第36話王城厨房

「と、ところで「三ツ星シェフ」って何だ?というか異世界ってなんの話だ?」


 城の厨房にて、漸くテツの興奮が収まり、部屋の一角にある席に二人は座りながら話す。勢いに負けて働かせることを認めてしまったが、冷静になりまずは相手の事を知らなければと考えたボブが、テツと少しでも話をしようと思ったからだ。


「ああ、俺は流れ人なんだ。一度死んで、そしてこの世界で生まれ変わったから、俺からしたらこの世界は元居た世界と別の世界。異世界って訳だ」


 そして三ツ星と言うのは、元の世界の料理の店で一番栄誉ある称号。その店が、世界で通用する腕だと認められた店にが貰える。自分はそこの料理長だったと、テツはボブに説明する。


「ほう。つまり料理の腕には多少自身があるって事か。面白れぇ。だったらそれを証明してみせな。ここじゃ実力が全てだ。さっきは手伝わせるって言っちまったが、大したことなかったら、暫くは皿洗いしかさせねぇぞ」


 テツが料理人だとしり、ボブの目つきが変わる。同じプロなら話しが早い。料理は作らせればその腕が分かる。それに異世界の料理なんて面白いじゃないか。


 ボブは挑発するように笑みを浮かべテツを見つめ、テツもそれを笑みで返す。二人は立ち上がり、そして調理場へと向かった。


「食材はこの辺にあるのは、何を使ってもいい。駄目なものがあったら、その時は俺が止める。まずは好きにやってみろ」

 

 ボブが調理場の一角にある冷蔵庫のを開き話す。そこには野菜や肉などがきれいに並べられている。だがどれも野菜の切りくずや、肉の切れ端ばかりだ。恐らく賄い料理を作る為に、他の料理の切れ端を残しておいたものだろう。だがテツにはそれだけで十分だった。


「何人前作ればいい?」

「そうだな。なら十人前作ってくれ。俺だけでなく、此処にいる全員に味見をさせて皆で納得のいく審査をしたいからな」


 つまり、彼の独断と偏見では決めない、という事。そして誰もが「美味しい」と感じる料理が必要という事だ。


 ここまでの旅で分かったことは、この世界の人間の味覚は、地球の人たちと大して変わらないという事。アドルフをはじめとして、皆が食事をし、それに対して抱く感想はテツと同じだった。だったら今まで通り、今までやってきた事をやるまでだ。


 ここでポイントとなるのは、調理の時間をあまりかけすぎない事、そしてあまり拘った物を作らない事だ。彼らは仕事中だ。時間をかけすぎれば邪魔になり、料理が完成する頃にはストレスが溜まってしまう。ストレスがたまれば味覚が狂う。味がわかりずらくなってしまう恐れがある。そして拘り過ぎると、それが好みではない人が出てきてしまう。皆が美味しいと感じ、シンプルで時間のかからな物。


「ん?この肉はカモ肉か?」

「ああ、そうだ。それは「カモガール」って肉だ。異世界にもカモガールっているんだな」


 地球にはそんな乙女な動物はいない。だが見た目や臭いはカモ肉のそれだ。だったら料理は決まった。


 伝統的な料理には、時代を超えて愛される理由がある。それだけ人々に受け継がれ、愛される理由が。


 テツは他にもオレンジを手に取る。後はちょっとした香味野菜と、調味料を手に取る。


「おいおい、地球の料理人ってのは狂ってんのか?肉とオレンジなんてどうするんだ?」


 その予想通りの言葉に、テツはニヤリと笑う。以前フルーツのリゾットを作った際、アドルフにも似たような事を言われたことがある。つまり、この世界では料理に果物は使わないらしい。その意外性と、地球の伝統的な料理があれば、彼らを納得できる料理が作れるだろう。


 用意した食材は、・カモ肉の切れ端・オレンジ。

 そしてソース用に・赤ワインビネガー・砂糖・オレンジジュース・レモン・コーンスターチ・オレンジ風味のお酒・レモン・オレンジ。


 本当はフォン・ド・ウ”ォー(子牛の肉や骨、香味野菜などで取った出汁」を使いたいが、ここにはないようなのでそれは仕方がない。


 顔を顰め見つめるボブをよそに、テツの料理が始まった。


 まずは肉だ。下処理は出来ているようだがそのサイズがマチマチだ。大きな塊もあれば、小さな切れ端もある。まずは肉に塩コショウをして、大きなものから中火で焼いていく。中火にするのは、カモ肉には余分な脂が多いためだ。その油を出し捨てていく。その為かも肉を焼くのには、強すぎず弱すぎずが基本。そしてそれを62℃のオーブンで焼いていく。


「お、おい。そんな低温でいいのか?」

 

 ボブは慌ててテツに問いかける。基本的に肉を焼くオーブンの温度は180℃。高温調理では220℃以上となる。だが近年地球では低温調理と言うものが注目を集めている。


「ああ、これはこれでいいんだ。これは低温調理って言って、肉をしっとりと焼くために適した調理法なんだよ。肉のたんぱく質は58℃~60℃で固まりだす。そして68℃から水分作用、つまり水分が抜け出やすい温度になってくる。俺が色々研究した結果、カモ肉にはこの温度が丁度いいんだ」


 これを用いれば、肉の水分が失われず細胞が絡みにくくなるので、肉の中身がしっとりと仕上がる。低温調理の温度は人それぞれだが、意外と家庭でも出来るものが多い。


 例えば鳥のささ身。サラダに使おうと茹でたらすぐにぱさぱさとしてしまうが、これも低温調理を使えばしっとりと美味しく作ることが出来る。そしてその方法も簡単。肉が浸るくらいの水を用意し、沸騰したら肉を入れ30分~50分程火を止め蓋をした状態で置いておくだけ。冷たい肉を入れることでお湯の温度は80℃くらいになり、ゆっくりと肉に火が入りしっとりと仕上がる。これも立派な低温調理だ。


  ボブはすぐさまメモ帳を取り出し、メモを取り出した。そしてテツは、彼が本物の調理師だと確信する。調理師とは、理を調べる者と書く。つまり食材、調理法の全ての現象を理論的に調べ理解する者たちだ。彼は料理長に上り詰めてなお、見知らぬ料理人を前にしてなお、学ぶことを辞めていないからだ。


 テツは度々肉をオーブンから取り出し、肉から出た油をかけながらその肉を触り、そして温度を確かめながら次々と小さな肉を入れていく。脂をかけるのは肉が渇かないように。そして違うサイズの肉が、同時に同じ状態で仕上がるように。


 後はソースだ。鍋に砂糖を入れ、火を入れカラメル色になったら赤ワインビネガーを入れる。酸味も火を入れそれを飛ばせば旨味に代わる。酸っぱい香りが無くなったところでオレンジジュースを入れ細かく切った野菜を入れて三分の一ほどに詰める。その後オレンジ風味のお酒とレモン汁を少し入れ風味付けして、コーンスターチで濃度付けすれば完成。


 家庭では最低限の・砂糖・酢(種類は何でもよい)・オレンジジュース・コーンスターチがあれば十分美味しく仕上がる。ポイントは砂糖をカラメル色にしてお酢の酸味を飛ばすところだけだ。去れさえ守れば香ばしいオレンジ風味のソースになる。


 後はアクセントに、オレンジの身に砂糖をまぶして焼いていく。そうすればカラメルのついたオレンジの身が出来る。


「さ、仕上げだ」


 お皿の周りにカラメル色のオレンジを並べ、真ん中にカットした肉を並べソースをかける。見た目はシンプルだが、昔から愛され続け、同時に高級レストランにも並ぶ料理、「カモのオレンジ風味、ビガラードソース」の完成だ。


「さあ、食べてくれ。これが地球のフランスという国の郷土料理だ」


 自信満々に話すテツの周りには、気が付けばコックたちが集まる興味津々に皿を見つめる。この世界にはメインディッシュに果物は使わない。それがどんなハーモニーをだすのか想像もつかないのだ。


「じ、じゃあ食べるぞ」


 ボブは恐る恐るといった表情で、肉を掴み食べ、そして目を見開く。まず肉だ。どうしたらこんなにしっとりと焼くことが出来るのだ。そして肉の旨味さえ逃がしていない。この肉が、ただの切れ端だった肉がこんなに美味しいなんて信じられなかった。


 同時にこのソース。合わないと思っていたこのソースが、素晴らしいハーモニーを醸し出している。肉にそっと寄り添い、まろやかなオレンジの酸味と甘味が肉を包み込んでいる。


「それだけじゃないぜ。今度は肉とオレンジを同時に食べてみてくれ」

 

 ボブの反応に、テツは心の中でガッツポーズを取りながら不敵な笑みでもう一口進める。ボブは今度はそれを躊躇うことなく口に運ぶ。


 ああ、なんて素晴らしい。今度は更にカラメル色に染めたオレンジのダイレクトな甘味、酸味、そして香ばしいさが肉と完璧なハーモニーを醸し出している。ソースだけの時は優しく寄り添い、オレンジと一緒の時は肉と手を組み一緒に歩んでいるようだ。どちらも肉を最高の状態で味わえる。いや、これ以上の料理はないと思ってしまうほどだ。


「どうだ?完璧な組み合わせだろ?これを俺のいた世界では「マリアージュ」という。つまり「結婚」と言う言葉を使う。それはまるで夫婦、数いる人々の中から、唯一無二の最高のパートナーと出会い、寄り添う。そんな夫婦の様な組み合わせの事を」


 ああ、そうだ。これは夫婦だ。それも幸せな、最高の夫婦だ。


 ボブはテツの言葉に納得する。そして実は彼は気が付いていないが、クマのような顔をした彼の顔は、現在とても気持ち悪いくらい蕩けていた。その事にテツはくつくつと笑い、それを見たコックたちは待ちきれなかったのか、次々に皿の上の料理を口に運んでいく。


「す、すげぇ……。何だよこれ、これがカモガールかよ」

「なんて奥深く見事な組み合わせなんだ……。こんな料理があったのかよ」


 皆テツの料理が気に入ってくれたようだ。テツは皆が料理に魅了され、それについて語り合うのを満足そうに微笑み見守る。やはり伝統は素晴らしい。受け継がれるものには、それだけの魅力がある。異世界の人々さえ魅了してしまう程の魅力が。


 そんなことを考えていると、いきなりボブがテツの手を掴み顔がくっつきそうな勢いで話しかける。


「て、テツ!お前を試すような真似をして悪かった!だから頼む!俺に異世界の料理を教えてくれ!」


 その顔を押しのけながらテツは苦笑する。まさか、自分が料理を教えてもらうつもりが、相手の方が教えて欲しいと言うなんて。


「わかった、わかったから。ならこうしよう。俺は地球の料理を教える。だからお前は俺にこの世界の料理を教えてくれ」


 あっさり許可が出たボブは驚く。それもそのはず、レシピというのは、料理人にとって命のような物だ。それを簡単に教えるというテツにボブは驚き、そしてにやりと笑う。


 やはりこいつは本物だ。確かにレシピはコックの命。だが同時に、それしか出来なければ、そのコックはそこまでだろう。だがこいつはレシピを簡単に教えると言った。こいつはいつだって先を見ているんだ。俺はいつだって新たな物を作れる。もっと先に行けると言っているようなものだ。レシピなんて、単なる文字。その腕次第では、それを無限大に広げる事が出来る。


「わかった。これからよろしく頼むぜ、テツ」

「ああ、俺たちでさらなる高みへ行こう。ボブ」


 二人は固く握手をし、ニヤリと笑う。こうして地球の最高峰、三ツ星シェフと、異世界王国最高峰、王城シェフが手を組むのだった。

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