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「この、無礼な端女は何なのです!!」

 皇帝の寝所から出て、そのまま女に連れて行かれた先の同じく客人の間で、エクスカリュウトの姿を見つけるなりに、ルドヴィニアは憤怒をぶつけてそう質した。


 件の女に対する憤りのせいで、ルドヴィニアの中から、昨日の夫の帰還や房事に関するあれこれが、綺麗さっぱりとぶっ飛んでしまっていたのは、幸か不幸かわからない。今おどおどとせずにエクスカリュウトと向かい合えているのは、怒りに任せたおかげと言えなくもない。


「何だヘルガフィラ、名乗っておらぬのか?」

 ルドヴィニアを待つ間に、目を通していた書類の管理をスタイレインに任せて、エクスカリュウトは呆れたように女にふった。


「人を当然のように端女扱いする、傲慢なへちゃむくれに、名乗る名前は無いでおじゃるよ」

 皇妃であるルドヴィニアを、平然と侮蔑して女は言った。耳を疑うような悪口に、ルドヴィニアは怒髪冠を衝く形相で女を振り返る。


「へっ、へちゃむくれえっ!?」

「端女か。大ロジェンター出身の皇妃殿下にしてみれば、郷では姫、姫と崇めたてまつられるそなたさえも、ただの端女に過ぎぬのであろうよ」


 どちらの肩も持つつもりはないらしく、妻と女の双方を軽くからかうような物言いをしてから、エクスカリュウトは悠然と安楽椅子に掛けたまま、ルドヴィニアに女を紹介した。

「ルドヴィニア、それはズウェワ土侯の二の姫で、ヘルガフィラという」

「そして陛下の妾でおじゃるよ――」


 そう自ら付け足してヘルガフィラは、挑発的にルドヴィニアを見据え、唇に強気な笑みを湛えながら、 唖然としてその場に立ち尽すルドヴィニアの脇をわざと擦るようにして通ると、安楽椅子の肘掛けに腰を預けて、そこに座るエクスカリュウトに、これ見よがしにしなだれかかった。


「のう我が君、こんな貧相で、何でも人にやらすようなへちゃむくれでは、閨でできることなど高が知れていて、たいそう物足りなかったでごじゃりましょう? 昨夜は独りで寂しかったでおじゃる。今宵はこのヘルガを可愛がってたも」

「あー、わかったわかった」

「おざなりな返事でおじゃりますなあ。絶対の約束でごじゃりまするよ」


 ヘルガフィラはエクスカリュウトの首に腕を回し、拗ねて尖らせた唇でその口を塞ぐ。エクスカリュウトは軽く目を伏せて、女の頭を抱き寄せながらそれを受け入れた。



「な、な、な――、何をしているのお前! わたくし目の前で、陛下にせっ、接吻をするだなんて……! へっ、陛下も陛下ですわ! そんなあたっ、当たり前にそんな女と……! めっ、妾なんてわたくしは認めないわ!! お前――お前、ヘルガフィラとかいうお前! 早く陛下から離れなさいよっ!!」


 目の前で繰り広げられる、夫と『自称』妾の濡れ場に衝撃を受けながら、僅かに覗いたエクスカリュウトの表情と、女の頭を抱える指先の動きにルドヴィニアは狼狽していた。昨夜夫が、どんな顔をして自分に口付け、自分の身体に、どのように指を這わせていたのかを、目の当たりにしたような気分になったのだ。


「このへちゃむくれが、へちゃむくれのくせに、強欲だのう」

 興がそがれたといった顔つきで身を起こし、ヘルガフィラはルドヴィニアに向き直ると、どんと突き出た胸を張り、きゅっと括れた腰に両手を当てて、挑むように顎を上げた。


「よき女子おなごは奪い合われるもの。よき男子おのこは分かち合うものでおじゃる。我が君はよき男子ゆえ、ヘルガは妾で我慢してやると言うておる。へちゃむくれには何が不満か?」


 何が不満かと問われれば何もかもが不満だが、へちゃむくれなどという呼ばれ方をして、まともに相手をしてやるようなルドヴィニアでは無い。皇妃の矜持で瞳を燃やし、きっとヘルガフィラを睨みつけてから、項の上で一つ結びにした髪を撥ね上げる勢いで顔をそむけて、ルドヴィニアは夫に詰め寄った。

「――どういうことでございますかっ!?」


 エクスカリュウトは煩雑そうにルドヴィニアを眺め、それから矛先を受け流されて、こちらもまなじりを吊り上げているヘルガフィラに視線を移した。


「ヘルガフィラ」

「はいな」

「与えた部屋で休んでいてくれ。夜には必ず呼んでやるから」

「……絶対でごじゃりまするよ」


 エクスカリュウトの言葉に、ヘルガフィラは不承不承従った。利かん気な女のようだが、皇帝には絶対服従であるらしい。



*****



 エクスカリュウトに挨拶を済ませ、ヘルガフィラがスタイレインに送り出されるのを見届けてから、ルドヴィニアは改めて夫に詰問した。

「どういうことでございますか? 妾を連れて戻られるなんて」


 汚らわしい――。


 漏れかかった心の声を、ルドヴィニアはかろうじて呑み込んだ。その努力にも係わらず、表情はたいそう雄弁であったが。


「どうもこうも……、ズウェワ土侯がやるというので、友好のために貰ってやった。それだけだ。差し当たってはズウェワに置いてくるつもりにしていたが、あれは男並みに馬を走らせ、武器を手に取るような女子でな、後で迎えをやると言っても聞かずに付いてきた」


「わたくしという妻がございますのに……?」

「だから何とする?」

「何とも何も、立派な不貞ではございませんか!!」


 悪びれないエクスカリュウトに向けて、ルドヴィニアは声を荒らげた。同時に他の女を可愛がれる指で、唇で、夫はまた自分に触れたのか……!

 まるで懲りてくれていない夫と、そんな夫の薄汚いもので、悦びを得てしまった自分の双方が、情けなくて気持ち悪くて涙が滲んだ。



「不貞、か」

 唇を固く結んで、涙を堪えるルドヴィニアを、エクスカリュウトはさも不思議そうに見つめた。


「今も昔も、そなたはそう言って私を責め、汚物を見るような目で見るが、他の女に伽をさせたからといって、詰られる意味が私にはわからん。そなたの誓いを叶え、そなたの唯一の夫として添い遂げてはやろう。しかし私は、この先そなたを唯一の女とするなどと、誓約してやった覚えはない。後宮に使われていない部屋が無数にあることを、そなたは疑問に思わなんだか?」


「それは……、いずれ生まれる、皇子皇女のためのお部屋かと……」

 後宮というものは、皇帝とその家族が家庭生活を営む場所であるはずだ。ルドヴィニアの、いかにもルドヴィニアらしい純な解答に、エクスカリュウトは小さく噴き出した。


「それも間違いではないが、数年ぶりに股を開いたかと思えば、そなたは一人でどれだけ赤子をひり出すつもりか? 今から絶えずはらを膨らませて、立て続けに十人産んだとしても、余りに余っているであろうが。私が出自の限りなく低い母を持つ、妾腹の生まれであることを、知らぬわけでもなかろうに」


 そこで一息をついてから、エクスカリュウトは前のめりの姿勢になって、話に本腰を入れた。


「ゾライユの皇帝は、常時三人までの后妃を娶り、好きなだけ妾を抱えられる。女というのは金食い虫ゆえ、限度は考えねばならぬがな……。あのヘルガフィラだけではない。タンディア、キルメリス、ゼウロウにも、既に私の妾がいる。そしてそれ以外の土侯たちからも、いずれは皇帝領の有力者たちからも、続々と女が納められることになるだろう。

 私はそれら全てを受け取り妾とし、状況に応じて下げ渡しを検討し、功労によっては左右の側妃に取り立てる。そなたの常識からは外れておろうが、これがゾライユの流儀というものだ。皇妃といえども口出しはさせぬ」


「それでも、これまでは――」

 これまで、エクスカリュウトは、表立って愛妾を持つことはなかった。クリスティナという美貌の宮女を、密かに寵愛してきたことはあっても……。

 だからルドヴィニアは誓えたのだ。何があっても、いつまでも、エクスカリュウトの妻でいると。その地位が、他者に脅かされるものではないと、当然のように思ってきたから。


「これまでとこれからは違う、ということだ、ルドヴィニア。これよりロジェンターとの和平交渉を取り行う。二夫にまみえずと誓ったならば、そなたは講和の証となれ。権威に煩い舅殿のために、そなたの称号を皇后と改め、今よりも一段と高い所に飾ってやろう。本来であれば、皇太子を上げた妃に昇らせる位だが、この先そなたが国母となれずとも、我が世が続く限りにおいて、正室の座から引きずり降ろされることの無きように」



 ルドヴィニアが立てた誓いへの、これがエクスカリュウトの答えなのか……! 皇后に立てられれば、確かにルドヴィニアは、この先エクスカリュウトが何人の女と関係しようとも、墓の中まで正妻でいられるだろう。

 しかしルドヴィニアがなりたかったのは、そんなものではない。模範的なバリアシ教徒の男なら、妻に二夫に見えぬことを望むかわりに、それに等しい貞節で応えてくれるものだ。

 ……ロジェンターの父王はそうではなかった。だからこその嫌悪も、憧憬もあった。教義に反するとわかっていながら、父が節制できなかったことを、異教徒の夫に求めるのは、土台無理な話なのかもしれない。だが、これでは、あまりにも――。


「陛下、はっ……! 陛下を傀儡にした、わたくしの父への腹いせに、わたくしを一生、皇后と言う名のお飾り人形にしようというのですか!?」


 そして指をくわえて見てゆけというのか。夫が自分の前を素通りし、他の女を愛してゆく様を――。


 へちゃむくれとまで言われて、認めるのは口惜しいが、あのヘルガフィラがそうであったように、皇帝の寵を競うため、後宮へと送り込まれてくるのは、女の魅力溢れる名花ばかりだろう……。

 そうしてきっとそのうちの誰かが、エクスカリュウトの心まで掠め取ってしまうのだ。かつてクリスティナが、昼の間は取り澄ました宮女のつらでルドヴィニアに仕えながら、夜な夜な夫を誘惑する妖婦と化してそうしたように――。


「名ばかりの后でいるのが嫌ならば、私の歓心を買う努力をし、閨の務めを果たせばよいだけだ、ルドヴィニア。昨日のようにはっきりと、声に出してねだれるならば、他の女らと順繰りに、私の寝所へ渡らせてやらぬこともない」


 閨の務めを果たし、皇太子を上げること――。それがエクスカリュウトへ嫁がされた、己の役割であるのだと、今ではルドヴィニアも痛いくらいに理解していた。


 だがしかし、郷に入って郷に従わざるを得ないにしても、許容には限度というものがある。

 クリスティナとの終わった関係を知らされただけでも、あれだけ痛手を受けたルドヴィニアに、不貞を不貞と捉える倫理観すら持ち合わせず、多数の妾たちと日替わりで、愛欲に耽るつもりでいる夫と、その汚され切った閨房で枕を交わすなど……、堪えることができようか?


「そんなこと、するものですか!! わたくしはもう二度と、陛下のご寝所へは渡りません! 陛下がどれだけお願いしてきたって行ってあげないわ!」


「好きにするがよい。そなたの気が変わらぬ限り、私もそなたを呼ぶことはせぬ。ここはゾライユ、私が取り戻した私の国だ。もはやロジェンターの属国ではない」



 取り返しのつかない夫婦喧嘩を、冷然と買ったエクスカリュウトに、ルドヴィニアは奥歯を強く噛み締めながらくるりと背を向けた。そうして真っ直ぐ出口に向かい、とぼけた風情のスタイレインに向けて、扉の前で苛々と命じる。

「開けて――! 今すぐ、開けなさいよ!」


何処いずこへ向かう気か?」

「自分の室へ帰ります。陛下のお顔なんて見ていたくありません」

「そなたの室は、いささか風通しが良うなっておるが?」


 『狼心皇帝』として帰還してからのエクスカリュウトは、以前よりも弁が立ち、嫌みが冴えているように聞こえる。それだけかねてのエクスカリュウトが、発言にも影響を受けるほど、ロジェンターに抑圧されていたということの表れかもしれないが……。改めて夫は、こんな男だったのかと、ルドヴィニアにはむかっ腹が立って仕方がない。


「スタイレイン」

「はい」

「我が奥方を、仮の室までお送り申し上げるよう。ロジェンターとの和平のために、皇后になって貰わねばならぬ御方ゆえ、丁重にな」

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