第22話出航

「出航だ!!」


 騎士隊長ケイトが叫び、船が一隻港町カプリから出航する。目的地は運河に浮かぶ小島で、獣国の人々や、ケイトの部下を救うためだ。


「いやぁ!気持ちいな!船とはいつ乗ってもいいものだ!」

「「ああ、そうですねお嬢様・・…」」


 何故こうなってしまったのか。先日とは違い、赤のドレスのようでありながら、しっかりと動きやすいようにズボンやブーツを穿き、金色の長い髪を靡かせるクロエの姿がそこにはあった。


「ん?どうした二人とも。気分でも悪いのか?折角の船出だ。辛気臭い顔をしていたら勿体ないぞ?」


 綺麗で整った顔をしている彼女と、船の上で会話をするなど男なら喜ぶ状況かもしれない。だがテツとアドルフはどうしてもそんな気分にはならなかった。


「なぁアドルフや。俺は不安で不安でたまらないのだが」

「テツさんや。俺もだ。意地でも彼女を連れてくるんじゃなかった」


 波は穏やかでまだ朝日がまぶしく、海から来る潮風が頬を撫でる。天候にも恵まれて、最高の船出日和だが、二人の気分はどうしても上がらない。


「ふふっ。それでも彼女は「障壁のクロエ」って言われるほどの腕前なのでしょう?なら心配ないのでは?」

「「いや、まさにそこが心配なんだよ」」


 船の手すりに捕まり、暗い顔をしていた二人にメアリーが話しかけてきた。先日、伯爵邸でクロエの事を聞いたメアリーが、少しでも戦力になるのなら、と言う一言で彼女の乗船が決まってしまった。


 「障壁のクロエ」、それが彼女の二つ名らしい。学生時代から彼女は有名で、貴族の中でもその容姿は美しく、そして気高い彼女は人気があった。その上気さくな彼女に言い寄る男性も多かったという。だが彼女はその全てを断っていた。理由は一つだ。


 彼女はドMだからだ。


 だがその事を知るものは少ない。学生時代の親友とカプリ伯爵邸の限られた人間しか知らない。先日その事を聞いた伯爵邸での会話を思い出し、二人は深くため息をついた。


「実はクロエは幼少期に一度盗賊に攫われてしまったのだよ。だがすぐに騎士を派遣し、そして馬車で連れ去られたクロエを発見した。結果的に無事救出されたわけだが、そこで彼女は目覚めてしまったわけだ」


 伯爵邸で、クロエがついていくことになってしまった伯爵は、信頼できそうなテツとアドルフに彼女の過去を話し始める。


「攫った盗賊と騎士達は当然戦った。だがその時騎士の一人が放った魔法が、運悪くクロエの乗る馬車に当たり、そして馬車は大破してしまった」


 そして馬車から転げ落ちた彼女にさらに悲劇が襲う。馬車が壊れたことに驚いた馬が暴れまわり、なんとクロエを蹴り飛ばしてしまったそうだ。馬の脚力は想像以上に強い。地球でも「馬力」と言う言葉が今でも使われる程だ。


 だが彼女は生き延びた。寧ろ怪我一つしてなかったそうだ。この世界には魔法がある。その瞬間、彼女は本能的に、身を守るために「魔力障壁」と呼ばれる魔法を使い、そして生き延びたそうだ。


「しかしその時から彼女は変わってしまったのだ。何故か隙を見ては馬に近寄り、そして蹴られようと必死だった。何度も危険だからと止めた。だが彼女はやめなかった」


 そしてついに彼女は皆の目を盗んで、馬に蹴られてしまった。それを遠目で見ていた伯爵は慌てて彼女に近寄った。当然だ。子供が馬に蹴られれば死ぬことだってある。


「大丈夫か!?そう言い近づいた彼女は無傷だった。だが彼女の表情を見て、彼女は無事ではないと確信した。もうその時には手遅れだったのだ……」

 

 まるで男を知った時の女性のように、彼女の顔は蕩け、そしてこう言ったそうだ。


 ああ、お父様。痛いって、気持ちいいのですね。と。


「その時私は確信したよ。この子はもう駄目だと。そして決めた。この子に貴族の全てを教えようと。貴族と常に仮面を被り、その心を簡単に晒してはならない。もしこの子が至る所で、その性癖を発揮したのなら、カプリ家の娘は変態だと広まってしまう。だから私は彼女に全てを叩き込んだ」


 顔を両手で覆い、悲痛に語る伯爵。一方テツとアドルフはドン引きしていた。これが先日の出来事である。


 因みに、彼女が数々の男性を振った訳は、自分に理想の快感を与えてくれる男性が居なかったからだそうだ。


「なぁアドルフさんや。「障壁」って事は、それだけ攻撃を受けるって事だよな」

「ああ、テツさんや。恐らく今まで全ての攻撃をあえて受けてきたんだろうさ。魔法ってのはその人の性格が出るもんさ。火が好きな人は火魔法が得意だし、小さい頃に火傷をして火にトラウマがある人間は火魔法が苦手。これは既に解明されている。彼女は傷みをより強い痛みを味わいたくて「魔法障壁」が特化しちまったんだろうさ」


 二人は流れる運河を見て、また深くため息をつく。当然だ。彼女は「受けたがり」なのだから。これから戦う相手は巨大なサーペントと呼ばれる魔物だ。その攻撃を受けたがるお嬢様に何かあったらたまったもんじゃない。というか攻撃を受けに行ったらどうしよう。


「二人とも、こんなところでどうした?浮かない顔をしているが」

「ああ、レイか。それにメルとミル。何でもないよ。そっちこそどうした?」

「ああ、貴殿らに改めて感謝を言おうと思ってな。我々の国も者達の救出に参加してくれてありがとう」

「そういうのは無事救出してからにしようぜレイ。俺もテツもきっちり報酬は貰うんだ」


 それでも、と頭を下げるレイは相変わらず律儀だった。メルとミルもぺこりと頭を下げ、そしてすすすっとテツの両脇に立ち、体をテツに預けた。二人の頭を撫でてやると、二人はにへらっと笑い、手に頭を擦り付けてくる。本当にペットを飼っている気持ちになるテツは、暫く二人の頭を撫で癒されようと思う。


「おいテツ。一人よこせ。お前だけずるいぞ。俺も癒されたい」

「いや、やめとけよ。これまで何度お前が撫でようとして殺されかけた」


 カプリの街までの道中、テツにばかり懐く事に嫉妬したアドルフは、何度も二人の頭を撫でようとトライした。だが二人はそれを躱し、いつの間にかアドルフは転がされ噛みつかれていた。二人は獣国でも辺境に位置する「ミグ族」と呼ばれる集落の出身らしい。


 ミグ族はその数は少なく、中々里から出てこないで有名だが、同時にその戦闘脳能力はとても高い事でも有名らしい。以前メアリーがその里に訪れた際、二人はメアリーに懐い、それからの仲だという話だ。


「メグ族は一度主を決めると一生その者に着き従う風習がある。二人はメアリーを生涯主としている。だから普通は誰にも頭を撫でさせやしない。アドルフが悪いのではなく、テツ殿が例外なのさ」


 テツに撫でられ嬉しそうにしている二人を見て、レイが苦笑しながらアドルフを撫でさせる。


「ならレイ、頭を撫でさせてくれ」

「そうか。どうやら貴殿は死にたいらしいな」

 

 アドルフがレイの頭に手を伸ばすのより早く、レイが剣を抜きアドルフの首筋にそれを置く。


 二人の相変わらずのやり取りに苦笑しながら、辺りを見回すと、いつの間にかメアリーは楽しそうにクロエと話をしていた。沢山の騎士が船を操り、これから戦闘をしに行くことが嘘であるかのように運河は穏やかだった。


 テツはサーペントの味を想像し、口元を緩ませる。それから半日ほど経ち、ついに目的の小島の傍までやってきたのだった。

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