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 クリスティナはこうして、ゼラルデが画策するままにエクスカリュウトの情人となった。

 己の就寝を待たずして、宮女の一人が毎夜のように退室してしまうことを、鈍感なルドヴィニアとてさすがに不審がっていたが、ゾライユには気の利いた宮女が少ないので、皇帝の寝支度の手伝いにやっているという乳母の説明を、幼い皇妃は額面通りに受け止めた。


 当初はひたすら己を憐れみ、傷心するばかりのクリスティナであったが、エクスカリュウトと逢瀬を重ね、どこまでも深く沈みゆくような、皇帝の心の闇を垣間見るうちに、その孤独な魂に惹かれるようになっていた。

 囚われの身の焦燥と怒りをぶつけるようにして、時に荒々しく嬲られることもあったが、その行為はいつしか、クリスティナの身体を官能的に揺さぶるものでこそあれ、心を抉るものではなくなっていた。

 猛々しく美しい少年皇帝の、眼差しや愛撫から伝わる一途な恋情に、女としての優越感をくすぐられ、悦楽の糧ともしている卑俗な自分自身を、クリスティナの最も冴えた部分は、計算高く冷ややかに見つめていた。



*****



「ルドヴィニア様に、どうかいま少し穏やかにお接し下さいませ……」

 猛る少年の煩悩を巧みに導き、共に昇りつめた後の気だるさがたゆたう中、エクスカリュウトの胸に身体を預けていたクリスティナは、間近にある彼の顔に、嗜めるような微笑みを向けた。

「わたくしの前では、こんなにも、お優しい顔もなさるのに」


 自分の頬の上でからかうように踊る情人の指先に、エクスカリュウトは己が手を重ね握り締めてその動きを止めさせた。

「何故お前がそのようなことを言う? お前は私とこうしているのがそれほど嫌なのか?」


 責めるような口調で問うのは、エクスカリュウトの不安の表れだ。

 クリスティナはエクスカリュウトに情を感じていながらも、時折焦らすように想いの欠片をちらつかせるだけで、明確に言質を与えてはいなかった。

 求められるまま肉体を開き悩ましく応えながら、命じられて従っているに過ぎぬという冷淡な素振りを滲ませて、エクスカリュウトを片恋の迷路の中にのめりこませていた。


「いいえ……、ですが、わたくしが乳母様に叱責を受けるのです、夜毎陛下のご寝所に侍りながら、不埒な快楽にふけるばかりで、陛下を懐柔できぬのかと」

 そう言ってクリスティナは、しおらしく視線を外す。憐れみを誘う仕草は演技だが、伝えた内容は事実であった。


 日々の食事を始めとして、若過ぎる皇帝夫妻は毎日顔を合わせていたが、常に黙りを決め込んでいるエクスカリュウトを、ルドヴィニアはあいかわらず怖がっており、一向に進展の気配が無い二人の様子に、ゼラルデは苛立ちを募らせて、クリスティナに八つ当たりをしていた。



「愚かなことを。本気で言っているのだとしたら、ルドヴィニアの乳母の目も存外節穴だな」

 クリスティナを引き寄せ、その柔らかな身体を抱き締めて、再び欲情を刺激されながら、エクスカリュウトは苦悩するようにこう言った。


「これ以上、どう、堕ちろという――? 私は完全に骨を抜かれて、何でもお前の言うなりだぞ」

「それでは、ルドヴィニア様と仲良くなさって下さいませ」

「まるで子供の喧嘩の仲裁のようだな」


 二つ年上の情人から姉のように諭されて、拗ねるようにぼやくエクスカリュウトの耳元に、甘い吐息を吹きかけながらクリスティナは訴えかける。


「姫様は、まだ、子供ですもの。妃殿下――と申し上げるべきでしたかしら? 年長者であられる陛下が、大人の振る舞いをなさって下さらなくては、乳母様に苛め抜かれてわたくしは病気になってしまいます」


「それは困る。お前がいなくては、私はもう日も夜も明けぬのに。だが私にどうせよと言う? 私を嫌い避けているのはルドヴィニアの方だろう」


「ルドヴィニア様とお目が合われた時に、ただ微笑んで下さればよいのです。陛下のご容貌は、たいていの女にとって魅力的ですもの。陛下の厳しいお顔つきを、ルドヴィニア様は少しばかり怖れて、意地を張っていらっしゃるだけですわ」


 ゼラルデはまだ気付いていないようであったが、幼い主君の微妙な変化を、クリスティナは敏感に察知していた。

 口に出しては粗野な田舎者と罵りながら、獰猛で美しいしなやかな獣に見惚れるようにして、熱を帯びたルドヴィニアの瞳が、戸惑いながらもエクスカリュウトの姿を追っていることを、クリスティナはしばらく前から見抜いていた。



「ルドヴィニアがその気になればいつでも抱いてやる。義務だからな。だが、ルドヴィニアに、私の胤をくれてやるつもりはない」

 濃藍色の瞳を暗く沈ませながら、エクスカリュウトは薄氷のように瞬くクリスティナの双眸を覗き込んだ。


「ロジェンターが私を生かしているのは、ルドヴィニアを孕ませる為だ。ルドヴィニアが皇子を産み、種馬の役を果たしてしまえば、私は間違いなく殺される。そうだろう――?」

「陛下……」


 エクスカリュウトは自分の置かれた立場を正確に把握していた。

 ロジェンターが待ち望んでいるのは、少年皇帝エクスカリュウトの成長ではない。ロジェンター王家の血を受け継いだ、ゾライユ皇室の正統な後継者の誕生である。それが果たされればエクスカリュウトは、むしろ邪魔な存在とみなされてしまうだろう。


 その若さと母親の出自の低さゆえに、常に侮られがちであるが、エクスカリュウトは非凡であるとクリスティナは感じている。狼の仔であるという最初の印象は、おそらく穿った見方ではないと。


 ゾライユの先帝ケイラジウロが、孫のように年の離れた宮女に産ませた皇子。最も年若く、何の後ろ盾も持たない皇子であったがゆえに、ロジェンター王ウォストラル三世は、エクスカリュウトを生かしゾライユの玉座に据えた。

 しかし彼の本質は――? ウォストラル三世は、飼い犬の群れに紛れた狼の仔を選び出し、国を与える愚を冒したのではないだろうか?



「強くおなりになられることです」


 ロジェンターに謀殺されることなく、生きながらえることができたならば、エクスカリュウトはいつか、囚われの鎖を断ち切るだろう。

 この少年が成人し、強靭な君主として北方の国々の頂点に立つことを、クリスティナは支え夢見てみたいと思った。


「お命に仇なす敵は、全て滅ぼしておしまいになればよろしいのです」


「クリスティナ、お前は――」

「ただの戯言です。お忘れ下さいませ」

 驚愕するエクスカリュウトに、凄艶なまでの微笑を向けて、クリスティナは心蕩かすような口付けを彼に与えた。


「私の子は、お前が産むといい、クリスティナ」

 再燃した欲望にまかせ、クリスティナの冷ややかに燃え上がる肉体に挑みかかりながら、エクスカリュウトはその耳元で囁いた。

「お前の子ならば、機知に優れ、聡く強かに育つであろう――」

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