第四章「夜宴」

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 戦が終結して、およそ一年。

 偉大な主を失ったゾライユ帝国の玉座を、ロジェンターに担ぎ上げられた若い皇帝が埋めてから、半年が経とうとしていた。


 短い秋は逃げるように過ぎ行き、季節は早々と冬支度を始めていた。花の彩りを失くした寒々しい庭を、ルドヴィニアは憂鬱な思いで眺めやる。

 ゾライユの帝都アスハルフは、寒冷の地にあった。先帝ケイラジウロはその御世の多くを戦争に費やし、遷都の計画を頓挫させたままに世を去っていた。


 エクスカリュウトの皇妃、ルドヴィニアの故国ロジェンターもまた、雪深く冬が長い北国である。

 北方一を誇るその広大な領土の内には、樹木の育たぬ厳しい凍土が含まれていることを、ルドヴィニアも知識としては持っていたが、ロジェンターの王都オークラートはそこそこ温暖で過ごしやすい南部に位置しており、彼女が肌で知るロジェンターは、ゾライユよりも格段に暖かかった。



 ルドヴィニアは淡褐色の髪に薄茶色の瞳をした、取り立てて美しくも、才気走ったところもない、どちらかといえば平凡で目立たぬ部類の少女である。

 取り得は名門王室の国王夫妻を両親に持つ由緒正しい血筋だけ、などと陰口を叩く者もいるが、育ちの良い王女らしい気品と優雅さ、そして苦労知らずの無邪気さが具わっていた。


 ロジェンターと友好関係を築いている他国に嫁せば、大いに歓迎されたかもしれないルドヴィニアのそれらの美点は、しかし、ゾライユの帝国民には苛立ちと反感を与えていた。

 暴君のように宗主権を主張する、威圧的なロジェンターの象徴のような彼女に、宮廷人のみならず、民草までもが苦々しく口惜しい思いを抱いていたが、ルドヴィニアがその事実に気付き、自己の立場へと思いを巡らせるようになるには、今しばらくの成長を必要としていた。



*****



 その夜、ゾライユの皇宮では、ルドヴィニアの十三歳の誕生日を祝して、特別に夜宴が催されていた。

 剽悍な騎馬民族が興した、尚武の国ゾライユの皇宮は装飾よりも機能重視である。

 堅固な城塞といった印象で、祖国の精美な王宮を見慣れているルドヴィニアには、無骨で味気なく感じられる宮殿であったが、いつもより多くの明かりが灯され、人々の装いが花を添える今日ばかりは、賑々しく煌めいて見える。


 故国ロジェンターでは歳が足らず、一度も夜会に臨席することは叶わなかった。けれどもゾライユにおいては、女子の成年である十六歳に満たずとも、嫁せば一人前というこの国の慣習により、皇妃であるルドヴィニアは当初から大人の扱いを受けられた。何より今宵の主役であるので、誰に憚ることもない。


 ルドヴィニアは踊りが好きで、それだけは人より巧みにできる自信があった。ロジェンターの宮廷舞踏会が開かれる夜には、漏れ聞こえる音楽に合わせながら、乳姉妹のメラニーアンを相手に円舞の練習をしたものだ。


 宴に踊りが付き物なのは、ゾライユの宮廷でも同じである。しかしゾライユの良家の婦女は、ルドヴィニアのような皇帝周辺の女人を除いて、家の奥に隠されているものであり、宴席に招かれた男の相手を務めるのは、酌を取る宮女か、呼ばれていれば遊女であるのがお決まりだ。

 ゾライユの民族舞踊は素朴で単調で、ルドヴィニアは見ているだけで、すっかりとその振りを覚えてしまったが、そういった事情から誰に誘われることもなく、余興として眺めているしかできなかった。



 上座に設けられた特別席に腰を落ち着け、祝いを述べにやってくる者たちと、二言三言言葉を交わす合間に、ゼラルデの差し出す料理を摘まんだり、お湯割りの蜂蜜酒で喉を潤したりしながら、ルドヴィニアはちらちらと、形ばかりの夫の端正な横顔を盗み見ていた。

 粗野な乱暴者と思っていたエクスカリュウトが、きつく整った顔立ちの、非常に綺麗な少年であることに、ルドヴィニアはある時、気付いてしまった。


 気付けば気になり、気になるはいつしか恋に変わる――。


 恋をした相手は、既に自分の夫である。喜ぶべきなのであろうが、特別な異性として意識を始めると、硬化していた態度はさらに頑なになった。それまでの自分を撤回して、手の平を返したように媚を売ることは、ルドヴィニアにはとうていできない相談であった。


 そんな彼女の心の内を知って知らずか、エクスカリュウトは以前に比べると、遥かに穏やかに接してくれるようになっていた。親しくとまではいかなかったが短い会話を持つようになり、時には微かな笑みを向けてくれることもあった。

 それはもちろん、クリスティナの閨での訴えが効いていたからなのだが、そんなことは露ほども知らぬルドヴィニアに、恋の期待を持たせるような錯覚を起こさせるには充分な効果があった。



 今宵、ルドヴィニアの胴に巻かれた帯は、誕生日の祝いとしてエクスカリュウトから届けられたものである。

 黒を基調とした、幾何模様の美しい帯を、ルドヴィニアは一目で気に入った。この日の為にあつらえた、ゾライユ式の深緋こきひの衣装に似合いだったこともあり、ルドヴィニアは一も二もなくそれを身につけていた。


 お礼は遣いに言付けさせてはいたが、できるなら自分自身の言葉で、面と向かって伝えたいと思う。思ってはいたが――。


「――ルドヴィニア様、そろそろ刻限でございます」

 子供は就寝する時間が刻々と近づいていた。

 ゾライユの宴席は、夜を深めるにつれかなり際どいものになる。酒の酔いが回り、下品な余興が始まる前に、ゼラルデは少女の年頃の主君にそっと退出を促した。


「わかっているわ。でも……」

 贈り物の礼を、まだエクスカリュウトに言っていない。けれどもそれをゼラルデに告げることは躊躇われた。他の事ではめっぽう頼りになる乳母なのだが、万事において散文的な彼女は、恋の相談相手とするには著しく不向きなのである。


 諦めるしかないと、ルドヴィニアが小さな溜め息を零したところで、隣席で退屈そうに杯を傾けていたエクスカリュウトと視線が合った。

「踊りたいのか?」

 乙女心を解さない皇帝は、見当違いのことを尋ねた。


「いえ、わたくしは、そんな――」

 幼いながらルドヴィニアには、大国の王女の生まれの自負がある。

 女から誘いをねだるのは、はしたないことだと躾けられてきたので、自分はどんな物欲しそうな顔つきに見えていたのかと、羞恥で一杯になり消えてしまいたいとさえ思った。


 そんなルドヴィニアの心の悶えに頓着することもなく、エクスカリュウトはすっくと立ち上がると、幼妻の前に回って手を伸べた。

「陛下?」

「今日はそなたの祝いの日だ。ロジェンターの宴では、高貴の女も踊るものなのだろう? 下手な踊りで構わぬなら、お休みの前に一曲だけお相手しよう」


 ルドヴィニアにしてみれば、思いもかけぬ誘いであった。まさかの出来事に喜びはひとしおである。

 それでも受けて良いものかどうか、ゼラルデの確認を取る為に、肩越しに背後を振り返った。


「よろしゅうございましたね、妃殿下」

 乳母は満面の笑みを浮かべている。踊ってきていいのだ!

「喜んで、お受けしますわ」



 つんと取り澄まして答えてはみたものの、ルドヴィニアの頬は上気して、小さな胸は壊れそうなほどに高鳴っていた。

 もったいぶって重ねられたルドヴィニアの手が震えているのを、エクスカリュウトは不思議そうにしながらも固く握り力強く引いてゆく。予想外の光景に、人々はどよめいた。


 呆気にとられた者たちが場を譲るのと入れ違うようにして、年若い皇帝夫妻が中央に進み出る。

 二人の準備が整うのを待って、楽師たちは大きく曲調を変えた。異国生まれの皇妃を祝しての粋な計らいとみえ、それまで奏でられていたゾライユの古謡ではなく、諸外国の舞踏会で一般的に使われる、ロジェンターの有名な円舞曲である。


 優美に華麗に堂々と――、『皇妃らしく』踊らねばならないと気負っていたルドヴィニアだが、踊り出す際にエクスカリュウトに間近で微笑まれて、すっかりと舞い上がってしまった。いつものような刺々しさは鳴りを潜め、夢見るような表情を浮かべたルドヴィニアは、傍目にも実に初々しい。


 舞踊は「嫌い」で「下手」だと言い切るエクスカリュウトだが、失笑を買うほど拙くはなかった。なにより内から滲み出る、生来の華のようなものが、優雅にはほど遠い技術の不足を補って充分に余りある。


 若干十六歳の少年皇帝が、十三歳を迎えた皇妃と踊る。

 政略結婚を絵に描いた一対であったが、若いというよりも幼い二人は瑞々しく、微笑ましくもあった。飛び入りの座興を行う皇帝夫妻に、観衆は冷やかすような喝采を贈った。

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