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その日の夕食は抜きという、下層育ちにはたいして応えもしない罰を与えられ、しかしむしゃくしゃした気持ちを晴らせないままヴェルヴィオイは、終わらない宿題を次々と壁に投げつけて、就寝時間を迎えていた。
ファルネンケルへの定例報告と、自身の着替え等々のために退室するアミスターゼを見送って、目下の宮女にヴェルヴィオイが散らした勉強道具の片づけを命じ、
ゾライユにおいて、温泉の湧くタンディアのような特殊な土地は別にして、入浴は毎日の習慣ではない。顔と手足は朝夕に洗面器や桶で洗い、局所は排泄の都度濯ぐが、清拭によって清潔を保つのが一般的である。水道施設がさほど発達しておらず、風呂の準備がたいへんなこともあるが、それだけで十分な気候風土でもある。
ヴェルヴィオイに足浴をさせながら、赤い髪を丁寧に梳き終えたヨデリーンは、その後全裸にさせたヴェルヴィオイの全身を、余すことなく拭き清めていった。
ヨデリーンに邪な気持ちは無いのだろうが、おっとりとした美女の柔らかな手は、不機嫌なヴェルヴィオイの獣性を刺激する。空腹は別の欲求も常より大きく膨らませ、若い身体は敏感に反応した。
「ねえ……、ヨデル」
それでも、あからさまに情欲をぶつけるような真似はしない。清拭を終えたヨデリーンへ切なげに呼びかけて、もじもじとした素振りを装いヴェルヴィオイは、その情けに訴えかけるようにして宮女の袖を引いた。
「お慰めをしましょうか?」
それは姦淫の罪にはならないと、己に強く言い聞かせながら、掠れる声でヨデリーンが問う。
「うん、して。お願い……」
「はい」
献身的なヨデリーンは、覚えたての仕事に対する取り組みもまた熱心だった。
まだまだ拙いながらも慈愛に満ちた奉仕を済ませると、帯から取り出した
「お粗末様でございました。アミスターゼ様をお呼びします」
*****
「もうお済ませなんですか? 早かったですね」
今日は入浴もしたらしく生乾きの髪をして、こざっぱりとした様子で戻ってきたアミスターゼの心無い一言に、一旦はすっきりとしていたヴェルヴィオイは再び荒れた。
「早い、言うな! しょうがないだろ、バリアシ教徒のヨデリーンは変な具合に頑固で、お願いすれば処理してくれるようにはなったけど、他の宮女たちみたいには色々させてくんないんだからっ。何が一番腹立つって、ゼラルデの婆さんが、俺がむちゃくちゃやりたい気分の時に、ヨデリーンを寄越してお預けくらわして、それが罰になるってわかってるってとこだよな!」
「効果覿面ではありませんか。夕食を抜かれたことよりも、よほど効いているでしょう? 貞淑が売りのロジェンター美人に、含んで飲んでもらえただけでも良しとしときなさい。十人並みの赤毛と寝るよりよほど贅沢です」
「そりゃまあそうなんだけどさ、ああむかつくっ!! ……そこで俺は考えた」
寝台の上で胡坐をかいて、ぼすぼすと殴り付けていた大きな枕を両手両足で抱え込むと、ヴェルヴィオイはその上に顎を埋めた。
「またいらないことを」
心の声とすべき台詞をためらいなく口にする、いい性格をした守役を上目に見つめて、ヴェルヴィオイはめげずに言った。
「女といいことできないなら、男とすればいいんじゃない? てことでアスター、俺とやんない?」
「……何ですか、そのおつむが弱い結論は?」
他に考えようはなかったのかという短絡的な誘いに、アミスターゼは言葉を選ぶ気にもなれなかった。
エスメルタによって明かされたヴェルヴィオイの生育環境に、アミスターゼはなるほどと納得した次第である。
最初に男娼かと問うてしまったのは当たらずとも遠からず、花街でしかも娼館の跡取り息子として、娼婦や裏社会の男たちに囲まれ揉まれて育っていれば、一般的な倫理観に乏しく、性に早熟にも、奔放にも、過激にもなろうというものだ。
「空腹をごまかし性欲を満たし、適度な運動とくそばばあの鼻を明かした快感によって快眠を得られるという、人間の三大欲求をまとめて叶える素晴らしい結論じゃないか!」
「叶えられるのは、あなたの欲求だけですよね。私に拒否権はあるんですか?」
「気が乗らないなら拒否ってくれても構わないよ、アスター。俺、合意の上ですんのは好きだけど、無理やりはするのもされるのも好きじゃないから。
けどあんた、俺に接吻できるわけだから、絶対男もいける口だよね? 身命を賭せる義兄弟っていうのができたら、肉体でも固く結ばれちゃおうってつもりがあるんだろうしさ。
てかさあ、ぶっちゃけアスターって、男好きとも思わないけど、女嫌いなんじゃないのって俺疑ってるんだけど? あんたの女を見る目って、男を見る目よりも冷たいよね?」
ヴェルヴィオイが他人に向ける観察眼は鋭い。弱みというほどの支障はないが、女性嫌悪を見抜かれていたことに内心で舌打ちしながら、アミスターゼは渋々といった
「どうしてもとおっしゃるならば夜伽を務めて差し上げますが、下手に私と関係を持って、中毒になっても知りませんよ」
「それはまたずいぶんと大きく出たねえ。自信があるんだアスターは」
アミスターゼの亜麻色の髪に手を伸ばし、それに指をくぐらせ遊びながら、立てた枕に片頬を埋めてヴェルヴィオイはくすくす笑う。年齢にそぐわぬ自信を備えているのは、果たしてどちらかとアミスターゼは思う。
「そういう意味ではございません」
「じゃあどういう意味さ? 言ってご覧よ」
「深読みは必要ありません。毒のある虫や蛇がいるように、この世には毒のある人間もいる――それだけです」
「まーたまた、面白いこと言うね、アスターは。あんたが毒舌なのは知ってるって」
アミスターゼに冗談を言ったつもりはないのだが、ヴェルヴィオイは己を捧げるだけの主君には足らず、まだまだ自分が『ファルネンケルの弟子』であることの神髄を、教えてやれる段階にはきていない。
どこまでをどう説明したものかと、アミスターゼが思案していると、無人のはずの衣装用納戸から、どすん、ばたんという人が暴れているような物騒な物音がした。
「何? 今の?」
「そのままで、ヴィー」
表情を硬くしたアミスターゼは、怖がりこそしていないが、笑いを引かせたヴェルヴィオイを寝台の上に押し留めると、剣の柄に手をかけて衣装用納戸の扉へと向かった。
にわかに場を満たした緊張感の中、そばだてた耳で扉向こうの様子を探っていたアミスターゼは、
「い、たたあ……」
漏れ聞こえてきた可愛らしい呻き声に、仰天しながら一息に扉を開けた。
「殿下!?」
「で、んか……って……、マルソー!?」
当惑しきりなアミスターゼの発言に、こちらもまた驚きながらヴェルヴィオイがその近くまで駆け寄ると、倒れた衣類掛けの傍らで、そこにかかっていたらしい衣服の下から這い出したマルソフィリカはきまり悪げに微笑した。
「え、へへ……。初めて出た場所だから、引っ掛けて転んじゃった」
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