が得意料理。この家に帰るなら一番に食べると決めていた。
夜に美味しく食べるために、朝から準備をして味を染み込ませる計画だ。出来上がりの味を想像する菫の顔がにやける。
「……ねえ、おでん食べたい」
ぐつぐつと煮えている鍋を眺めていた菫の背後から声がかかる。
その主は、いつの間に来ていたのか由真で、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出した。
「もう、食べたの? おでん食べたい?」
食べ始めてから十分も経っていない。
あまりの速さに、口に合わなかったのかと菫は不安になる。だが、おでんをリクエストされるのなら問題なかったのかもと、ちらりと居間のちゃぶ台へと視線をやる。
遠目に空の皿も見えるが、料理は残っていた。
しかも、味の感想が何もない。せめて、まずいか美味しいかだけでも教えて欲しいと菫は思う。
「……食べたい」
もう一度聞くと、由真が答えた。
煮込んでいる大根が入った鍋を見る。
確かに、まだ味付けはしていない。このままおでんにすることも可能だ。初めての妹のお願いに菫は快く頷いた。
由真も関係改善に歩み寄ってくれたのだと思って。
「良いよ。作っておく。由真、あなたお昼は給食? お弁当なら一応、作っておいたけど?」
「……給食。ねえ、仕事は? お休みなの?」
昨日、遺産のことしか話せなかったせいか、大事なことを由真に伝えるのを忘れてしまっていた。
もうすでに、菫は仕事を辞めてしまっていると言うことを。
「ああ。……有給」
菫は、つい嘘を付いてしまった。
ここで話し始めると話が長くなって遅刻してしまう。それに、生活費のことで由真に心配をかけたくなかったのが本音だった。
生活費は、菫の母の遺産。それに、今までの貯金と失業保険で賄う予定になっている。菫は、このだらだらとした自由な生活を送るのは一年間だけと期限を定めて。その間は、自由に、好き勝手に生きようと決めている。
持ち家の強みか家賃もいらず、その分、贅沢をしなければ問題なく生活出来る計画だ。
「……ふーん。そうなんだ」
そう言うと、由真は鞄を掴むと玄関へと向かった。菫も見送りに行こうと玄関へ向かう。だが、由真は「行って来ます」も言わずに家を飛び出して行く。
「……前途多難だわ」
年の離れた妹はまったく懐かず、餌付けをしても「美味しい」の一言もない。ハリネズミのような刺々しさに苦笑しながら、菫は居間へと戻った。
ちゃぶ台の上には、サラダやゴボウは残っている。他は全部食べたらしい。どうやらピーマンだけでなく、野菜が苦手なようだ。
だが、少しでも食べてくれたのが嬉しかった。
「あとで、おでんの材料でも買いに行くか。それまでに部屋の掃除でもするか」
由真が帰って来るまでの予定を頭の中で立てる。
台所へと戻ると、ぐつぐつと美味しそうに煮えていく大根の様子を見守った。
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