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 約束どおり一曲を踊り終えると、エクスカリュウトは席には戻らず、ルドヴィニアを皇妃用の輿が待機する歩廊まで送ってくれた。

 ゼラルデを筆頭とした、ロジェンター人の宮女たちにルドヴィニアを任せると、エクスカリュウトは素っ気無くその場から立ち去ってゆこうとする。


「陛下!」

 昂揚した気分がルドヴィニアの背中を押した。振り返るエクスカリュウトに、ルドヴィニアは丁重にお辞儀をした。

「今宵はわたくしの為に、素敵な夜宴を開いて下さりありがとうございました。それから、この、贈り物も」


 素直な謝礼がルドヴィニアの唇をついて出た。ルドヴィニアがそっと持ち上げた、身体の斜め前に長く垂らされた、見覚えのある帯に視線を走らせ、エクスカリュウトは眼差しを和らげる。


「気に入って頂けたか?」

「はい、今日の記念に……。大切に致しますわ」

「そうか」

 ルドヴィニアの言葉に短く答え、エクスカリュウトは冬の闇のような濃藍色の瞳で、丸い頬を薔薇色に染めているルドヴィニアをじっと見下ろした。


「……十三になったのだな」

「そうですが、何か?」

 エクスカリュウトの確かめるような問いかけに、ルドヴィニアは小首を傾げる。年若い皇帝は、僅かに苦笑したように見えた。

「いや、私の皇妃は、幾つになったら本当の妻になるのだろうかと考えていただけだ」



 ルドヴィニアは、大人になってくれなくていい。このまま白い結婚を貫くことができるならば――。


 エクスカリュウトは、いつ消されるか知れない命の灯火を抱え、その日が遠いことをこいねがわずにはいられない。

「下らぬことを言った。酒が廻ってしまったようだ。私も今宵は早く休んだ方がよさそうだな」


 鎖のついた台座に置かれて見世物になっているよりも、愛しい情人と同じ褥で一つの夢を見ていたかった。

 ルドヴィニアが夫に抱いた恋心に戸惑っている間にも、クリスティナに対するエクスカリュウトの恋着は、雪が降り積もるように増している。

 しかし表向きには、皇妃付きの宮女でしかないクリスティナを、正式な愛妾に遇し後宮に部屋を与える自由を、傀儡の少年皇帝は持たなかった。



「お休み、ルドヴィニア」

「はい、お休みなさいませ、陛下」


 いつになく饒舌なエクスカリュウトに答えながら、ルドヴィニアは胸の奥にともった決意のほどを、いつ誰に告げるべきか迷っていた。

 護衛を連れて宴席へ戻るエクスカリュウトを見送って、ルドヴィニアは後ろ髪を引かれながら輿に乗り、ぞろりと供を引き連れて後宮へと向かった。



*****



「お帰りなさいませ、妃殿下」

 星を入れたように瞳を煌かせ、自室に戻ってきたルドヴィニアを、クリスティナは他の留守役の宮女たちと並んでしずしずと出迎えた。


 ゾライユの皇宮に入って以来、クリスティナは何があっても後宮の外に出されることが無かった。皇帝と床を共にするクリスティナには、秘密と貞節を守る義務があり、目立つ器量の彼女が、エクスカリュウト以外の男に関心を持たれることのないように、ゼラルデによって隠されていたからである。


 立ち尽くすルドヴィニアの頭から、メラニーアンが冠と被り布を外す。クリスティナはその脇に回って、慎重に帯を解きにかかった。

 エクスカリュウトから贈られた、誕生日祝いのその帯が、ルドヴィニアの好みに適い、今宵の装いにしっくりとはまる品であったのは、決して偶然の産物などではない。ゾライユの織物は美しいので、帯にしてはどうかと進言したのも、集められた品々の中からこれという一点を見立てたのも、エクスカリュウトに頼まれたクリスティナであったからだ。


 そんな背景はまるで知らずに、贈り物の蓋を開けて素直に喜んだ、ルドヴィニアのおめでたさと純粋さが、クリスティナには愚かしくも妬ましい――。

 どろどろとした内面を晒すことなく、クリスティナは淡々と仕事を進める。公の場で着崩れなど起こさないように、いつもより固く結ばれた帯はなかなか解けない。



「随分とご機嫌でいらっしゃいますね。何か良いことがございましたか?」

 柔らかく口元を綻ばせているルドヴィニアに、耳飾りを外しながらメラニーアンが尋ねた。

「ええ、今夜はすごく楽しかったわ! 陛下が踊りに誘って下さったのよ。ルドヴィニアはとても嬉しい」


 人前では精一杯に皇妃ぶり、気取って大人びた話し方もするルドヴィニアだが、自室で乳姉妹であるメラニーアンを相手にしていると、完全に子供に戻ってしまう。心弾む思いを隠し切れない無邪気そのものの声が、いつになくクリスティナの癇に障った。


 この苛立ちは一体何だろう――?

 黙々と手を動かして専念しようとしても、どうにも気が散って目先の仕事に集中できない。暑くもないのに嫌な汗が、クリスティナの背中をじっとりと伝っていった。


「それは良うございましたね」

 メラニーアンが微笑みながらルドヴィニアに相槌を打っている。

「あのね、それでね、わたくし……」


 クリスティナは見ていなかったが、ルドヴィニアの頬も瞳も異様なまでに熱を帯びていた。もじもじと恥じらう主君に徒ならぬ気配を察して、メラニーアンは不審そうに先を促す。

「いかがなさいました? ルディ様」

「待って、メラニーアン! 乳母やに言うわ」

 そう言って、ルドヴィニアは、大きく深呼吸を一つした。


「ゼラルデはここにおります。ルドヴィニア様」

 大切な主君にかしずく宮女たちの働きを、一歩引いたところから監視していたゼラルデは、己が名をルドヴィニアに呼ばせる前に恭しく声を掛けた。メラニーアンが軽く目礼をして、ゼラルデにルドヴィニアの正面を譲る。


「乳母や……、乳母や、わたくしね――」

 既に意を決しつつも、言葉に悩み逡巡するルドヴィニアの声を聞きながら、クリスティナはぞわりと血の気が引いてゆくのを感じた。周囲の音が急速に遠ざかり、その身体がふらりと後ろに傾ぐ。


「クリスティナ!!」

 メラニーアンが腕を掴んで、慌てて身体を支えてくれた。ルドヴィニアが驚きに目を見開いて、クリスティナを振り返る。


「クリスティナ、酷く顔色が悪いわ、どうしたの?」

 心配げに問いかけてくる幼い主君の声すらも、嫌な耳鳴りがして上手く聞き取れない。クリスティナは青ざめた唇を開いて、どうにか答えを返そうとした。


「……いえ、たいしたことは……。ただ少し、眩暈が――……」

「きゃあっ」

「クリスティナ!!」

「誰かお医者様を――」


 クリスティナの意識はそこで遠のいた。悲鳴のような女たちの声が響く中、クリスティナは床に崩れ落ち、前後不覚の闇の中へ沈み込んでいった。

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