第37話スパイ

「父上が褒めていたぞ。アイツは面白い奴だって」


 城下町にある、空き家に見せかけたアジト。そこでグラスを傾けヘンリー王子が、今日城であった事を語る。


「くくく。アイツはそういう奴ですよ。ですからあいつに料理の腕を期待しても、政治の事を期待しても仕方ありませんよ」


 ヘンリー王子の話を聞いて、バーカウンターの隣の席に座るアドルフはくつくつと笑う。どうやらテツの行動は、狸オヤジの予想を裏切り厨房見学に向かったようだ。今頃コックたちと意気投合し料理について語っている姿を想像し、アドルフはとても愉快な気分になっていた。


「一応戦力になれば、と考えていたがまぁいいだろう。彼の事は除外する。それでも十分戦力は整っているからな」


 薄暗い部屋で、二人は窓から入ってくる僅かな月明りだけを頼りに酒を呑む。確かに戦力は十分揃っている。ここまでくるのに20年近く費やしたのだ。そうでなければ困る。


「20年ですか。思えば長い道のりでした」

「ああ、全くだ。だがそれももうすぐ終わる。あの組織、「ノアの箱舟」と名乗る神を気取ったあいつらの息の根を止められるんだ」


 カラン、と静寂な空間にグラスの中で溶けた氷のこすれる音が響く。アドルフはテツには「組織の事はあまりよく分かっていない」と説明したが、実は既にほとんどの事が分かっていた。だがそれを口にしなかったのは、それでもアドルフはテツを巻き込みたくなかったからだ。


「で?彼女の裏は取れたか?」

「はい。リナ第一王女は、やはり教会のトップとか関りがある事は明白です。ノアの箱舟は、元々教会の人間が立ち上げた組織。リナ第一王女が彼らと手を組んだのは、やはり王の座に就くためでしょう。最近では彼らと頻繁に密会しているのが目撃されている様です」

「くくく。決戦が近くなり、最早隠す必要がなくなってきたという事か。舐められたものだな」


 ヘンリー王子が機嫌よく笑い、そして二人のグラスに酒を注ぐ。


「この件が終わったら、お前はカプリ伯爵家に嫁ぐんだったか。まぁお前ほどの男が冒険者なんかしているなんて勿体ない。勝利と共にお前の式も盛大に行わなくてはな」

「ありがとうございます。また貴族に戻ると思うと胃に穴が開きそうですが」

「くくく、そう言うな。俺が王座に着けば、お前にはこれ以上ない待遇を約束しよう。最後まで期待しているぞ?」


 勝利に。二人はグラスを合わせ、そして一気に飲み干す。そのまま二人は立ち上がり、振り返ることなくアジトを後にする。アジトは再び誰もいない空き家に戻り、薄明かりに光る二つのグラスだけがカウンターの上で残されていた。


「20年か。確かに長かったな……」


 改めて考えると、何故自分がこんな大変な立ち回りをしなければならなくなっていしまったのか。貴族に嫌気が差し、そして自由を求めて冒険者になったはずだった。それがどうだ。気が付けば、貴族のごたごたに巻き込まれているじゃないか。全く損な立ち回りだと、アドルフは月を見上げため息をつく。


 昼間は大分暖かくなってきたが、まだまだ夜は冷え込んでいる。アドルフは真っ黒なローブのフードを被り、まるで誰かから逃げるかのように素早く移動する。誰にも見つからないよう、誰にも気づかれないように。


 出来るだけ路地裏を歩き、月明りのない影を歩き続け、そして月が雲で覆われるタイミングで大通りを移動する。それを繰り返す事一時間。アドルフ素早く、先ほどとは違う空き家に辿り着き中へ入る。


「遅かったわね。誰にも見つからなかった?」


 建物の中に入ると、直ぐに綺麗で透き通るような声が聞こえる。部屋は真っ暗で何も見えないが、アドルフはすぐに膝を付き頭を垂れる。


「ハッ。遅くなって申し訳ありませんでした。念を入れて何度も道を変え追っ手を撒いてきたので、そちらの方は大丈夫です」


 雲で隠れていた月がだんだんと姿を現し、そして窓から部屋の中に光を届けてくれる。徐々に部屋の中は明るくなり、そしてアドルフの前に立つリナ第一王女の綺麗な顔を照らし出した。


「ふふ。いつも通りでいいわよ。相変わらず真面目なんだから。それに追っ手の事は心配してないわ。貴方が優秀だという事は、私が誰よりも良く理解しているのだから」


 リナ第一王女は、アドルフに優しく微笑む。その言葉を受けアドルフは立ち上がり、そして二人は部屋の奥へと入っていく。


「ああ、久しいなアドルフ殿。少し老けたか?」

「お久しぶりです、アルバイン副神官長。そういう貴方も少し髪が薄くなったのでは?」

「ば、馬鹿者!気にしているのだ!相変わらず失礼な奴だ……」


 この空き家自体はとても小さいものだが、地下へと続く階段があり、ここは副神官長の自宅と繋がっている。現在三人は、副神官長の自宅の地下の一角にある隠し部屋にいるという事だ。部屋の中心にテーブルが、その上に地図といくつかの書類が置いてあるだけの殺伐とした部屋だった。


「戯れるのもその辺にしておけ。今は時間が惜しい。アドルフ」

「ハッ」


 リナ第一王女の一言で、二人は顔を引き締め、そしてアドルフは先日ヘンリー第一王子から「見たら燃やせ」と言われていた書類を懐から取り出しテーブルの上に置く。


「これがヘンリー王子から受け取った書類になります。やはり彼は気が付いていないようです。自分が利用されているだけの事に」


 その書類をリナ第一王女のとアルバイン副神官が手に取り、一通り目を通した後テーブル戻す。


「ふんっ。まぁそれでも無能という訳ではないようだ。こちらの勢力をしっかりと把握している」

「そうのようですな。ですが同時に我々の策にハマっているともいえますぞ」


 アルバイン副神官の言葉に、リナ第一王女は「そのようだな」と目を細める。


「よくやったアドルフ。お前は本当によくやってくれている。この作戦が終われば、必ずそれ相応の報酬を出そう」

「ありがとうございます。ですが、その言葉は作戦が成功した時まで取っておいてください」

「ふっ。相変わらず真面目な男だ」


 表情一つ変えないアドルフに、リナ第一王女は微笑み、アルバイン副神官も頷き同意する。


「今回の作戦、アドルフ殿なしではここまで順調にいかなかっただろう。全く、あの時の少年がここまで育つとはな」

「俺はただ振り回されているだけのように感じるけどな」


 わざとらしく肩をすくめるアドルフに、二人はくつくつと笑う。そういえば、とアドルフはヘンリー王子から渡されていたメダルを取り出しテーブルに置く。それを見た二人は感嘆の息を漏らし、リナ第一王女はもう一度アドルフに微笑む。


「これを渡したという事は、いよいよお前はこの件が終わり次第、奴の懐刀の一人となる事を約束されたという事だ。よくぞそこまでの信頼を勝ち取ってくれた」

「うむ。これでヘンリー王子が心からアドルフを信頼しているとわかる。これで更にやりやすくなったわい」


 三人は頷きあい、そしてリナ第一王女が口を開く。


「状況の最終確認をするぞ。ヘンリーは我々が「ノアの箱舟」の一員だと思っている。だがそれは違う。そして、ヘンリー自身も「ノアの箱舟」ではない」


 ヘンリー王子は利用されているのだ。以前ノアの箱舟の一員がヘンリー王子に接触。そしてリナ王女が「王国を乗っ取り王座に着こうとしている」と嘘の情報を流した。ヘンリー王子とリナ王女は何度も対立し、そして結局誤解が解ける事はなかった。


「奴は操られているだけの人形だ。我々がノアの箱舟だと思い込み、そして我々を潰し、自身が王座に着こうとしている。馬鹿な兄だが、それは許すわけにはいかない。もう我々は引き返せない所まで来ている」


 ノアの箱舟はヘンリー王子を操り、そして王国を乗っ取ろうとしている。もう引き返せない所まで来ている以上、リナ第一王女はヘンリー王子ごと組織を潰さなくてはならない。そしてアドルフは長い間スパイとして働き、ヘンリー王子の情報をリナ第一王女に渡していた。


「だが問題があった。騎士達はヘンリー派が多いという事、そして王都の貴族はヘンリー派が多いという事だ」


 ヘンリー王子とリナ王女に対する貴族のパワーバランスは均衡している。だが騎士達は違う。王族は剣の腕も鍛えるのがこの国の習わし。ヘンリー王子は剣の才があり、そして騎士達に支持されていた。同時に王都周辺の貴族たちはリナ第一王女を指示していたが、王都の貴族はヘンリー王子派が多いという事。それによって何が起きるか。


「当然貴族の中にも、騎士の中にもノアの箱舟は混ざっている。いざ二つの勢力がぶつかる決戦の日、実際に城を守るのは王都の貴族の部下である騎士達だ」


 ここまでの戦いは互角。ではどうやって次の王を決めるか。それは現国王のスクルス王の判定であり、同時にその審査対象に国民がどちらを支持するかが重要となってくる。


「来る一月後の決戦の日までに。どちらも貴族を連れて王都中を歩くことになる。どちらが多くの貴族に支持されているか国民に、父上に示すために」

 

 街はお祭り騒ぎになるだろう。だがその間、城を守るのは騎士達だ。当然彼らの目も王女達に向いているだろう。つまり王を、現国王スクルス王の首を取るのには絶好の機会という訳だ。


「ヘンリーが操られ、騎士達の多くがヘンリー派。城を守るのもそんな奴を支持する騎士達であり、ノアの箱舟の奴らだ。」


 だがそこを逆手に取る。そう言い、リナ第一王女はテーブルを強く叩く。


 スクルス王首をとる絶好の機会、ならばノアの箱舟の奴らは下手な部下には任せず、必ず成功させるように幹部が出てくるはず。


「我々はそこを叩く。既に周辺騎士達は集めてある。奴らにばれないように少数だが、選りすぐり奴を選んだ」


 作戦は単純だ。国民、騎士、貴族の全ての目がヘンリー王子とリナ王女に向いている間に、スクルス王の首を取ろうとしてる組織に対し、リナ第一王女の集めた兵が颯爽と現れそれを阻止する。国民にも、貴族にも、国王にも、全ての人間がリナ第一王女を英雄と感じるだろう。


 作戦はいたって単純だが、それを実際にやるのは大変なことだ。敵の情報を正確に把握し、敵の目をかいくぐり兵を用意し敵をうつ。それも国規模の作戦となれば、これだけの長い年月を要して行う必要があったのだ。


 勿論アルバイン副神官の協力もあり、教会中の情報も把握している。単純だからこそ、それだけ神経をすり減らして立てた作戦だった。


「最後まで頼むぞ、二人とも」

「「ハッ」」


 リナ第一王女が話しを締めくくり、アドルフは元来た道を戻り、リナ第一王女とアルバイン副神官は反対の扉へと消えていく。


「ふう。さっさと終わらせてテツの飯が食いてぇなぁ……」


 夜の街を一人歩くアドルフの呟きは、冷えた風に混ざりどこかへと消えていく。あと少しだ。アドルフは自分に言い聞かせ、夜の闇へと消えていった。


 一方その頃テツは……。


「成程、つまり動物の骨さえも料理に使うのか」

「ああ、しかしその魔法があればこんな料理だって出来るな」

「ああ、もっと言えば……」

「何だと!?だったら……」

「おお!ならこんなのどうだ……?」


 他のコックたちが先に帰る中、テツとボブは夜遅くまで料理について話し合い、そして互いに料理を試作し続けていた……。

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